小松暢 乳がん 肝臓がんとの闘病中に再入院
やなせたかしさんの妻・小松暢さんの死因は頭部血管破裂です。1993年11月にがんの放射線治療に伴う内出血で輸血が必要になり、女子医大に入院をしていました。
小松暢さんは体質的に貧血気味で、しかもふつうの人と比べて血管が並外れて細く、内出血を起こしやすかったそうです。乳がんと肝臓がんの治療のため1988年以来の入院となった小松暢さんの様子を、やなせたかしさんは気が気でなかったと「アンパンマンの遺書」で述べられています。
小松暢 1993年11月24日没 享年75
小松暢さんが再入院した当初、輸血した血液が全身に渡った頃には顔色が良くなり、元気を取り戻したかのように見えましたが、最期は苦しむこともなく亡くなったそうです。同じく「アンパンマンの遺書」ではこう述べられています。
カミさんが逝ってしまったのは、十一月二十二日四時過ぎだった。
ほとんど何の苦しみもなく息が絶えた。頭の血管が破れた。七十五歳の生涯が終わった。やなせたかし 「アンパンマンの遺書」 岩波現代文庫 254ページ より
小松暢 「余命三ヶ月」から6年の闘病
小松暢 死後のやなせたかしの様子
生前のやなせたかしさんは65歳ぐらいで引退して、小松暢さんに見守られながら、ささやかに人生の最後を迎えることを考えていたようです。しかしその小松暢さんが先に亡くなってしまったことで、その「プラン」は見事に破れてしまい、茫然自失としたそうです。
とにかく、ぼくはしばらく茫然自失。夜はねむれず、精神安定剤をのんだ。食欲もなかった。
このあとぼくは何をするべきか。何を目標に生きるべきか。
アンパンマンのテーマソングはぼくの作詞だが、幼児アニメーションのテーマソングとしては重い問いかけになっている。ぼくはお子さまランチや、子供だましの甘さを嫌った。なんのために生まれて
なにをして生きるのか
わからないままおわる
そんなのはいやだ!何をして生きるのか、自分に問いかける時が来た。
やなせたかし 「アンパンマンの遺書」 岩波現代文庫 255ページ より
やなせたかしさんは、小松暢さんが1993年に亡くなってから、約20年のちの2013年に94歳で亡くなることになります。しかし小松暢さんが亡くなったときほど、やなせたかしさんがショックに思ったことはなかったでしょう。