前田為二との最初の結婚
小泉セツは2度結婚していた
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなっている小泉セツは、生涯のうち2度結婚をしています。
1度目の結婚相手は前田為二(「ばけばけ」山根銀二郎のモデル)で、2度目の結婚は、「ばけばけ」のヘブン(トミー・バストウ)のモデルとなっている小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)です。
婿養子に逃げられた最初の結婚
小泉セツは、1886(明治19)年、18才のときに養家の稲垣家に婿養子として迎えられた前田為二と最初の結婚をします。
前田為二は働き者で歌舞伎や人形浄瑠璃などが好きな青年でした。お話好きなセツにとって、前田為二はぴったりのお相手でお話を教えてもらうこともありましたが、2人の結婚はすぐに破綻します。
小泉セツと前田為二の結婚が上手くいかなかった理由は2つ考えられています。
養祖父・養父が婿を見下していた
前田為二の出自は、旧鳥取藩の足軽です。足軽とは武士の最下級身分でした。江戸時代においては「並士」と言われた上級武士の家系である稲垣家から見れば、前田為二の身分ははるかに低いとされていました。
小泉セツの養祖父・稲垣万右衛門と養父・稲垣金十郎は、明治も20年近くが過ぎているにも関わらず、両家の「身分の違い」にこだわり、為二を稲垣家の家風に合わせようと「鍛え直そう」としていたようです。
婿が稲垣家の男たちに愛想を尽かした
しかし、万右衛門と金十郎は厳しい態度で接してくる割には、稲垣家の家計を支えるために何ら為すことはありません。要するに稲垣家の家計を助ける為二にしてみれば、2人は「口やかましい存在」にしか見えないのです。
結局、為二は1年後にはそんな稲垣家に愛想がつき1人で大阪に住まいを移します。このとき小泉セツは松江に戻るよう大阪まで出向いて説得しますが、為二が稲垣家に戻ることは二度とありませんでした。
小泉八雲との2度目の結婚
八雲の母・ローザの境遇に重ねられた小泉セツ
小泉セツの2度目の結婚は1891(明治24)年8月で、結婚相手は島根県松江尋常中学校(現在の島根県立松江北高等学校)の英語教師であったラフカディオ・ハーンでした。このときセツは23才でハーンが41才です。
小泉セツは同年2月から富田旅館の女将ツネの紹介で、ハーンの下宿先の住み込み女中となっていました。このときからハーンは上級武士の家系から没落したセツと、母のローザ・カシマチの悲しい境遇を重ね合わせるようになり、セツとの結婚に至ったと考えられています。
西田千太郎の仲立ちによる国際結婚
2人の結婚は当時は珍しい国際結婚で、しかもラフカディオ・ハーンがイギリス国籍を捨てて、日本国籍になるという形態です。
セツとハーンは簡単な日本語を英語の文法に合わせることによって意思疎通を図っていました。しかしセツに前田為二との婚姻歴があることや、養家の稲垣家と生家の小泉家に合計6人の扶養家族がいるなど、セツは複雑なことを英語で説明することはできません。
このとき2人の意思疎通を助け、結婚の仲立ちを人物が、松江尋常中学校の教頭・西田千太郎(「ばけばけ」錦織友一のモデル)でした。西田はハーンの帰化申請にも尽力したと言われています。
再話文学の語り手としての小泉セツ
小泉セツは自らの言葉で八雲に話を聞かせていた
小泉セツは小泉八雲との結婚によって、4人の子どもをもうけます(一雄・巌・清・寿々子)。
しかしこの結婚によって小泉セツが担った役割は、八雲の子どもたちを産んだだけではなく、「再話文学の語り手」があります。小泉セツは日本の古くからあった言い伝え・伝承・神話などを、小説家としての小泉八雲に分かる言葉で語って聞かせていました。
「小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン」に付属している、小泉セツが八雲との結婚生活を綴った「思ひ出の記」では、セツが八雲に話を聞かせている時の様子が描写されています。
私が昔話をヘルンに致します時には、いつも初めにその話の筋を大体申します。面白いとなると、その筋を書いて置きます。それから委しく話せと申します。それから幾度となく話させます。私が本を見ながら話しますと「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません」と申します故、自分の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました。
田部隆次. 小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン (中公文庫) (Function). Kindle Edition. No.3422
小説「怪談」は小泉八雲・セツの共同作業によって生まれた
中でも小泉八雲が最晩年の1904(明治37)年に発表した、小説「怪談」は小泉八雲とセツの共同作業の作品として傑作中の傑作です。
2025年に再版された「小泉八雲 ラフカディオ・へルン」では、巻末において早稲田大学名誉教授で英文学者の池田雅之氏は、日本に帰化した後の小泉八雲の作品における、小泉セツの役割をこのように評価しています。
このセツの語りからは、『怪談』という晩年の傑作は助手という立場を超えて、八雲とセツの共同作業によって誕生したことがうかがい知れます。『怪談』だけではなく、八雲の日本時代の十三冊にも及ぶ著作の誕生の背景には、セツ夫人の助力があったことが知られています。本書の第一四章「人、思想、芸術」でも、田部はセツ夫人の尽力ぶりについて触れていますが、『知られぬ日本の面影』(拙訳では『日本の面影』)の取材や、松江での怪談話の採話にも、セツは同行しているのです。
田部隆次. 小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン (中公文庫) (Function). Kindle Edition. No.4879