小泉八雲関連の資料整理にあたった小泉時
小泉時の紹介
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなった小泉セツは、小泉八雲(「ばけばけ」ではレフカダ・ヘブンのモデル)の再話文学の語り手(リテラシーアシスタント)として明治・大正・昭和時代初期に活躍した人物です。
その小泉八雲と小泉セツには6人の孫がおり、今回は長男・小泉一雄の息子である小泉時(こいずみとき)(1925~2009年)さんにスポットをあてた記事となります
小泉八雲 孫 参考文献
小泉八雲と小泉セツさんの孫である小泉時さんに関する内容について参考とした文献は以下の2冊です。
小泉時とはどんな人物だったのか
小泉一雄・喜久恵夫妻の長男として誕生
1925(大正14)年、小泉時さんは小泉一雄・喜久恵夫妻の長男として誕生。「時」という名前から周囲からは「とき」ではなく、よく「タイム」と呼ばれていたそうです。
誕生時には新宿・西大久保で生家と同じ敷地内には別棟で暮らす小泉セツが健在で、3才のときまでは「スープの冷めない距離」で暮らしていたそうですが、1928(昭和3)年ごろに埼玉県の大宮市(現在のさいたま市)に引っ越し。
その後、小泉セツは1932(昭和7)年に脳溢血で亡くなります。
フェラーズ准将の紹介でGHQで勤務
小泉時さんは社団法人電信協会管理無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業した後、山下機船・三井船舶に勤め、日本が太平洋戦争で敗戦した後は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の第71通信大隊に無線通信士として勤務。
小泉時が数少ない日本人オフィスワーカーとしてGHQで働くことができたのは、父・小泉一雄の親友であり、ダグラス・マッカーサー元帥の秘書官でもある、アメリカ陸軍のボナー・フェラーズ准将(1896~1973年)の紹介があったためです。
フェラーズ准将は、陸軍士官学校に士官候補生として在籍していたときに、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「神国日本」を読んでことで日本への関心を高めていました。
定年退職後に小泉八雲生誕の地 レフカダを訪問
その後、小泉時さんは1985(昭和60)年に在日米軍司令部報道部を定年退職したのち、小泉八雲に関係する膨大な量の資料整理にあたります。
さらに同年5月25日から28日にかけて、ギリシアのイオニア諸島にあるレフカダ島に夫人と共に訪問。レフカダは小泉八雲の生誕の地でもあり、終焉の地となった新宿区との文化交流を目的とした訪問でした。
ちなみに小泉時さんは日本の民俗学者で、島根県立大学短期大学部総合文化学科名誉教授の小泉凡(小泉八雲・セツの曾孫)さんの父でもあります。