やなせたかし 次の朝ドラ あんぱん 柳井崇(北村匠海)のモデル
2025年前期朝ドラ「あんぱん」の柳井崇(北村匠海)のモデルは、アンパンマンの生みの親であり、漫画家のやなせたかしさんです。すでに朝ドラ「あんぱん」では柳井崇の相関図や家族構成、そのキャストが発表されています。
朝ドラ「あんぱん」の柳井崇側の相関図は、実在したやなせたかしの家系図をそのままモデルにしていると言っていいどです。「朝ドラ 次 あんぱん 相関図」の記事を参考にすると良いでしょう。
朝ドラ 次 相関図 あんぱん 朝田のぶ 柳井崇 高知の朝田家・柳井家
柳瀬治太郎
柳瀬家はもともと壇ノ浦の戦いで敗れた平氏の落人たちの子孫であると考えられます。やなせたかしの祖父で柳瀬清と柳瀬寛の父。高知県香美郡香北町御在所村の村長。香北の名家であったが、清の少年時代にはすでに家産は傾いていた。酒を飲み過ぎて死んでしまったらしい。
やなせたかし (朝ドラ「あんぱん」柳井崇)
やなせたかしは高知県立城東中学校(現在の高知県立追手前高校)を卒業後に、東京工芸学校図案科(現在の千葉大学工学部デザイン科)を経て戦前には田辺製薬(現在の田辺三菱製薬)に入社。
日中戦争の勃発により1940年に徴兵され、小倉にある野戦重砲連隊に配属されます。戦後は鉄屑拾いを経て、高知新聞社の「月刊高知」の編集担当として小松暢と同僚として働くことになります。
柳瀬登喜 (朝ドラ「あんぱん」柳井登美子)
やなせたかしの母。高知の大地主・谷内家の次女。片田舎ながら華やかに暮らし、ときどき都会に遊びに出ていくほどの人だったそう。
やなせたかしが4歳の時に夫である清を亡くした後は、弟の千尋を清を養子に出して、登喜・たかし・たかしの祖母と三人で暮らし自活の道を図っていたという。結局はたかしが小学2年生の時に再婚して家を出ていく。
柳瀬清 (朝ドラ「あんぱん」柳井清)
やなせたかしの父で柳瀬治太郎の次男。上海の東亜同文書院に留学したのち、日本郵船・講談社と転職し、東京朝日新聞に就職。やなせたかしが生まれたのは、父・清が朝日新聞で東京勤務をしていた時のこと。
父・清はやなせたかしに対していつもお土産を買って帰ってくるなどとても優しかった。しかし朝日新聞の特派記者として中国・広東駐在中に33歳の若さで客死。
柳瀬清 やなせたかしの父親 朝ドラ あんぱん 柳井清のモデル
柳瀬千尋 (朝ドラ「あんぱん」柳井千尋)
やなせたかしの2歳下の弟。柳瀬千尋は父・清が亡くなった際、やなせたかしよりも先に伯父の寛に引き取られます。幼少期はしょっちゅう病気をしていたそうで、よく小学校を欠席したそうです。
しかし成長するに文武両道に秀でるようになり、旧制高知高校(現在の高知大学)を経て京都帝国大学(現在の京都大学)に進学。しかし戦争の激化に伴い、京都帝国大学の学生から海軍士官となり、台湾沖で駆逐艦「呉竹」に乗艦中に敵襲にあい戦死します。
柳瀬千尋 戦死 駆逐艦「呉竹」の分隊士として やなせたかしの弟
柳瀬寛(朝ドラ「あんぱん」 柳井寛)
柳瀬寛はやなせたかしの伯父。現在の高知県南国市後免町で内科小児科医として「柳瀬医院」を経営。柳瀬寛はやなせたかしの弟・柳瀬千尋と違って、やなせたかしを自分の養子にこそしませんでした。
清の死後に一緒に住まわせていたやなせたかしの生活態度について口うるさいことを言うことはなく、城東中学校(現在の高知県立追手前高校)から浪人生活を経て東京工芸学校図案科(現在の千葉大学工学部デザイン科)を卒業するまで、生活の面倒をみてくれたそうです。
戸籍上は柳瀬寛とやなせたかしの関係は伯父と甥の間柄ですが、やなせたかしは実の父のようにしたい、柳瀬寛も自分の病院を継がせても良いと思っていたほどだったそうです。
柳瀬寛 やなせたかしの伯父 朝ドラ あんぱん 柳井寛のモデル
小松暢 (朝ドラ あんぱん 朝田のぶ)
やなせたかしの妻。やなせたかしと小松暢の間には子供はいません。