朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代は、小説家・実業家・着物デザイナーとして活躍し、98年に及ぶ波乱万丈の人生を送りました。
その人生を年表を使って簡単に分かりやすく紹介すると以下の通りです。
| 西暦(和暦) | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1897(明治30)年 | 0才 | 山口県玖珂郡横山村(現在の岩国市)で誕生 |
| 1921(大正10)年 | 24才 | 「脂粉の顔」が入選し小説家デビュー |
| 1935(昭和10)年 | 38才 | 「色ざんげ」を刊行 |
| 1957(昭和32)年 | 60才 | 「おはん」刊行・野間文芸賞受賞 |
| 1974(昭和49)年 | 77才 | 勲三等瑞宝章受章 |
| 1990(平成2)年 | 93才 | 文化功労者顕彰 |
| 1996(平成8)年 | 98才 | 急性肺炎のため死去 |
以下の記事では98年にわたる宇野千代の年表を詳しく紹介します。
→ 宇野千代とは誰?
→ 宇野千代は何をした人?
→ 宇野千代とはどんな人だったのか?
→ 宇野千代のエピソード
→ 宇野千代の晩年 「死なない気がした」
→ 宇野千代の死因 98才での大往生の秘訣
結論|宇野千代の年表から分かる挑戦と再出発の人生
宇野千代の98年に渡る人生を年表にすると以下の通りです。
| 西暦(和暦) | 年齢 | できごと |
|---|---|---|
| 1897(明治30)年 | 0才 | 山口県玖珂郡横山村(現在の岩国市)で父・宇野俊次と母・トモの長女として誕生 |
| 1899(明治32)年 | 2才 | 母・宇野トモが死去 |
| 1900(明治33)年 | 3才 | 父・宇野俊次が佐伯リュウと再婚 |
| 1910(明治43)年 | 13才 | 岩国尋常小学校を卒業。岩国高等女学校(現在の山口県立岩国高等学校)に入学 |
| 1911(明治44)年 | 14才 | 従兄の藤村亮一と結婚(1回目の結婚)をするが10日ほどで実家に戻り離婚(1回目の離婚) |
| 1913(大正2)年 | 16才 | 父・宇野俊次が死去 |
| 1914(大正3)年 | 17才 | 川上村の小学校で代用教員となる |
| 1915(大正4)年 | 18才 | 同僚教師との恋愛が破綻し小学校を退職。京城(現在のソウル)に渡る |
| 1917(大正6)年 | 20才 | 従兄の藤村忠とともに上京。食堂の給仕などを経験 |
| 1919(大正8)年 | 22才 | 藤村忠と結婚(2回目の結婚)。札幌に移住 |
| 1921(大正10)年 | 24才 | 「脂粉の顔」が「時事新報」の懸賞短編小説の一等に選ばれて小説家デビュー |
| 1922(大正11)年 | 25才 | 上京中に尾崎士郎と出会う |
| 1923(大正12)年 | 26才 | 馬込村(現在の東京都大田区)で尾崎士郎と同棲を開始 |
| 1924(大正13)年 | 27才 | 藤村忠と離婚(2回目の離婚) |
| 1926(大正15)年 | 29才 | 尾崎士郎と結婚(3回目の結婚) |
| 1927(昭和2)年 | 30才 | 川端康成に誘われて伊豆湯ヶ島に逗留。梶井基次郎たちと交流 |
| 1930(昭和5)年 | 33才 | 東郷青児と同棲を始める。尾崎士郎と離婚(3回目の離婚) |
| 1934(昭和9)年 | 37才 | 東郷青児と別れる |
| 1935(昭和10)年 | 38才 | 「色ざんげ」を刊行 |
| 1936(昭和11)年 | 39才 | スタイル社を設立し日本初のファッション専門雑誌「スタイル」を創刊 |
| 1939(昭和14)年 | 42才 | 北原武夫と結婚(4回目の結婚) |
| 1941(昭和16)年 | 44才 | 弟・光雄が亡くなる |
| 1942(昭和17)年 | 45才 | 「人形師天狗屋久吉」を発表 |
| 1944(昭和19)年 | 47才 | 戦況の悪化に伴い「スタイル」が休刊 |
| 1946(昭和21)年 | 49才 | 「スタイル」が復刊 |
| 1947(昭和22)年 | 50才 | 「おはん」の連載開始 |
| 1949(昭和24)年 | 52才 | 「宇野千代きもの研究所」を設立 |
| 1951(昭和26)年 | 54才 | 継母・宇野リュウが死去 |
| 1952(昭和27)年 | 55才 | スタイル社の脱税が明るみになり経営難に陥る |
| 1957(昭和32)年 | 60才 | 「おはん」を刊行。第5回野間文芸賞を受賞 |
| 1959(昭和34)年 | 62才 | スタイル社が倒産し多額の借金を背負う |
| 1964(昭和39)年 | 67才 | 借金を全額返済。北原武夫と離婚(4回目の離婚) |
| 1967(昭和42)年 | 70才 | 株式会社宇野千代を設立 |
| 1972(昭和47)年 | 75才 | 第28回芸術院賞を受賞 |
| 1974(昭和49)年 | 77才 | 勲三等瑞宝章を受賞 |
| 1975(昭和50)年 | 77才 | 「薄墨の桜」を刊行 |
| 1977(昭和52)年 | 80才 | 「宇野千代全集」の刊行が始まる |
| 1982(昭和57)年 | 85才 | 第30回菊池寛賞を受賞。「生きて行く私」の連載が始まる |
| 1990(平成2)年 | 93才 | 文化功労者として顕彰される |
| 1996(平成8)年 | 98才 | 6月10日に急性肺炎のため東京・虎の門病院で死去 |
→ 宇野千代とは誰?
