「東京看護婦会」を辞職したあとの鈴木雅
82才で死去した鈴木雅
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で主人公・大谷直美(上坂樹里)のモデルは、鈴木雅(すずきまさ)さんです。明治時代に当時は珍しかった「トレインドナース」となり、のちに日本で最初の派出看護婦会である「慈善看護婦会」を設立します。
その鈴木雅さんは1940(昭和15)年に82才で亡くなります。死因は分かりません。
「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」と「明治のナイチンゲール 大関和物語」には「盟友」である大関和さんの事績とともに、鈴木雅さんの事績も記されていますが、なぜ亡くなったのか死因について触れている記述はありません。
44才で現役引退した鈴木雅
鈴木雅さんが亡くなった年は1940(昭和15)年で82才のときのことでしたが、看護婦として一線を退くのは1901(明治34)年で、鈴木雅さんが44才のときのことです。経営していた派出看護婦会の「東京看護婦会」を大関和さんに引き継ぎます。
令和の現代よりも寿命が短かった明治時代とはいえ、40代で現役を退くことはかなり早い引退であったと言えるでしょう。
「明治のナイチンゲール 大関和物語」によると、鈴木雅さんの引退理由は息子である鈴木良一さんが病気がちでそばについてあげたかったことや、政府が発表した看護婦の規則改正について不満を持っていたからであるとも言われています。
鈴木雅さんの最晩年
1922(大正11)年、鈴木雅さんは閑静な住宅地を求めて、東京の小石川から京都の稲荷山に引っ越し。さらにその4年後には、娘のみつさんと孫の康夫さんが暮らす静岡県の沼津に転居します。
鈴木雅さんは昔語りをすることはあまりなかったようですが、もしアメリカに留学していればナイチンゲールのように胸像の1つも立ったかもしれないということは孫の康夫さんに言っていました。
孫の康夫さんは1940(昭和15)年に徴兵で入隊することになり、その3ヶ月に鈴木雅さんは亡くなりますが、入隊前に最後に交わした言葉には愚痴めいたことは一切なかったようです。