小泉八雲・セツ夫妻の次男 稲垣巌について
稲垣巌の紹介
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなった小泉セツは、小泉八雲(「ばけばけ」ではレフカダ・ヘブンのモデル)の再話文学の語り手(リテラシーアシスタント)として明治・大正・昭和時代初期に活躍した人物です。
その小泉セツは小泉八雲との結婚によって3人の男の子(一雄・巌・清)と1人の女の子(寿々子)を出産します。今回の記事ではその兄弟たちの中で次男にあたる、稲垣巌(いながきいわお)(1897~1937年)について紹介します。
小泉八雲の次男 稲垣巌 参考文献
小泉八雲・小泉セツ夫妻の次男である稲垣巌に関する内容について参考とした文献は以下の2冊です。
稲垣巌とはどんな人だったのか?
小泉セツの養家・稲垣家を継いだ稲垣巌
稲垣巌は1897(明治30)年に東京で小泉八雲と小泉セツの次男として誕生します。
「巌」という名前は陸軍元帥の大山巌(おおやまいわお)や、曽祖父にあたる小泉岩苔(こいずみがんたい)にちなんでつけられたと言われています。
他の兄妹たちと違って巌だけ「稲垣」の苗字を名乗っている理由は、4才のときに小泉セツの養家である稲垣家の家督を継いでいるためです。
稲垣家には稲垣金十郎・トミ夫妻の養女である小泉セツ以外に子供がいなかったのです。
積極的な性格だった稲垣巌
巌は大変積極的な子供だったと言われています。小泉八雲の晩年には、兄で長男の一雄とともに焼津の海岸に連れて行かれ、水泳の手ほどきを受けたところ、波を恐れず率先して海に飛び込み、言われた通りの姿勢で背泳ぎをしていました。
また岡山の第六高等学校(現在の岡山大学)在学時には、先輩から囃し立てられて、学生寮の3階から砂場に飛び降り、卵丼を奢らせることもしていたそうです。
京都帝国大学在学中に種市翠と学生結婚
第六高等学校に進学していたことから分かるように、巌は子供の頃から学校の勉強が大変良くできました。大学は京都帝国大学(現在の京都大学)に入学し英文科を卒業しています。
この京都帝国大学の在学中に、八戸出身の種市翠(たねいちみどり)と学生結婚。
現代の令和では学生結婚はさほど珍しいものではありませんが、大正時代では珍しいというよりも後ろめたさが先立ち、小泉セツにとってめでたいというよりも恥ずかしいものであったと「ヘルンと私」で説明されています。
40才でがんのために亡くなる
稲垣巌は京都帝国大学を卒業した後、京都府立桃山中学校(現在の京都府立桃山高等学校)の英語教師として勤務。
ありきたりな解釈ではつまらないということで、ジェスチャーを交えて面白おかしく英語を説明するなど、生徒たちからは大変人気のある先生だったようです。
しかしこの桃山中学に勤務している時に、さる令嬢との恋仲に陥ってしまいます。そのため1934(昭和9)年、妻の翠が子供たち(八重子・明男・京子)を連れて実家がある八戸へ去ることに。さらに不幸が続き、同じ年に睾丸で見つかったがんの摘出手術を受けます。
3年後にはそのがんが肝臓や胃に転移したことにより、巌は40才で他界することになりました。