小泉時の良き遊び相手であった小泉寿々子
小泉寿々子の紹介
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなった小泉セツは、小泉八雲(「ばけばけ」ではレフカダ・ヘブンのモデル)の再話文学の語り手(リテラシーアシスタント)として明治・大正・昭和時代初期に活躍した人物です。
その小泉セツは小泉八雲との結婚によって3人の男の子(一雄・巌・清)と1人の女の子(寿々子)を出産します。今回の記事ではその兄弟たちの中でも唯一の女の子である、小泉寿々子(1903~1944年)について紹介します。
小泉八雲の娘 小泉寿々子 参考文献
小泉八雲と小泉セツさんの娘である小泉寿々子に関する内容について参考とした文献は以下の2冊です。
小泉寿々子とはどんな人物だったのか
小泉八雲・小泉セツの長女として誕生
1903(明治36)年、小泉寿々子は、小泉八雲と小泉セツとの間の4番目の子供(長女)として誕生。しかし翌1904(明治37)年、小泉八雲は狭心症のために51才で亡くなります。寿々子がわずか1才の時のことでした。
さらに寿々子は幼少の頃に猩紅熱から脳膜炎を引き起こしています。この後遺症かどうかは分かりませんが、「ヘルンと私」によると、春や秋などの季節にはフラフラと出歩いて、同居している家族を心配させることがあったと言われています。
と言って寿々子本人はメソメソする訳でもなく、家人が注意を払っていれば、近所から苦情が出るということもほとんどなかったそうです。
小泉時の「姉貴分」だった小泉寿々子
小泉八雲の死後、小泉寿々子は母・小泉セツと暮らし、小泉セツの死後は、長兄にあたる小泉一雄と一緒に暮らしていました。
その間、周囲から「タイム」と言われた小泉時(こいずみとき・小泉八雲とセツから見て孫)と接していることが多く、小泉寿々子が「姉貴分」として小泉時の遊び相手となっていました。
「ヘルンと私」の著者でもある小泉時は、小泉寿々子を「気の毒な人生を送った」、後年に寿々子を引き取った父・小泉一雄は「大変な気苦労を強いられた」とする一方、このようにも述べています
八雲の母親ローザは、自分の子供から無理やりに離され、生まれ故郷のギリシアのコルフの精神病院で亡くなったが、寿々子の場合、一生を独身で過ごしたことは、不幸中の幸いでなかったか。また戦争で苦しくなるまでは、まあまあの生活を送れたことも、ローザよりは幸せといえるのではないかとも思われる。
小泉時「ヘルンと私」恒文社 130ページ
「ヘルンと私」の小泉寿々子
「ヘルンと私」を読んでいると、小泉寿々子の名前や家族と共に写っている写真がたびたび登場します。
著者の小泉時がまだ幼かったときに信州の山田温泉や、鵜飼い見物をするために岐阜県の長良川に旅行した思い出の場面で登場するせいか、「まあまあの生活」というよりも「それなりに幸せな生活」を送っていたように見えます。
さらに小泉寿々子は当時の撮影に写っている人物としては珍しく笑っています(昔は写真は貴重であり技術的な観点から笑顔を撮影することはほとんどなかった)。その表情を見る限り、寿々子自身は決して不幸せな生活を送っていたようには見えません。
小泉寿々子はどんな人物だったのかさらに知りたい方は、「ヘルンと私」を読んでみることをおすすめします。