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晩年の大関和
眠るかのごとく亡くなった大関和
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」の主人公・一ノ瀬りん(見上愛)は、「明治のナイチンゲール」とも言われた大関和(おおぜきちか)(1858~1932年)さんがモデルとなっています。
その大関和さんは死因は老衰であったと考えられます。亡くなったのは1932(昭和7)年5月22日のことで、大関和さんが74才のときのことでした。
「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」では大関和さんの死因についてはっきりと語られていませんが、亡くなったときの様子はまるで眠るかのようであったと伝えています。
脳溢血で半身不随となった晩年の大関和さん
晩年の大関和さんは脳溢血に苦しめられます。1929(昭和4)年の年末、70才に達していた大関和さんは舌がもつれてめまいを覚え、急に倒れます。
幸いこのときは命を取り留めますが半身不随となり、のちに両手も不自由となり食事には介助が必要となる程でした。
病の床についた大関和さんは経営する派出看護婦会である「大関看護婦会」を、甥である川原博巳の妻・川原貞に託します(翌年には「大関看護婦会」の経営は大関和さんの弟子である斎藤アサヨさんに交代)。
ラジオでも報じられた大関和さんの死
最晩年の大関和さんには木下操さん、相馬愛蔵さん、川原釛さんといった、かつて自分が訓導した弟子や、看護した患者、妹たちが看病や見舞いのために集まります。
また亡くなったのち、大関看護婦会に届けられた花輪は本郷春木町の坂の上まで並べられ、川原貞さんが預かった香典は袱紗では包むことができず、風呂敷で包まれたほどでした。
大関和さんの死はラジオでも伝えられ、「明治のナイチンゲール」と呼ばれた大関和さんは、生前いかに大勢の人から慕われていたかが分かります。