晩年は脳溢血でたびたび倒れる小泉セツ
晩年は動脈硬化に悩まされた小泉セツ
NHKの2025年朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなった小泉セツの死因は脳溢血です。
小泉セツは60才を過ぎたころから動脈硬化に悩まされており、晩年には脳溢血のためたびたび倒れることがありました。小泉セツの伝記小説である「八雲の妻 小泉セツ」の生涯では、小泉セツの晩年の様子をこのように伝えています。
セツは六十歳を過ぎる頃から、動脈硬化に悩まされるようになり、若いフェラーズ夫妻訪問の翌年の初めに、脳溢血で倒れた。この時は回復したが、翌年の一月の下旬に再度倒れ、篠田夫人と、泊まり込みの一雄夫妻に介護され、集まってきた孫たちの枕元での「お見舞」を受けて、二月十八日に息を引き取った。
長谷川洋二「八雲の妻 小泉セツ」今井書店 306ページ
東京・雑司ヶ谷にある小泉セツの墓
小泉セツの夫である小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、狭心症による心臓発作のため54才で亡くなっています。その八雲の逝去から28年後の1932(昭和7)年2月18日午前1時ごろ、小泉セツは東京・西大久保の自宅で死去します。享年64。
小泉セツは東京・雑司ヶ谷にある墓地で眠る小泉八雲の傍に葬られ、八雲の墓のやや後ろに「小泉セツ之墓」が建てられています。
晩年の小泉セツのエピソード 3選
1. 茶道・華道・謡曲の稽古に熱心だった小泉セツ
晩年の小泉セツは比較的余裕のある生活を送っていたことが、英字雑誌「Japan Magazine」の「ハーン夫人の日常生活」と言う見出しの記事で明らかになっています。
その記事によるとセツ自身は茶道や華道、謡曲の稽古に熱心な生活を送っており、長男の一雄・次男の巌・三男の清・長女の寿々子の4人の子供たちが順調に育っていることが記されています。
ちなみにセツの謡曲を通じてできた友人の仲立ちを得て、長男・一雄は輿水喜久恵(こしみずきくえ)と結婚。1925(大正14)年には、一雄と喜久恵の間にできた長男、つまり小泉セツには孫にあたる小泉時(こいずみとき)さんが誕生します
2. 「パンちゃま」と呼ばれていた小泉セツ
セツにはすでに巌の娘である八重子さんや京子さん、清の娘である蘭さんと言う女の子の孫がいましたが、小泉時さんが誰よりも可愛かったようです。
女の子のために日本橋の三越で買ったおもちゃを時さんに与えて、時から「パンちゃま」と言って慕われていたそうです。
こうした小泉時さんが幼少時に経験した小泉セツとの思い出は下記の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。
3. フェラーズ中尉との出会い
セツが亡くなる1年8ヶ月前の1930(昭和5)年6月には、アメリカ陸軍のボナー・フェラーズ中尉が西大久保にあった小泉家を訪ね、小泉セツと面会を果たします。
フェラーズ中尉は士官学校の候補生時代に読んだ小泉八雲の「神国日本」に感銘を受け、小泉八雲文学研究に取り組み、教官時代の担当教科は軍事でなく、日本文学を担当していました。
のちにフェラーズ中尉は太平洋戦争が終了した時点で准将にまで昇進。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の総司令官であるダグラス・マッカーサー元帥の軍事秘書官として、昭和天皇が東京裁判で戦犯にならないよう尽力します。
またフェラーズ准将は、敗戦まもない日本で小泉家の人々を探し出し、小泉時さんを当時の日本人としては珍しいGHQの無線通信士として雇い入れるよう取り計らったりもしていました。
なお小泉時さんとフェラーズ准将の繋がりについては下記の記事でも言及しています。

