柳瀬キミ 柳井千代子(戸田菜穂)のモデル 柳井崇の伯母
NHKの朝ドラ「あんぱん」で戸田菜穂さん扮する柳井千代子(やないちよこ)は、やなせたかしさんの伯母・柳瀬キミ(やなせきみ)がモデルです。
柳瀬キミもやなせたかしと柳瀬千尋を引き取り育てる
NHKドラマブログで朝ドラ「あんぱん」に登場する柳井千代子の役柄についてはこのように紹介されています。
厳しさと優しさを持ち合わせた女性。
夫の寛とともに、おいっ子の嵩と千尋を預かることになる。2025年度前期 連続テレビ小説『あんぱん』出演者発表第5弾<柳井家の人々> NHKドラマブログ より
実在した柳瀬キミも、朝ドラ「あんぱん」の柳井千代子が柳井崇(北村匠海)・柳井千尋(中沢元紀)を預かったように、やなせたかしさんが7才のときから預かり、弟の柳瀬千尋さんにいたっては2才のときから養子として育てています。
柳瀬キミとはやなせたかしの伯母 京都出身で京都弁の美人
朝ドラ「あんぱん」で登場する柳井千代子のモデルとなった柳瀬キミとはどんな人物だったのでしょうか?
柳瀬キミとは? 柳瀬キミの人物像
「慟哭の海峡」では、やなせたかしさんの伯父である柳瀬寛が経営する「柳瀬医院」によく出入りしていた竹田(安丸)信子さんが、柳瀬キミの印象を語っています。
引用した文章にある「おばちゃん」と呼んでいる女性が柳瀬キミのことです。
「おばちゃんは京都の人で、京都弁ながよ。歩いても内足で着物を着いて、ときたまエプロンをかけておいでた時もありましたがね。おばちゃんは美人でね、ちょっと変わった髪を結うておられてね。団子のようなものを首のあたりにこしらえて、風船を膨らませたような髪をしておいでた。私がよくおばちゃんの内足を真似してコネコネ歩いていたりしたんです。荷物をわざと提げてね。そしたら、”いやあねえ、のぶちゃん”ゆうておばちゃんにからかわれました」
門田隆将「慟哭の海峡」 角川書店 124ページより
柳瀬キミと柳瀬千尋の関係
やなせたかしさんの伯父・柳瀬寛と伯母・柳瀬キミの夫婦の間には実の子がいませんでした。そのためやなせたかしさんの父である柳瀬清と早くから、やなせたかしさんの弟・柳瀬千尋を養子にすることは、兄弟の間で早くから決めていたようです。
柳瀬寛・キミ夫妻は柳瀬千尋を女の子のように可愛がる
そのため柳瀬寛と柳瀬キミの夫婦は、養子に迎えた柳瀬千尋をことのほか可愛がったようです。その様子はやなせたかしさんの詩集である「やなせたかしおとうとものがたり」の「赤い着物」という詩の中で語られています。
弟はちいさいときしばらく
女の子の格好をさせられていた
おかっぱにして
赤い着物をきていた
それはひとつには
身体のよわい子どもは
女の子として育て方がいい
という迷信のためと
ひとつには
女の子がほしかった
両親のねがいからだった
色白で長いまつげの
弟には赤い着物がよく似あった
だれでもはじめてあうひとは
「かわいいお嬢さん」といった
そのたびに弟は
「男の子だい!」と
赤い着物をめくりあげて
男の子のしょうこをみせたやなせたかし 「やなせたかしおとうとものがたり」 フレーベル館 12ページより
やなせたかしさんが小学校2年生で柳瀬寛・キミ夫妻に引き取られたときは、玄関横の書生部屋で寝かされていたのに対し、千尋は奥の間の自分たちの寝室に引き入れられて伯父夫婦と一緒に川の字になって寝ていたと言います。
柳瀬キミは柳瀬千尋を溺愛した
やなせたかしさんは、自著の「アンパンマンの遺書」や「人生なんて夢だけど」において、伯父夫婦のおかげで東京高等工芸学校図案科(現在の千葉大学工学部デザイン科)を卒業するまで、何不自由のない学生時代を過ごせたと回想しています。
柳瀬千尋に比べて、やなせたかしさんは伯父や伯母に冷遇されたという育てられ方はしていません。しかしそんなやなせたかしさんが振り返っても、柳瀬寛・キミ夫妻は弟に甘すぎるのではないかと思うほどわがままに可愛がったといいます。
柳瀬千尋が戦死したあとの柳瀬キミ
柳瀬キミは柳瀬千尋を大変愛しただけあって、台湾・フィリピンの間にあるバシー海峡で、潜水艦との戦闘に巻き込まれ、海軍中尉として戦死したときは深い悲しみに襲われたようです。
柳瀬千尋の戦死
どのような任務に従事したかもよく分からず、柳瀬千尋が戦死したことだけが伝えられたとき後の柳瀬キミの様子は「アンパンマンの遺書」でこのように伝えられています。
やなせたかしさんは陸軍兵として中国の上海で武装解除をして、復員船に乗って長崎県の佐世保に帰国、その後故郷の高知に向かいました。
四国に渡り、故郷の高知県に入ると昔と同じ山河があった。南国市後免町の家もそのままだった。
伯母(ぼくはお母さんと呼んでいた)も元気だった。
「お母さんただ今帰りました」
伯母は泣き出した。もうひとりのちいさな叔母も涙ぐんだ。
「チイちゃんは死んだぞね」
と伯母は言った。やなせたかし 「アンパンマンの遺書」 岩波現代文庫 68~69ページ
また戦後、高知の後免野田小学校から京都帝国大学で柳瀬千尋と同窓生であった人物に広井正路という人物がいます。この広井正路の長男・正浩氏は「慟哭の海峡」で、戦後に会った柳瀬キミの様子をこのように語っています。
「親父が柳瀬さんのところを訪ねた時、お母さんが親父の姿を見て、泣き崩れたそうです。ひょっとしたら、親友の仙頭さんも一緒だったのかもしれません。親父たちはもう、かける言葉がなかったそうです。親父は小さな時から柳瀬さんのところに遊びに行ってましたから、余計、お母さんが柳瀬さんのことを思い出されたんじゃないでしょうか。」
門田隆将「慟哭の海峡」 角川書店 234ページより