朝田のぶの再婚は小松暢さんの再婚がモデル
朝田のぶ・小松暢の初婚と再婚
NHKの2025年前期朝ドラ「あんぱん」のヒロイン・朝田のぶ(今田美桜)は再婚します。この設定は朝田のぶのモデルとなった小松暢さんが、漫画家のやなせたかしさんと再婚をした史実に基づく設定でしょう。
表にまとめると以下の通りになります。
「あんぱん」の朝田のぶは離婚するのか?
では朝ドラ「あんぱん」の朝田のぶは離婚を経験するのでしょうか?
いいえ、朝田のぶは離婚しません。なぜなら朝田のぶの最初の結婚相手である若松次郎とは、第13週「サラバ 涙」で死別することになるからです。若松次郎は結核のために亡くなります。
小松暢さんも、若松次郎のモデルとなったと考えられる小松総一郎さんが1945(昭和20)年に病気で亡くなったことによって、最初の夫との死別を経験しました。
小松暢さんとやなせたかしさんの初めての出会いは1946年
その後、小松暢さんは経済的に自立をするため、1946(昭和21)年に高知新聞社(朝ドラ「あんぱん」の高知新報のモデル)に女性記者として入社します。
入社後、数ヶ月は同僚の深田貞子(朝ドラ「あんぱん」の小田琴子のモデル)さんとともに、高知市役所や高知県庁に取材のために毎日訪れたと言います。
その後、高知新聞社内に月刊誌「月刊高知(朝ドラ「あんぱん」では「月刊くじら」という設定)」の編集部が立ち上がり、そこに小松暢さんとやなせたかしさんが配属され、2人は初めて知り合います。
小松暢さんとやなせたかしさんは東京で結婚
さらに小松暢さんは、速記の腕を買われて高知県選出の代議士の秘書となり上京します。小松暢さんに促されて上京したやなせたかしさんは、小松暢さんの下宿に転がり込んで同棲を始めやがて結婚します。
やなせたかしさんが生前に記した「アンパンマンの遺書」ではこう書かれています。
「私、先に上京して、やなせさんを待っているわ」
小松記者は辞表を提出して、さっさと上京して行った。
ぼくが上京したのは、それから半年後である。
半年おくれて上京したぼくは、しばらく新橋駅前のちいさんあ図案社、企宣社に勤めた。
(中略)
クラスメートの神保君は、企宣社の押入れの中にフトンを敷いて寝ていた。
ぼくは小松さんの下宿先に転がりこんだ。下宿先といっても、子供部屋である。子供のベッドルームで、二人で暮らした。
このあと2人は結婚式をせず事実上の結婚状態に入ります。小松暢さんにとっての再婚は1947(昭和22)年のことでした。