困窮したのちの小泉チエについて
小泉チエは1912(明治45)年に74才で死去
NHKの朝ドラ「ばけばけ」で北川景子さんが演じる雨清水タエのモデルとなった小泉チエは、1912(明治45)年1月に亡くなります。享年74。
「八雲の妻」の281ページでは小泉チエが亡くなったことを記述していますが、小泉チエの死因については述べられていません。
ただ厚生労働省が発表している1910年ごろの日本人女性の平均寿命(平均余命)が44.73才であったことを考えると、74才まで生きた小泉チエは天寿を全うできたと言えるくらいの年齢になるでしょう。
極端な貧困に陥ったことがある小泉チエ
2025年11月5日水曜日に放送された「ばけばけ」第6週「ドコ、モ、ジゴク。」の28話で雨清水タエが松江市内の道端で物乞いをしているという衝撃のシーンが描写されました。
モデルとなった小泉チエも三度の食事も人に乞うほど極端に没落していたことは事実で、彼女の最期はどうなるのだと気になる視聴者の方も多いのでしょう。
実在の小泉セツも実母・小泉チエに仕送りをしていた
「ばけばけ」の第7週「オトキサン、ジョチュウ、OK?」で松野トキ(髙石あかり)は、借家暮らしをするヘブンの元で女中をすることを承諾。ヘブンから20円と言う高額の月給を受け取り、その給料の約半分はタエに仕送りをします。
松野トキのモデルとなった小泉セツも小泉八雲と結婚したのち、八雲の仕事の関係で松江から熊本・神戸・東京と引っ越しを繰り返しますが、毎月9円の仕送りを続けていたそうです。
言うまでもなくセツからの仕送りで小泉チエは人として尊厳を保てる暮らしができました。以下の文章は小泉チエの晩年に関わるエピソードです。
小泉チエ 晩年のエピソード 2選
1. 素直に自分の気持ちを表した小泉チエ
1895(明治28)年9月、59才になった小泉チエは松江から神戸にいるセツに宛てて長い手紙を出しています。そこにはセツに対する感謝の気持ちが素直に表れています。
セツの仕送りによって生きる五十九歳のチエは、「ひとえニ〳〵おせつどのの(お)かげとよろこび申し」と言った表現で、繰り返し感謝の気持ちを表している。また「いろ〳〵とおせわになり」…「びようき(に)つきさま〳〵い(お)志ばえかけ…」と書き、「そのごおん」と言う言葉さえ使っているが、文面全体が素直な調子に貫かれ、心の卑屈さや屈折さを感じさせない。
長谷川洋二 八雲の妻: 小泉セツの生涯 潮文庫 184ページ
ちなみにこの手紙は小泉八雲が東京帝国大学文科大学で教鞭を執るために東京へ引っ越しをする前に出されたものでした。八雲が帝国大学の講師として得る給料は400円で、島根県尋常中学校で得ていた給料の4倍に当たる額です。
八雲が中学校の英語教師として得ていた100円の価値は、江戸時代で言うと400石相当。小泉家の家禄は300石でしたから、その時点で八雲の給料は小泉家の家禄を追い抜いていましたが、帝大の講師になると1,600石相当に跳ね上がります。
小泉チエの実家・塩見家の家禄は1,200石でしたから、経済面だけで言えば小泉の分家である八雲は、帝大の講師になることで塩見家の「家禄」さえ追い抜いてしまったのです。
そのため小泉チエはセツに宛てた長い手紙の中で、八雲が帝国大学から得る高給に驚きと喜びも表現しています。
2. 晩年も小泉チエに孝行を尽くした小泉セツ
また小泉セツは単にチエに仕送りをしていただけではなく、チエが病気になったときはセツの看病もしていたようです。小泉八雲・セツ夫妻の長男である小泉一雄の著作である「父小泉八雲」に以下の記述があります。
明治三九年八月末、私と次弟巌が焼津海岸から何も知らずに元気で帰京した日の夕、殆ど入替りに母は実母チエ刀自重病看護のためとて、突如大阪へ出立された。養祖母トミ刀自に留守を、時折訪問監督を三成氏に托して……真に異例な事であった。幸い月余にして大阪の祖母は全快されたそうだが、今度は母本人が旅先で脳病に罹り、半年余り家を空けられた。
小泉一雄. 父小泉八雲 後篇 (pp. 104-105). (Function). Kindle Edition.
引用文にある「明治三九年」は1909年のことであり、すでに八雲は亡く、セツは一雄の他にも巌・清・寿々子の小さな子供たちの母親の立場にありました。しかしこのときセツは大阪で親戚とともに住んでいたチエの元に駆けつけ、看病も行っていたことが明らかにされています。
どうしようもないほどの貧困に陥ったチエを経済的に救うために、世間から「ラシャメン」と蔑まれることを覚悟の上で、八雲の女中を引き受けた小泉セツですが、その親孝行はチエの晩年になっても消えることはなかったのでしょう。
小泉チエ 関連記事と参考文献
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朝ドラ「ばけばけ」の北川景子さんが演じる雨清水タエのモデルとなった小泉チエについては、下記の記事でも言及しています。
小泉チエ 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。

