朝ドラ「あんぱん」 いせたくやのモデル
いせたくやとは
2025年前期NHK朝ドラ「あんぱん」でMrs. GREEN APPLEの大森元貴さん扮するいせたくやとは作曲家で、柳井嵩(北村匠海)が舞台美術を担当することになるミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の音楽を担当したり、嵩が作詞を担当した「手のひらを太陽に」の作曲を手がけることになります。
いせたくやのモデルは実在した作曲家・いずみたく(1930~1992年)さんです。
あんぱん いせたくやの役柄
作曲家。CM音楽や映画・テレビ・ラジオの劇音楽を多数作曲。そのかたわらミュージカル創作にも意欲を燃やす。生涯で15,000曲以上を作曲。音楽を担当したミュージカル「見上げてごらん夜の星を」で柳井嵩(北村匠海)が舞台美術を担当することになり、嵩が作詞を担当した「手のひらを太陽に」の作曲を手がけることになっていく。
連続テレビ小説『あんぱん』新たな出演者発表 第8弾 NHK あんぱんより
大森元貴さん プロフィール
1996年生まれの音楽家。作詞家・作曲家であり、バンドMrs. GREEN APPLE のフロントマン。 Mrs. GREEN APPLEでは全楽曲の作詞/作曲/編曲、さらに作品のアートワークおよびミュージックビデオのアイデアまで、楽曲に関するすべての要素を担当している。その楽曲は、主要ストリーミングサービスにおいて23曲が総再生数1億回を突破している。(アーティスト別単独1位)2023年に「ケセラセラ」、2024年には「ライラック」にて日本レコード大賞を2年連続で受賞し、国民的バンドとしての地位を確かなものにした。
いずみたくさんとやなせたかしさんの関係
ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」で知り合う
柳井崇のモデルとなったやなせたかしさんが、作曲家のいずみたくさんと始まって知り合ったのは1960(昭和35)年のことです。知り合ったきっかけは放送作家の永六輔さんが、大阪のフェスティバルホールでミュージカル「見上げてごらん夜の星を」を公演するにあたって、舞台装置をやなせさんに依頼したことが始まりでした。
やなせさんは、それまでミュージカルの舞台装置の仕事を引き受けたことはありませんでしたが、永六輔さんの熱意にほだされて引き受けることになります。
その「見上げてごらん夜の星を」の音楽スタッフがいずみたくさんであり、2人はここで知り合いになります。
しかし、ミュージカルは大成功で、「見上げてごらん夜の星を」は、その後も坂本九のやフォーリーブスでも上演され、テーマソングはレコード大賞を受賞し、現在でもスタンダード・ナンバーとしてよく歌われているのはご存知のとおりである。
このリリカルな歌は作曲家いずみ・たくの本質がよく出ていて、やはり彼の代表作の上位に入る。やなせたかし「アンパンマンの遺書」岩波書店 130ページより
「手のひらを太陽に」の作曲を担当
やなせたかしさんが作詞し、いずみたくさんが作曲した「手のひらを太陽に」が誕生したのは1962(昭和37)年のことです。このころやなせたかしさんは民放テレビ局が次々に開局する中、司会を宮城まり子さんとするニュースショーの構成作家をしていました。
やなせたかしさんは著作の「人生なんて夢だけど」で、1961(昭和36)年に「手のひらを太陽に」の歌詞を思いついた時の様子をこのように述懐しています。
退屈だから仕事場にあった懐中電燈を自分の手のひらに当てて子どものときのレントゲンごっこを思い出して遊んでいたら、血の色がびっくりするほど紅くてきれいで見惚れてしまいました。
そのときに「手のひらを太陽にすかしてみれば」のフレーズを思い出したのです。
まさかそれが広く歌われる歌になろうとは、夢にも思いませんでした。やなせたかし「人生なんて夢だけど」フレーベル館 136ページより
「それいけ!アンパンマン」の音楽を担当
いずみたくさんはミュージカル化された「アンパンマン」の作曲も担当していて、1988(昭和63)年に日本テレビでアニメ化された「それいけ!アンパンマン」の音楽も担当します。
こうして「見上げてごらん夜の星を」で始まったいずみたくさんとやなせたかしさんの関係は、その後生涯にわたる関係となります。