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ばけばけ 勘太のモデルは小泉一雄 小泉八雲・セツ夫妻の子供

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目次

ばけばけの勘太(かんた)の誕生と長男・小泉一雄の誕生

ばけばけ 第22週でトキとヘブンに子供が誕生

NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ第22週110話において、トキ(髙石あかり)とヘブン(トミー・バストウ)の間に元気な男の子が生まれます。

半年後、ヘブンがお百度参りをして、生まれてくる子の目の健康を願っているところ、トキは、フミと産婆に付き添われ、必死に頑張っていた。ヘブンがお百度参りから帰宅して間もなく、「おぎゃー!!」と、元気な産声が聞こえた。

連続テレビ小説 ばけばけ Part2 (1) (NHKドラマ・ガイド) 「第22週あらすじ」 98ページ

第23週では「勘太(かんた)」と名付けられる男の子は、小泉八雲とセツ夫妻の間にできた子供で長男の小泉一雄(こいずみかずお)がモデルとなっています。

小泉一雄が誕生したときは「私生児」という扱いだった

なお小泉一雄が誕生したときは小泉八雲とセツは事実婚の状態で正式な籍は入っていませんでした。そのため誕生時は私生児という扱いです。

そして明治二十九年(一八九六)二月二十日、内中原の平民小泉八雲の「妻セツ(戸主)退隠後相続」が相成り、翌日、八雲の「小泉藤三郎姉セツ私生子男一雄ヲ認メ」る「願」が、承認された。

長谷川洋二 八雲の妻 小泉セツの生涯 (潮文庫) 179ページ

小泉八雲がイギリスから日本に帰化したことによって、小泉一雄が法律的に小泉八雲とセツの子供と認められたのは1896(明治29)年2月13日のことでした。

小泉一雄とはどんな人物だったのか

「父小泉八雲」「父「八雲」を憶う」の著者・小泉一雄とは

小泉一雄は1893(明治26)年11月15日に熊本において、小泉八雲・セツ夫妻の長男として誕生。

1917(大正6)年に早稲田大学を卒業後、1921(大正10)年まで拓殖大学教務課に勤務。その後、小泉八雲の友人であるミッチェル・マクドナルの肝煎りで横浜グラントホテルに勤務。

1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災で横浜グラントホテルが倒壊したのちは、父・小泉八雲の遺稿を収集・整理を開始。自らも執筆活動に励み「父小泉八雲」や「父「八雲」を憶う」という著作を残しています。

さらに戦後にはGHQ(連合国最高司令官総司令部)の最高司令官であるダグラス・マッカーサー元帥(1860~1964年)の秘書官で、日本の天皇制が存続できるよう奔走したボナー・フェラーズ准将(1896~1973年)と交際があったことも有名です。

小泉一雄 年表

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西暦(和暦)年齢できごと
1893(明治26)年0才11月15日に小泉八雲・セツ夫妻の長男(私生児)として熊本で誕生
1896(明治29)年2才小泉八雲の日本国籍取得に伴い小泉家の戸籍に入籍
1904(明治37)年10才父・小泉八雲が狭心症のため死去
1917(大正6)年23才早稲田大学を卒業
1919(大正8)年25才拓殖大学教務課に勤務
1921(大正10)年27才横浜グラントホテルの倉庫係として勤務
1923(大正12)年29才関東大震災のため勤務先の横浜グラントホテルが倒壊。ミッチェル・マクドナルが死去
1924(大正13)年30才輿水(こしみず)喜久恵と結婚
1924(大正13)年31才長男・小泉時が誕生
1928(昭和3)年34才埼玉県の大宮に引っ越し。この頃から執筆活動が始まる
1931(昭和6)年37才「父「八雲」を憶う」を出版
1932(昭和7)年38才母・小泉セツが脳溢血のため死去
1945(昭和20)年51才太平洋戦争が終結。ダグラス・マッカーサー元帥による日本の占領統治が始まる
1946(昭和21)年52才ボナー・フェラーズ准将がGHQの無線通信士として小泉時さんの仕事を斡旋
1950(昭和25)年56才「父小泉八雲」を出版
1964(昭和39)年70才孫の小泉凡さんが誕生
1965(昭和40)年71才死去

小泉一雄の子孫たちについて

小泉八雲・セツ夫妻の長男である小泉一雄の子孫たちは現代においても活躍されています。小泉一雄の長男には小泉時(小泉八雲の孫)さんが、さらに孫には小泉凡(小泉八雲のひ孫)さんいます。

特に小泉凡さんは島根県松江市にある小泉八雲記念館で館長をされ、小泉八雲・セツの活躍を現在に伝えています。こうした小泉八雲・セツ夫妻の長男である小泉一雄の子孫たちの詳細については下記の記事が参考になるでしょう。

小泉八雲とセツ 4人の子供たち 一雄・巌・清・寿々子

小泉八雲・セツ夫妻には三男一女の子供たちがいた

実在した小泉八雲・セツ夫妻には長男の小泉八雲・セツ夫妻以外にも、次男・巌、三男・清、長女・寿々子と、合計で4人の子供たちがいました。

以下の記事では小泉一雄の弟妹となる巌・清・寿々子の3人の兄妹たちについて簡単に紹介します。

次男・稲垣巌(いながきいわお)

稲垣巌(1897~1937年)は小泉八雲・セツ夫妻の次男。

岡山の第六高等学校(現在の岡山大学)を経て、京都帝国大学(現在の京都大学)に入学。卒業後は京都府立桃山中学校(現在の京都府立桃山高等学校)に勤務することになります。

次男・巌の姓が「小泉」ではなく「稲垣」となっているのは、小泉セツの養子先であった稲垣家には子供がなく、家名を存続させるため、4才のときに稲垣家の養子となったからです。

三男・小泉清(こいずみきよし)

小泉清(1899~1962年)は小泉八雲・セツ夫妻の三男。

1919(大正8)年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に入学するも、針シズと学生結婚をし中退。46才のときに第1回新興日本美術展で読売賞を受賞し、画壇に名を連ねるようになります。

長女・小泉寿々子(こいずみすずこ)

小泉寿々子(1903~1944年)は小泉八雲・セツ夫妻の長女。

幼少の頃に猩紅熱から脳膜炎を引き起こしています。そのため生涯のほとんどにおいて母・小泉セツや長兄にあたる小泉一雄など身近な家族たちと暮らしていました。

ばけばけ 勘太 モデル 関連記事と参考文献

ばけばけ 勘太 モデル 関連記事

「ばけばけ」の勘太のモデルとなった小泉一雄がどんな人生を送ったのか下記の記事が参考になるしょう。

小泉八雲・セツ夫妻には長男の小泉一雄の他にも、次男の巌(いわお)、三男の清(きよし)、長女の寿々子(すずこ)の兄妹たちがいました。それぞれがどんな人物であったのか、下記の記事が参考になるでしょう。

巌・清・寿々子の兄妹たちがどのような人生を歩んだかについては下記の参考になります。

ばけばけ 勘太 モデル 参考文献

今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。

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著:小泉 時
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