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小松暢 家系図 やなせたかし 妻 朝ドラ あんぱん 朝田のぶ

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小松暢 あんぱん 朝田のぶ(今田美桜)のモデル

2025年前期朝ドラ「あんぱん」のヒロイン・朝田のぶ(今田美桜)のモデルは、漫画家・やなせたかしさんの妻である小松暢さんです。すでに朝ドラ「あんぱん」では朝田のぶの相関図や家族構成、演じるキャストが発表されています。

今回ご紹介するのは、その小松暢さんの家系図と、その家系図に関わる人たちです。

小松暢の家系図

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池田鴻志 (いけだこうし)

小松暢さんの父。池田鴻志さんは1885年に高知県安芸市で誕生。高知商業学校(現在の高知市立高知商業高校)を経て、関西法律学校(現在の関西大学)を卒業。

1916年に鈴木商店系列の九州の炭鉱会社に入社。すぐに鈴木商店に引き抜かれ大阪木材部に異動して、1919年に釧路出張所長に。

池田鴻志さんは朝ドラ「あんぱん」では朝田のぶの父・朝田結太郎(加瀬亮)のモデルと考えられます。

小松総一郎(こまつそういちろう)

小松暢さんの最初の夫。1912年生まれで、1918年生まれの小松暢さんより6才年上。1939年に小松暢さんと結婚。日本郵船株式会社に勤務していたが、戦争のため召集され終戦直後に病死。

小松暢さんの「小松」という姓は、小松総一郎さんと結婚したことから来ています。なお朝ドラ「あんぱん」では、小松総一郎さんに相当する人物は、現在のところいません。

柳瀬崇(やなせたかし)

やなせたかしは高知県立城東中学校(現在の高知県立追手前高校)を卒業後に、東京工芸学校図案科(現在の千葉大学工学部デザイン科)を経て戦前には田辺製薬(現在の田辺三菱製薬)に入社。

日中戦争の勃発により1940年に徴兵され、小倉にある野戦重砲連隊に配属されます。戦後は鉄屑拾いを経て、高知新聞社の「月刊高知」の編集担当として小松暢と同僚として働くことになります。

なお、やなせたかしさんの側の家系図については、「やなせたかし 家系図」の記事を参考にしてください。

小松暢はやなせたかしと再婚

小松暢さんは最初に小松総一郎さんと結婚しているため、やなせたかしさんとは二度目の結婚、つまり再婚をしたことになります。

やなせたかしさんは自著の「アンパンマンの遺書」や「人生なんて夢だけど」では、はっきりと述べていませんが、文脈を読み取ると、1947年の後半ぐらいに小松暢さんと結婚をしていたと考えられます。

小松暢(こまつのぶ)

1918年に大阪市で生まれます。大阪の女学校を卒業した後、1946年に高知新聞社に入社し、月刊「コウチ」の編集を担当。その後、上京して社会党選出の代議士の秘書となり、1947年にやなせたかしさんと結婚。

なおやなせたかしさんんとの間に子どもはいません。

小松暢 家系図の参考図書

小松暢さんの家系図に関わる参考図書は「アンパンマンの遺書」と「人生なんて夢だけど」です。

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