最初の結婚相手: 山根銀二郎とモデルの前田為二
松野家の婿取りは稲垣家の婿取りがモデル
NHKの朝ドラ「ばけばけ」の第2週では主人公・松野トキ(髙石あかり)は、旧・鳥取藩の士族・山根銀二郎(寛一郎)を松野家の婿として迎え入れ結婚をします。
「ばけばけ」の松野トキが山根銀二郎と結婚をするというお話は、モデルとなった小泉セツが1886(明治19)年に、旧・鳥取藩の前田為二(まえだためじ)という男性と結婚した事実に基づいていると考えられます。
より正確にいうと跡継ぎとなる男の子がいなかった、小泉セツの養家・稲垣家では、前田為二を養嗣子に迎えるという形の婿取りでした。
為二が出奔しセツは離婚
しかし小泉セツと前田為二の結婚は1年と持たずに破綻。為二は働き者でセツと為二の関係は良好であったものの、セツの養祖父・稲垣万右衛門や養父・稲垣金十郎と反りが合わなかったようです。
為二は武士の最下級身分である足軽の出身で、かつて上級武士の家系を誇った稲垣家の人間からすると「しつけ」の名を借りた「いじめ」の対象になっていました。
このいじめに耐えかねた為二は大阪に出奔。このときセツは松江から大阪まで出向いて復縁するように説得を試みますが失敗します。
なお朝ドラ「ばけばけ」の第4週において銀二郎が松野家を出奔して東京へ向かいます。トキが松江に連れ戻そうとして上京するも失敗するという場面が描かれますが、これらは史実をベースとした描写であると言えるでしょう。
離婚後「稲垣セツ」から「小泉セツ」に復籍
体面にこだわる稲垣家の人たちは松江市役所に「失踪届」を提出。一方、セツを養家である稲垣家の籍から抜き、実家である小泉家に復籍させます。
この書類上の手続きは、セツの籍を変えることで経歴に傷がつかないようの精一杯の「配慮」であったと考えられます。
しかし、セツが離婚したという事実は変わらず、働き手を1人失った稲垣家は家計が苦しくなったことは言うまでもありません。
2回目の結婚: レフカダ・ヘブンと小泉八雲
八雲の母・ローザの境遇に重ねられた小泉セツ
小泉セツの2度目の結婚は1891(明治24)年8月で、結婚相手は島根県尋常中学校(現在の島根県立松江北高等学校)の英語教師であったラフカディオ・ハーンでした。このときセツは23才でハーンが41才です。
小泉セツは同年2月から富田旅館の女将である富田ツネの紹介で、ハーンの下宿先の住み込み女中となっていました。
このときからハーンは上級武士の家系にもかかわらず没落したセツと、母のローザ・カシマチの悲しい境遇を重ね合わせるようになり、セツとの結婚に至ったと考えられています。
西田千太郎の仲立ちによる国際結婚
2人の結婚は当時は珍しい国際結婚で、しかもラフカディオ・ハーンがイギリス国籍を捨てて、日本国籍になるという形態です。
英語が分からないセツと、詳しい日本語は分からないハーンは簡単な日本語を英語の文法に合わせることによって意思疎通を図っていました。
しかしセツに前田為二との婚姻歴があることや、養家の稲垣家と生家の小泉家で合わせて6人の扶養家族がいるなど、セツは複雑なことを英語で説明することはできません。
このとき2人の意思疎通を助け、結婚の仲立ちを人物が、島根県尋常中学校の教頭・西田千太郎(「ばけばけ」錦織友一のモデル)でした。西田はハーンの帰化申請にも尽力したと言われています。
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小泉セツと小泉八雲の結婚に関するエピソード
「ばけばけ」の主人公・松野トキのモデルとなった小泉セツと小泉八雲の結婚にはさまざまなエピソードが残されています。その詳細については下記の記事が参考になるでしょう。
