小泉八雲が生涯に妻とした女性は何人か?
「ばけばけ」のヘブンにはマーサとの結婚歴があった
NHKの朝ドラ「ばけばけ」でレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)のモデルとなっている小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、生涯のうち結婚をして妻とした女性は、アリシア・フォリーと小泉セツの2人です。
「ばけばけ」の第11週でヘブンはかつてアメリカ・オハイオ州で黒人にルーツを持つマーサという女性と結婚していた事実を打ち明けます。
しかしオハイオ州の州法では異人種間の結婚は違法とされており、結婚が原因で新聞社を解雇され、マーサとも離婚をしたと告白します。
小泉八雲の1回目の結婚: アリシア・フォリー
ヘブンのモデルである小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も、1874(明治7)年、24才のときにアメリカのオハイオ州・シンシナティで「マティ」とも呼ばれる、下宿屋で料理人をしていたアリシア・フォリーという白人と黒人の混血の女性と最初の結婚。
しかし異人種間の結婚が禁止されていたオハイオ州において、この結婚が原因で八雲は勤めていた「シンシナティ・インクワイアラー紙」を解雇され、「マティ」とは1年と持たず離婚することになります。
その後、八雲は1877(明治10)年にオハイオ州シンシナティからルイジアナ州ニューオーリンズに流れることになりますが、ニューオーリンズでは餓死寸前の生活を経験するなど、大変悲惨な境遇にあったようでした。
小泉八雲の2回目の結婚: 小泉セツ
2回目の結婚は、1891(明治24)年、日本の松江で行った元・士族の娘である小泉セツとの間によるものです。
このとき八雲の国籍は、ラフカディオ・ハーンとしてまだイギリス国籍であったため、セツとの結婚とは国際結婚になります。八雲は幼少時に母・ローザが父・チャールズと悲惨な離婚を経験していたことから、セツの境遇に大変同情的でした。
そのため八雲は、セツの国籍は日本のままにしておき、自分の国籍をイギリスから日本に変えることを決意。そうすれば万一自分が亡くなったときの財産はセツとその家族側に残ると判断し、自身の国籍変更を行ったのでした。
こうした国際結婚に基づく国籍変更の手続きは煩雑で、八雲が「日本第一の友人」と呼んでいた西田千太郎の助力をえて行われていました。
小泉八雲の妻の数は1人だけとする見解
法律的には小泉八雲の結婚は1回だけ
おそらく小泉八雲の個人的な感覚としては、生涯において結婚した回数は2回となるでしょう。
しかしまだ「ラフカディオ・ハーンと」と呼ばれていた小泉八雲が、「マティ」と結婚した当時のオハイオ州では異人種間の結婚が禁止されていました。
法律的な観点からすると、小泉八雲が生涯において結婚した回数は、小泉セツとの間で行った1回だけと言うことになります。
現在のアメリカ・オハイオ州における結婚制度について
ちなみにオハイオ州は1887年に異人種間における結婚の禁止条項は撤廃し、アメリカの他の州よりも早い段階で「異人種婚」を合法化しました。
現在のオハイオ州で結婚を制限する条項は、「年齢」・「重婚」・「近親関係」だけです。
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