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小泉チエの生涯 家老の娘から物乞いに 小泉セツに支えられた晩年

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目次

小泉チエの生涯を年表に

「ばけばけ」の雨清水タエのモデル・小泉チエ

NHKの朝ドラ「ばけばけ」で北川景子さんが演じる雨清水タエのモデルとなった小泉チエ(1837~1912年)に注目が集まっています。

第3週「ヨーコソ、マツノケヘ」13話において雨清水タエは松野トキ(髙石あかり)の実の母親であることが分かり、さらに第6週「ドコ、モ、ジゴク。」の28話において路上で物乞いをしている姿が描写され、朝ドラファンの注目を集めています。

小泉チエの年表

タエはトキの実母だったことや、物乞いをしている姿は、小泉チエに起きた出来事、つまり実話をベースにしています。そんな波乱に満ちた小泉生涯を年表にすると以下の通りとなります。

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西暦(和暦)年齢(満年齢)できごと
1837(天保8) 年0才松江藩の家老・塩見増右衛門の長女として誕生
1850(天保9)年13才さる高位にある武士と結婚するも破談に
1851(天保10)年14才父・塩見増右衛門が藩主・松平斉貴を諌めて切腹小泉弥右衛門湊と結婚
1858(安政5)年18才長男・氏太郎を出産
1860(万延元)年23才長女・スエを出産
1866(慶応2)年29才次男・武松を出産
1868(慶応4)年30才次女・セツを出産
1870(明治3)年32才三男・藤三郎を出産
1878(明治11)年40才四男・千代之助を出産
1886(明治19)年48才夫・小泉湊が経営する機織会社が倒産
1887(明治20)年49才夫・小泉湊が亡くなる
1891(明治24)年53才セツがラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と結婚。セツからの仕送りで生計を賄うようになる
1895(明治28)年58才セツに宛てて感謝の気持ちを述べる手紙を出す
1909(明治42)年71才親戚の片寄伴之助宅で病気。セツが看護をする
1912(明治45)年74才死去

小泉チエの生涯を解説

松江藩の「お姫様」として育てられた小泉チエ

小泉チエの父は出雲国松江藩の松平家で家老を務めた六代目・塩見増右衛門(しおみますえもん)です。

そもそも出雲松江の松平家といえば、家祖として徳川家康の次男・結城秀康にまで遡ることができる名家です。またチエが生まれた塩見家は松江藩で代々1,400石の高禄を食み、家老を輩出することができる家柄とされていました。

さらにチエの父は、年表に書かれているとおり、1851(天保10)に時の藩主・松平斉貴(まつだいらなりたか)の放蕩三昧な生活を三度諌めて切腹を果たした松江藩では知らぬ人がいない「名家老」でした。

つまり小泉チエは武家が世の中を治める江戸時代の社会において、この上なく名誉ある家に生まれた「サラブレッド中のサラブレッド」だったのです。

現代風の言い方をすると「親ガチャに恵まれた時代の勝ち組だった」とも言えるでしょう。

三度の食事にも困るほど貧窮した生活に

封建時代の武士社会においてこの上なく恵まれた家庭に育った小泉チエの人生が暗転するのは、1886(明治19)に夫・小泉湊の機織会社が倒産し、湊に先立たれてしまったときからです。

このころの日本経済は全国的な不景気に見舞われ、湊の機織会社もその影響を喰らってしまいます。不景気の波は松江で事業を始めた有力な士族の家も押し寄せ、その1つにはチエの有力な親戚であった乙部家も含まれていました。

しかしチエ自身は生粋のお姫様育ちをしていたため、人に雇われて賃仕事をすることなどはできません。さらには不景気で頼るべき親戚も失ったことから、三度の食事にも困るほど生活が困窮します。

小泉セツの仕送りと孝行心に支えられた晩年の生活

そんな貧窮を極めた小泉チエを経済的に支えたのが、次女で稲垣家の養子となっていた小泉セツでした。

小泉セツは1891(明治24)年8月にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と結婚し、実母の小泉チエに毎月9円の仕送りを始めます。

言うまでもなく、仕送りの原資は八雲が学校からもらう給料と、作家として稼いだ本の原稿料や印税です。セツによる仕送りはチエが亡くなるまで続いたようです。

ラフカディオ・ハーンが「小泉八雲」として日本に帰化した理由

小泉八雲はセツと国際結婚をするにあたって、国籍をそれまでのイギリスから日本に変更することを決断。八雲の国籍変更は、単に日本に愛着が湧いたからと言う単純な理由だけではありません。

八雲は、セツには小泉チエのような扶養しなければならない家族が何人もいることを結婚する前に理解していました。

万一自分の身に不幸が起きた場合、全財産がセツをはじめとした日本の家族たちに相続されるために国籍変更を決断したのでした。

しかし、この「古い日本」への愛は、帰化、即ち日本国籍の選択の理由として、その主たる動機に比べればあまりにも小さい。主たる動機とは、信じがたいまでの妻子への気遣いであった。セツと一雄をただ法的に妻子とするだけではなく、自分の亡き後、印税などの遺産を確実に相続し、さらに不都合なく暮らしていけるようにとの配慮である。

長谷川洋二 八雲の妻: 小泉セツの生涯 潮文庫 173ページ

当時、小泉八雲には異母兄妹たちがいました。もし国籍をイギリスのままにしておくと、自分が亡くなった時、イギリスの法律に従って財産がイギリスの異母兄妹に渡ってしまいます。そのことを八雲は非常に恐れていたのです。

小泉チエの生涯 関連記事と参考文献

小泉チエの生涯 関連記事

小泉セツの実母・小泉チエについては以下の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。

小泉チエの生涯 参考文献

今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。

著:ふじき みつ彦, 編集:NHK出版, 監修:NHKドラマ制作班
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