やなせたかしさんと東京高等工芸学校図案科
やなせたかしさんは1940年に東京高等工芸学校図案科を卒業
漫画家で「アンパンマン」の産みの親であるやなせたかしさんの出身大学は、千葉大学工学部総合工学科デザインコースの前身である、東京高等工芸学校図案科です。
やなせたかしさんは1937(昭和12)年、18才のときに東京高等工芸学校図案科に入学し、1940(昭和15)年に卒業をされています。
東京高等工芸学校は、1903(明治36)年に公布された専門学校令に定められた高等教育機関の1つです。中等教育修了者を対象にして高等専門教育を実施していましたので、現在の単科大学に近い存在だったと言えるでしょう。
自由主義的な校風だった東京高等工芸学校
千葉大学工学部総合工学科デザインコースは、千葉市稲毛区にある西千葉キャンパスに校舎があります。しかしやなせたかしさんが通っていた当時の東京高等工芸学校は、現在のJR田町駅から歩いて1分のところにありました。
やなせたかしさんが1937年に入学した当時、日中戦争(1937年〜1945年)が始まろうとしており、東京にも軍靴の足音が近づいていた時期です。しかし東京高等工芸学校は自由主義的な雰囲気を残しており、学校当局が学生の思想を統制することは何もなかったそうです。
やなせたかしさんは著作の「アンパンマンの遺書」で、このような時代背景の中、人生における生き方・考え方の基本は、東京高等工芸学校で学んだと語っています。
人生に「もし」という言葉はないにしても、もしぼくが東京高等工芸学校図案科に合格しなかったら、ぼくのその後の人生はもっと違ったものになったと思う。ぼくの生き方、人生の考え方の基本はすべてこの学校で学んだ。
杉山豊桔先生と「図案科の歌」
朝ドラ「あんぱん」座間晴斗のモデル 杉山豊桔 図案科教授
こうした東京高等工芸学校図案科の自由主義的な校風を体現し、やなせたかしさんも強い影響を受けたと回想する人物が、図案科教授の杉山豊桔(すぎやまとよき)先生です。
杉山豊桔先生はやなせたかしさんをはじめとして図案科の学生たちに「一日中、教室の机にかじりついているのではなく銀座を散歩をして栄養を吸収してきなさい」と教える、型にはまらない先生です。やなせたかしさんは杉山先生の考え方にすっかり傾倒してしまったと語っています。
NHKの2025年朝ドラ「あんぱん」では「第6週 くるしむのか愛するのか」から、柳井崇(北村匠海)と辛島健太郎(高橋文哉)が通う、東京高等芸術学校の図案科教師として、山寺宏一さん扮する座間晴斗(ざまはると)という人物が登場します。この座間晴斗は杉山豊桔先生をモデルにしていると考えられます。
「図案科の歌」 ワッサン
さらにもう一つ東京高等工芸学校の校風と杉山豊桔先生の教えのエピソードを語る上で欠かせないものが、「図案科の歌」でしょう。
やなせたかしさんは杉山先生から教えられた「図案科の歌」を「ワッサン」とも呼んでいますが、意味不明な歌詞は東京高等工芸学校の自由な校風の象徴だったことを「アンパンマンの遺書」で改装されています。
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