新聞社の「高知新報」とは実在する高知新聞社のこと
柳井崇は新聞社の漫画募集に応募する
NHKの2025年前期朝ドラ「あんぱん」に登場する高知の新聞社・「高知新報」のモデルは高知新聞社のことです。
「あんぱん」の第3週「なんのために生まれて」で、柳井崇(北村匠海)は弟・柳井千尋(中村元紀)に急かされて新聞社が応募する漫画募集に応じようとします。この漫画を募集している新聞社は、架空の「高知新報」のことを指します。
このとき崇の作品は見事、入賞して賞金の10円を手にします。現在の金銭感覚からすると、この10円は10万円程度の価値があると考えられます。
朝田のぶは戦後、高知新報に記者として採用される
「あんぱん」の作中では、高知新聞社がモデルとなった「高知新報社」は第13週「サラバ涙」にも登場します。
1945年8月に日本が太平洋戦争に敗北した後、朝田のぶ(今田美桜)はそれまで軍国主義的な教育を御免与尋常小学校の生徒たちに強いていたことを悔やんで、教師を辞職します。
教師を辞めた後には「何が真実かは自分で見極める」と意気込んで、女性の記者も積極的に採用する新聞社に就職の応募をします。その新聞社こそが「高知新報」でした。
朝ドラ「あんぱん」と高知新聞社の関係
やなせたかしさんは戦後に高知新聞社に就職
「あんぱん」に登場する「高知新報」のモデルとなった、実在する高知新聞社は、柳井崇のモデルとなった漫画家・やなせたかしさんと、朝田のぶのモデルとなった小松暢さんと深い関係があります。
やなせたかしさんは、戦後に中国大陸から復員した後、1946(昭和21)年6月に高知新聞社に社会部記者として採用されます。
やなせたかしさんと小松暢さんは「月刊コウチ」で知り合い、結婚
その後、高知新聞社は「月刊コウチ」と言う月刊誌を出すことになり、やなせさんはその編集部に配属されることになります。そのときに知り合ったのが同じく記者だった小松暢さんです。そのときの様子がやなせたかしさんの著作である「人生なんて夢だけど」で紹介されています。
ある日編集長に呼ばれて「今度我が社では月刊誌を出すことになった。君はそこに配属される」
雑誌の名前は「月刊コウチ」、編集長は青山茂。その下には品原淳次郎、女性記者の小松暢、原君というイガグリ頭の坊やがひとり、それとぼくという総勢五人のスタッフ。編集室は焼け残った本社ビルの三階の空室の片隅をベニヤ板で囲って机を並べただけのお粗末なスペース。やなせたかし「人生なんて夢だけど」フレーベル館 100ページから101ページ
のちにやなせたかしさんと小松暢さんは、高知新聞社の「月刊コウチ」編集部で知り合ったことがきっかけで結婚することになります。
