稲垣万右衛門とはどんな人物だったのか?
小泉セツには「祖父」と「養祖父」がいた
2025年9月29日から放送が始まるNHKの朝ドラ「ばけばけ」の主人公・松野トキ(福地美晴/髙石あかり)のモデルとなった小泉セツは生後7日にして、実家の小泉家から稲垣家へ養子に出されます。
そのため、小泉セツには小泉家と稲垣家においてそれぞれ「祖父」と呼べる人物が1人ずついました。小泉家の方は小泉岩苔で、稲垣家の方は養祖父にあたる稲垣万右衛門です。
今回の記事では小泉セツの養祖父にあたる、稲垣万右衛門についてご紹介します。
ばけばけの松野勘右衛門のモデルについて
朝ドラ「ばけばけ」では、松野トキの祖父として小日向文世さんが演じる松野勘右衛門が登場します。この松野勘右衛門のモデルは、小泉セツの養祖父にあたる稲垣万右衛門がモデルであると考えられます。
幕末の動乱をくぐり抜けた稲垣万右衛門
朝ドラ「ばけばけ」の松野勘右衛門を演じる小日向文世さんは、自身の役について「明治の世になっても武士を捨てられない」と説明しています。
🎤#ばけばけインタビュー
— 朝ドラ「ばけばけ」公式|9月29日(月)放送開始 (@asadora_bk_nhk) September 20, 2025
松野家鼎談。
主人公の祖父・松野勘右衛門(まつの かんえもん)の役柄について伺いました。#岡部たかし #池脇千鶴 #小日向文世#ばけばけ #9月29日スタート pic.twitter.com/EOHrV3Tr70
それもそのはずで松野勘右衛門のモデルとなった稲垣万右衛門は、幕末の日本において数々の修羅場をくぐってきた古武士然とした侍であったと言われています。
小泉セツの人生を描いた「八雲の妻:小泉セツの生涯」では養祖父・稲垣万右衛門の「戦歴」についてこのように説明しています。
彼は幕末に砲術方を務め、黒船の来航で日本全国の緊張が高まった安政二年(一八五五)には、隠岐の砲台で異国船見張の任についた。また、砲術方頭取となった後の元治元年(一八六四)八月、四国連合艦隊が下関を砲撃するや、直ちに神門郡(かんどぐん)の海岸(出雲国西岸)の西洋式砲台へ派遣された。その間の文久三年(一八六三)、将軍家茂が上洛し、攘夷祈願のため、孝明天皇の賀茂神社行幸に随行した時には、緊迫した京都の二条城や御所の警備に当たったのである。
長谷川洋二「八雲の妻: 小泉セツの生涯」 潮文庫 44ページより
「おじょ」と呼んで小泉セツを可愛がった稲垣万右衛門
「歴戦の兵(つわもの)」といったプロフィールを持つ稲垣万右衛門ですが、その一方で小泉セツが生まれる前には「御子様方御番方(おこさまがたおばんがた)」という役職も務めています。
「御子様方御番方」とは出雲藩主の子供たちの身辺警護と遊び相手を兼ねた役職であると考えられ、万右衛門自身も大の子供好きであったと言われています。
そのため万右衛門は小泉家から稲垣家の養子となった小泉セツのことを、「おじょ(お嬢)」と呼び、大変可愛がっていたそうです。
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