小松暢・やなせたかし夫婦には子供はいない
朝ドラ「あんぱん」の朝田のぶのモデルである小松暢(こまつのぶ)さんには子供はいません。夫で漫画家のやなせたかしさんは、「アンパンマン」が自分の子どもであると自著の「アンパンマンの遺書」で公言されています。
アンパンマンはぼくの子供であり、ぼく自身でもある。この遺書はアンパンマンを通じて世間へ公開するかたちをとった。ぼくのパッとしない人生もケジメだけはつけておきたかった。
やなせたかし 「アンパンマンの遺書」 岩波現代文庫 はじめに より
小松暢 「やなせさんの赤ちゃんが産みたい」
では小松暢さんもやなせたかしさんも自分の子供を産むことに興味をなかったのでしょうか?そうではないでしょう。同じく「アンパンマンの遺書」では、やなせたかしさんが小松暢さんにプロポーズをしたとき、小松暢さんは「やなせさんの赤ちゃんが産みたい」とかなり情熱的なことを言ったそうです。
小松暢・やなせたかしの結婚エピソード
このときの情景を「アンパンマンの遺書」からもう少し詳しく引用するとこんな感じです。
さて、亜熱帯風のスコールが行き過ぎたあとの夜の街を、取材帰りのぼくと小松記者は歩いていた。駅のそばだったがひどく暗かった。遠雷が鳴っていた。小松記者は、「もっと雷が鳴ればいい」と言った。その次の言葉は、低くてちょっと聞こえにくかった。
「やなせさんの赤ちゃんが産みたい」
「え?」
なるほど、これが殺し文句か。必殺のひと言でたちまち心は燃えあがり、ぼくは小松記者を抱きしめて、唇を重ねた。腕の中でぐったりと彼女の体が重くなって、全身の力が抜けていった。遠く紫色の閃光が、ギザギザに暗夜のカーテンを切り裂くのが見えた。その時、ぼくはこの人と結婚しようと決心した。
どうも、このへんは書いていて恥ずかしい。それに、ぼくはラブシーンが不得手だ。
「私、先に上京して、やなせさんを待っているわ」
小松記者は辞表を提出して、さっさと上京して行った。
ぼくが上京したのは、それから半年後である。やなせたかし 「アンパンマンの遺書」 岩波現代文庫 83ページから84ページ より
先に上京した小松暢さんは、大倉山駅(の駅前にある建築屋さんにある子供部屋で下宿していて、そこにやなせたかしさんが後から転がり込んだそうです。
小松暢 子供を「持てなかった?」
何しろ小松暢さんが下宿していた部屋が子供部屋であったと言うこともあって、その建築屋さんの坊やを寝かしつけてから自分たち夫婦が寝ると言う生活をしていたそうです。
新婚夫婦の部屋に他人の子供がいると何かと気を使いますよね。こういった環境もあってか、小松暢さんとやなせたかしさんは子供を持つことを遠慮したのかもしれません。
そうはいっても小松暢さんとやなせたかしさんの結婚生活は幸福なものだったそうです。
なんとか餓死することもなく、まあ、恋愛結婚もどきの伴侶も得て、ぼくは結婚してからが青春のような気がする。
貧しいが楽しかった。やなせたかし 「アンパンマンの遺書」 岩波現代文庫 86ページ より
ちなみに小松暢さんとやなせたかしさんが東京で新婚生活を始めたころ、小松暢さんは日本社会党の代議士の秘書として、やなせたかしさんは日本橋にある三越の宣伝部員として働いていました。