柳井寛はなぜ亡くなったのか?その理由について
柳井寛の突然の危篤と死
NHKの2025年前期朝ドラ「あんぱん」の第9週「絶望の隣は希望」で、柳井崇(北村匠海)の伯父・柳井寛(竹野内豊)が亡くなります。
崇は東京の芸術学校で卒業制作を取り組む最中に「チチ キトク スグカヘレ」の電報を受け取り、数日後に高知の御免与町に帰省したときには、寛はすでに帰らぬ人となっていました。
柳井寛の死因
働き盛りの柳井寛はなぜ突然亡くなったのでしょうか?朝ドラ「あんぱん」の小説である「NHK連続テレビ小説 あんぱん 上 (1) Kindle版」を読んでも、寛の死因は何であったのかはっきりと書かれていません。
ただ小説の「第8章 めぐりあい わかれゆく」の記述を読んでいると、寛は医者としての仕事がますます忙しくなり、ゆっくりと食事を取る様子がないことを伯母・柳井千代子(戸田菜穂)が心配する描写があります。
この点を考慮する「働きすぎ」や「過労」が寛の死に影響を与えていると考えられます。
やなせたかしさんの伯父・柳瀬寛さんは激務だった
「あんぱん」に登場する、柳井寛のモデルとなった柳瀬寛さんも50才という若さで亡くなっています。甥であるやなせたかしさんは著作「人生なんて夢だけど」で、柳瀬寛さんが亡くなった理由として、医者としての激務がたたったのではないかと推測されています。
「お父さんごめんなざい!」ぼくは棺にすがって泣きました。十年分の涙がいっぺんに出てしまった五十歳の若さで天国に行ってしまったのです。
田舎の開業医として激務に耐えながら、ぼくのように相当わがままな進学も許してくれた。やなせたかし 「人生なんて夢だけど」フレーベル館 85ページ
柳瀬寛さんの死因は心臓麻痺・脳溢血
一方、柳瀬千尋中尉(「あんぱん」柳井千尋のモデル)が海軍の駆逐艦乗りとして戦死した様子を描いた「慟哭の海峡」では、柳瀬寛さんの死因を心臓麻痺あるいは脳溢血ではないかと推測しています。
柳瀬千尋が高知高校の二年を迎えようという昭和十四年春、衝撃的な出来事があった。育ての親、寛が急死したのである。
柳瀬家の当主として、弟・清の忘れ形見である崇と千尋を引き取ったばかりか、末弟の正周を同居させて面倒も見ていた。文字通り、柳瀬家を一人で背負っていた大黒柱である。
その寛が、働き盛りの五十歳に突然、倒れ、あっという間に帰らぬ人となったのだ。心臓麻痺、あるいは脳溢血とも伝えられる。門田隆将「慟哭の海峡」 角川書店 130ページより
「人生なんて夢だけど」・「慟哭の海峡」で共通していることは、実在した柳瀬寛さんも突然、倒れてあっという間に亡くなったことです。
これらのことから「あんぱん」の柳井寛は、結核のように長い療養生活を強いられるような病気ではなく、現代の日本でもありがちな「働きすぎによる突然死」であることが伺えます。
あんぱんの柳井寛・柳瀬寛さん 関連記事
柳井寛 モデル
やなせたかしさんの伯父 柳瀬寛さんの死因
