ばけばけ 第17週 あらすじ 81話から85話
ばけばけ 81話 あらすじ
「松江新報」の記者・梶谷(岩崎う大)が書いた連載記事「ヘブン先生日本録」が大好評を博し、トキ(髙石あかり)たちはすっかり松江の有名人に。
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ばけばけ 85話 あらすじ
ばけばけ 第17週 ネタバレ
「ばけばけ」の舞台はやがて松江から熊本に
物語の舞台地はやがて松江から熊本に移ります。そのことはNHKが2024年6月12日に朝ドラ「ばけばけ」制作発表をした時点で公表済みです。
【舞台地】
ヒロイン・松野トキが生まれ育つ島根県から物語は始まります。その後、ヒロインの人生が進むにつれて、舞台地も熊本など各地に移り変わっていきます。
実在した小泉八雲・トキ夫妻も1891(明治24)年11月に松江から熊本に転居し、1894(明治27)年10月まで過ごすことになります。
八雲は松江をこよなく愛し、来日当初は終生松江で過ごすつもりだったようですが、松江の冬の寒さに辟易します。来日前はアメリカ南部のニューオーリンズや、西インド諸島のマルティニークなど温暖もしくは熱帯な気候に慣れていたたからです。
特に小泉八雲は左目を失明しており、残った右目の近視が寒さのために悪くなることを危惧していました。
小泉八雲は1894(明治24)年11月に熊本の第五高等学校に赴任
こうした事情があって小泉八雲はどこか温暖な土地での勤務先はないかと、東京帝国大学の講師で、八雲に松江行きを勧めてくれたバジル・ホール・チェンバレンに相談したところ、嘉納治五郎が校長を務める熊本の第五高等中学校(現在の熊本大学)での勤務を紹介してくれました。
東京帝国大学文科大学(現在の東京大学文学部)で小泉八雲に師事していた英文学者の田部隆次は、「小泉八雲 ラフカディオ・へルン」は第五高等学校での勤務条件を以下の通りであったと記しています。
熊本第五高等中学校の校長は初めは嘉納治五郎(かのうじごろう)、のち中川元(はじめ)、教頭は桜井房記であった。佐久間信恭は同僚の一人であった。月俸二百円、明治二十四年十一月より二十七年十月まで満三年勤続した。初めの住所は手取本町三四に定めたがキリスト教会の鐘が近くに聞えるので、坪井西堀端町三五に移った。
田部隆次 小泉八雲 ラフカディオ・へルン(中公文庫) 177ページ
特筆すべきは第五高等学校での八雲の給料です。月俸が200円であったとありますが、この額は島根県松江尋常中学校(「ばけばけ」の松江中学のモデル)で得ていた給料(100円)の2倍です。
当時の100円の金銭価値を幕末にいた武士の知行に直すと、400石取りの上級武士に相当したと言われています。八雲は熊本の第五高等学校に赴任した時には給与だけで「800石取りのサムライ」に匹敵するほどの収入を得たことになるでしょう。
なお、朝ドラ ばけばけのネタバレとあらすじを1話から最終回(125話)まで一気に読みたいという方は、「朝ドラ ばけばけ ネタバレ あらすじ 最終回まで」という記事を参考にしてくださ
ばけばけ 第17週 キャスト 相関図
ばけばけ 第17週 キャスト 相関図
ばけばけ 全体のキャスト 相関図
朝ドラ「ばけばけ」全体のキャスト一覧と相関図です。
ばけばけ 第17週 関連記事と参考文献
ばけばけ 第17週 関連記事
小泉八雲が少年時代に左目を失明し、さらに残った右目も近視であったという話については下記の記事が参考になるでしょう。
ばけばけ 第17週 参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。

