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小泉セツ 何をした人 どんな人 小泉八雲 再話文学の語り手

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目次

小泉八雲とセツの共同作業だった小説「怪談」

再話文学の語り手としての小泉セツ

NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなっている小泉セツは、「再話文学の語り手(リテラシー・アシスタント)」として、小説家・小泉八雲の執筆活動を支えました。

小泉セツが小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)(朝ドラ「ばけばけ」のレフカダ・ヘブンのモデル)の作品において再話文学の語り手として活躍を始めたのは、1891(明治24)年に2人が結婚をしてからのことです。

中でも2人の共同作業による最高作品と呼ばれるのは、小泉八雲の最晩年である1904(明治37)年に発表された小説「怪談」です。

「思ひ出の記」で語られる「怪談」の共同作業

小泉八雲の死後に、小泉セツが在りし日の夫婦生活を語った「思ひ出の記」では、「怪談」の作品が夫婦の間でどのように作られていたのかエピソードが語られています。

以下の文章は「小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン」に付属している「思ひ出の記」から引用したものです。

怪談は大層好きでありまして、「怪談の書物は私の宝です」と言っていました。私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。  淋しそうな夜、ランプの心を下げて怪談を致しました。ヘルンは私に物を聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いているのです。その聞いている風がまた如何にも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです。
(中略)
私が昔話をヘルンに致します時には、いつも初めにその話の筋を大体申します。面白いとなると、その筋を書いて置きます。それから委しく話せと申します。それから幾度となく話させます。私が本を見ながら話しますと「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません」と申します故、自分の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました。

田部隆次. 小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン (中公文庫) (Function). Kindle Edition. No.3422

「怪談」以外の作品における小泉セツの助力

小泉セツが「語り手」となった作品

小説「怪談」以前にも小泉八雲の日本時代の作品には、妻・小泉セツの助力がありました。

東京帝国大学文科大学で小泉八雲に師事していた、英文学者の田部隆次は「小泉八雲 ラフカディオ・へルン」の第十六章「著書について」の章で、夫人である小泉セツの語りがもとになっている作品を数多く列挙しています。

1. 「知られぬ日本の面影」1894(明治27)年

  • 第21章「日本海に沿うて」
  • 第24章「魂について」
  • 第25章「幽霊と化け物について」

2. 「心」1896(明治29)年

  • 第5章「阿弥陀寺の尼」
  • 第7章「春」
  • 第15章「君子」

3. 「仏土の落穂」 1897(明治30)年

  • 第2章「街頭より」

4. 「霊の日本」 1899(明治32)年

  • 「因果話」

「知られぬ日本の面影」では取材や話の収集にも同行した小泉セツ

これらの作品は小泉セツが「語り手」となっている作品群ですが、「知られぬ日本の面影」では小泉八雲が日本で取材をした話も含まれています。しかしその取材や松江での怪談話の収集には、小泉セツが同行しています。

日本時代の八雲の世界観は、一貫して「八百屋・飴屋・僧侶・神主・占師・巡礼・農夫・漁師」といった名も無き庶民の目で成り立っています。

こうした世界観は松江藩の上級武士の出身でありながら、明治維新後に没落して高等女学校も出ることなく苦労した小泉セツの世界観が反映されています。

小泉セツとはどんな人? 小泉セツの年表

小泉セツとはどんな人

小泉セツは松江藩の上級武士・小泉家に生まれてすぐ稲垣家の養女となります。1891(明治24)年に、島根県松江に中学校の英語教師として赴任した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と国際結婚をして、再話文学の語り手として小泉八雲の著作に大きく貢献をしました。

小泉セツ 年表

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西暦(和暦)年齢できごと
1868(慶応4) 年0才2月4日に小泉家で誕生。稲垣金十郎トミ夫妻の養女となる
1876(明治9)年8才内中原小学校下等科に入学。城下町の外れに転居
1879(明治12)年11才内中原小学校下等科を修了機織りの女工となる
1886(明治19)年18才稲垣家の養嗣子となった前田為二最初の結婚
1887(明治20)年19才夫・前田為二が出奔。実父の小泉湊が病気のため死去
1890(明治23)年22才前田為二と法的離婚が成立。ラフカディオ・ハーン籠手田安定の招聘により島根県立尋常中学校の英語教師として赴任
1891(明治24)年23才2月に富田旅館でラフカディオ・ハーンの住み込み女中に。8月に西田千太郎の仲立ちで二度目の結婚をし熊本へ転居。
1893(明治26)年25才長男・一雄が誕生
1896(明治29)年28才ラフカディオ・ハーンが日本国籍に帰化し「小泉八雲」と名乗る。東京へ転居
1897(明治30)年29才次男・巌が誕生
1898(明治31)年30才祖父・稲垣万右衛門が亡くなる
1899(明治32)年31才三男・清が誕生
1900(明治33)年32才父・稲垣金十郎が亡くなる
1903(明治36)年35才長女・寿々子が誕生
1904(明治37)年36才小泉八雲が小説「怪談」を発表。
小泉八雲が狭心症で急逝
1905(明治38)年37才在りし日のハーンの様子を語った「思ひ出の記」を執筆
1912(明治45)年44才1月に実母・小泉チエが、8月に養母・稲垣トミが亡くなる
1923(大正11)年55才9月に関東大震災が発生
1932(昭和7)年64才脳溢血で亡くなる
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