あんぱん 第26週 あらすじ 126話から130話(最終回)
あんぱん 126話 あらすじ
ある日、柳井崇(北村匠海)のもとにテレビプロデューサーを名乗る武山恵三という人物が訪ねてきます。どうやら武山は「アンパンマン」のテレビアニメ化を希望しているようです。しかし崇は武山の申し出を断ります。
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あんぱん 130話(最終回) あらすじ
あんぱん 第26週 ネタバレ
「アンパンマン」のプロデューサー・武井英彦氏 武山恵三のモデル
1984(昭和59)年から1988(昭和63)年にかけてやなせたかしさんの元に、「アンパンマン」をテレビアニメ化するという話が舞い込みます。
この話にはNHK、日本テレビ、東京ムービー新社(現在のトムス・エンターテイメント)が関わっていましたが、NHKの話は途中でキャンセル。
日本テレビでも反対の声が強くアニメ化の話はなかなか進みませんでしたが、プロデューサーの武井英彦(「あんぱん」の武山恵三のモデル)さんは社内で粘り強く何度も企画を通します。
「それいけ!アンパンマン」はひっそりと始まった
「アンパンマン」のアニメ「それいけ!アンパンマン」のテレビ放映が始まったのは、1988(昭和63)年10月3日。昭和天皇が吐血・発熱を繰り返して病状が思わしくなく、世の中の雰囲気が暗い中、「それいけ!アンパンマン」は、ひっそり始まりました。
放送条件が悪い「それいけ!アンパンマン」は、「これ以上悪くなることはない」と、やなせたかしさんはテレビアニメの関係者から、妙な慰めの言葉をもらっていたようです。
月曜日、午後五時という再放送しかやらない時間帯の自主制作、関東四局のみという、まれに見る最悪の条件で、ひっそりと出発した。拍手する人は誰もいなかった。
昭和天皇のご病状はますます悪く、マスコミは派手派手しい番組、イベントを自粛し、新番組スタートの恒例になっているパーティも催し物も何もなかった。
プロデューサーの武井英彦はこう言った。
「これは従来、何をやっても二パーセントしかいかないという時間帯ですから期待しないで下さい」
「いいじゃないですか。それ以上は落ちないでしょうから、もうさがることはない」
制作にあたる東京ムービー新社の柳内一彦はこう言った。やなせ たかし. アンパンマンの遺書 (岩波現代文庫) (p. 192). (Function). Kindle Edition.
「アンパンマン」の叙勲
全く期待されていなかった「それいけ!アンパンマン」は、初回の放送で7%の視聴率を叩き出します。月曜の午後五時としてはベストの数字で、ときには10%を記録することもあったそうです。
さらに「それいけ!アンパンマン」は1989(平成元)年3月に、文化庁の優秀番組を受賞。予想外のヒットに関東ローカル放送から全国放送に切り替わり、すぐにスポンサーもつくほどの「アンパンマンブーム」が到来しました。
1991(平成3)年4月29日に発表された春の叙勲で、やなせたかしさんは勲四等瑞宝章を受賞。同じ年の11月に開かれた天皇皇后両陛下が主催された園遊会では、妻の小松暢さんと共に出席し、美智子妃皇后陛下(当時)に「アンパンマン」を書いていますと報告されることになりました。
なお、朝ドラ あんぱんのネタバレとあらすじを1話から最終回(130話)まで一気に読みたいという方は、「朝ドラ あんぱん ネタバレ あらすじ 最終回まで」という記事を参考にしてください。
あんぱん 第26週 キャスト 相関図
朝ドラ「あんぱん」第26週に登場するキャスト一覧です。
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「アンパンマン」のアニメ化の話が進んでいた頃、やなせたかしさんの妻・小松暢さんの体は乳がんに蝕まれていました。
小松暢さんは医師から余命3ヶ月の宣告を受けるものの、奇跡的に持ち直して「それいけ!アンパンマン」の放送を目にし、さらに夫・やなせたかしさんとともに天皇皇后両陛下が主催された園遊会にも参加されることになります。
小松暢さんの晩年の様子などについては下記の記事が参考になります。併せて参考にして下さい。

