失明した左目が小泉八雲の人生に与えた影響
16才のときに縄のさきが当たって左目を失明
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヘブン(トミー・バストウ)のモデルとなっている小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、左目を失明していました。
左目の失明は、1866年、16才のときに在学していたカトリック系の学校である「アショー・カレッジ(セント・カスバート・カレッジ)」において、”The Giants Stride”という遊びをしているときに友人が放った縄の先が、左目に当たったことによるものです。
この事故により小泉八雲は長期間病院に入院することになりますが、左目の視力は生涯にわたって回復することはありませんでした。
左目を失明したことで人との交際を避けがちになった小泉八雲
左目を失明したことにより、小泉八雲は自らの容貌をひどく気にするようになり、女性には好かれないと決め込んでしまったようです。
小泉八雲は最晩年には執筆活動に専念するために、人との交際を避けていましたが、そもそも交際を避ける理由は、少年時代に失明した左目を気にしていたことに求められます。
八雲には人との談話の際には左目の上に手を置く癖があったと言われるのも、無意識に左目を隠そうとしていたからであるとと、英文学者の田部隆次は「小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン」で指摘しています。
「小泉八雲の左目」の印象
ただその一方で小泉八雲の長男である、小泉一雄は「父小泉八雲」において、「八雲は偽物嫌い」であったとし、義眼はしていなかったと言います。
嘘があんなに嫌いで、義眼も義歯もしなかったのに、実在せぬ化物共の話を好んで取扱っている。
小泉一雄. 父小泉八雲 (p. 33). (Function). Kindle Edition.
さらに上述した英文学者の田部隆次も、初めて小泉八雲に会ったときの左目の印象について、「左の眼球の上に白い星がかかった」と表現しています。
左目は失明、右目は近視だった小泉八雲
小泉八雲は近視の家系だった
小泉八雲が目で苦労するのは左の方だけではありませんでした。小泉八雲の家系は近視であったらしく、八雲も生まれついての近視眼だったようです。
残る一眼は元来の強度の近視に加えてますますその負担が重くなった。たえざる読書執筆のためにこの眼を刺激する事が多いので時々悪くなった。眼に対する用心も深く、机上つねに小鏡を具えて眼を検査した。読書執筆のために机は特別に高く作らせ、眼が充血しないように注意した。ヘルンは自分だけでなく、家人や書生が新聞を下に置いて読む事さえも厳しく禁じた。ヘルンの近視は二度半であった。その片眼鏡はつねに二つ携えて万一に備えた。
田部隆次. 小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン (中公文庫) (Function). Kindle Edition. No.976
目を休めるために執筆活動を止める必要があった小泉八雲
田部隆次は、小泉八雲(へルン)の近視を「二度半」と表現しています。「二度半」は−2.5D(ディオプター)のことであり、中等度の近視のことを指します。
−2.5Dは裸眼視力にすると0.1未満となり、「遠く(2m以上)のものはぼやけて読めない」、「近くは20〜30cm以内に近づければ読める」という程度です。田部隆次は「机は特別に高く作らせ」としていますが、字を読むためには本や新聞などの対象物を顔に近づける必要があったためです。
このように「左眼は失明、右眼は近視」というハンディキャップのため、小泉八雲は生涯においてたびたび執筆活動を休止することを余儀なくされます。