→ 宇野千代は何をした人?
→ 宇野千代とはどんな人だったのか?
→ 宇野千代のエピソード
→ 宇野千代の晩年 「死なない気がした」
→ 宇野千代の死因 98才での大往生の秘訣
時代ごとに見る宇野千代の人生
幼少期(1897〜1917年)
宇野千代は1897(明治30)年、山口県岩国市で生まれました。
2才で実母・宇野トモを亡くし、その後は継母・宇野リュウに育てられます。
14才では父の勧めにより従兄・藤村亮一と結婚しましたが、わずか10日ほどで実家へ戻り、人生最初の離婚を経験しました。
さらに16才で父・宇野俊次も亡くし、17才からは故郷・岩国にある尋常小学校の代用教員として働き始めます。
この頃から、「自分の力で生きる」という意識が芽生えていたのでしょう。
→ 宇野千代の父・宇野俊次とは?
→ 宇野千代の継母・宇野リュウとは?
→ 宇野千代の最初の夫・藤村亮一とは?
小説家として歩み始めた時代(1917〜1935年)
20才で上京した宇野千代は、さまざまな仕事を経験しながら文学の世界へ飛び込みます。
1921(大正10)年、「脂粉の顔」が時事新報が主催する懸賞小説の一等に選ばれ、小説家として華々しくデビュー。
その後は「墓を発く」を発表し、谷崎潤一郎・川端康成・梶井基次郎ら多くの文学者と交流を深めます。
1935(昭和10)年には代表作「色ざんげ」を刊行し、人気作家としての地位を確立しました。
実業家・文化人として活躍した時代(1936〜1974年)
1936(昭和11)年、宇野千代はスタイル社を設立し、日本初の女性ファッション専門誌「スタイル」を創刊しました。
さらに戦後は「宇野千代きもの研究所」を設立し、着物デザイナーとしても活躍します。
一方で1959(昭和34)年にはスタイル社が倒産し、多額の借金を背負うことに。
それでも数年をかけて借金を返済し、その後も創作活動を続けました。
75才で芸術院賞、77才で勲三等瑞宝章を受章するなど、文学界を代表する存在となっています。
→ 宇野千代のエピソード
→ 宇野千代の晩年 「死なない気がした」
宇野千代の結婚・離婚・同棲年表
宇野千代の結婚・離婚・同棲歴
宇野千代の人生を語る上で欠かせないのが、4回の結婚と4回の離婚(藤村亮一・藤村忠・尾崎士郎・北原武夫)、そして洋画家・東郷青児との同棲生活です。
恋愛相手が変わるたびに人生も大きく動いており、作品や仕事にも少なからず影響を与えました。
| 西暦(和暦) | 年齢 | できごと |
|---|---|---|
| 1911(明治44)年 | 14才 | 従兄の藤村亮一と結婚(1回目の結婚)をするが10日ほどで実家に戻り離婚(1回目の離婚) |
| 1917(大正6)年 | 20才 | 従兄の藤村忠とともに上京。食堂の給仕などを経験 |
| 1919(大正8)年 | 22才 | 藤村忠と結婚(2回目の結婚)。札幌に移住 |
| 1922(大正11)年 | 25才 | 上京中に尾崎士郎と出会う |
| 1923(大正12)年 | 26才 | 馬込村(現在の東京都大田区)で尾崎士郎と同棲を開始 |
| 1924(大正13)年 | 27才 | 藤村忠と離婚(2回目の離婚) |
| 1926(大正15)年 | 29才 | 尾崎士郎と結婚(3回目の結婚) |
| 1930(昭和5)年 | 33才 | 東郷青児と同棲生活を開始。尾崎士郎と離婚(3回目の離婚) |
| 1934(昭和9)年 | 37才 | 東郷青児との同棲生活を解消 |
| 1939(昭和14)年 | 42才 | 北原武夫と結婚(4回目の結婚) |
| 1959(昭和34)年 | 62才 | スタイル社が倒産。北原武夫と共に多額の借金を背負う |
| 1964(昭和39)年 | 67才 | 借金を全額返済。北原武夫と離婚(4回目の離婚) |
宇野千代が4回の離婚をした理由
それぞれの離婚理由を見ると、
- 少女時代の結婚生活になじめなかった
- 新しい恋愛との出会い
- 夫婦関係の変化
- 借金返済後の人生の節目
など、その背景は毎回異なっていました。
→ 宇野千代の4人の夫たちと同棲相手
→ 宇野千代の結婚歴とは?
→ 宇野千代はなぜ4回も離婚した?
朝ドラ「ブラッサム」では年表のどこまで描かれる?
「ブラッサム」は宇野千代の人生をモチーフとした作品
朝ドラ「ブラッサム」は宇野千代をモデルとした作品です。
そのため、
- 岩国で育った少女時代
- 小説家デビュー
- 4度の結婚と離婚
- 「色ざんげ」の成功
- 「スタイル」の創刊
- 晩年まで続けた創作活動
など、宇野千代の年表にある出来事をもとに物語が描かれると考えられます。
ただし朝ドラは史実をそのまま再現する作品ではありません。
人物名や年代、出来事の順番などはドラマ向けに変更される可能性があります。
ブラッサムの葉野珠役は3人
朝ドラ「ブラッサム」の主人公は葉野珠です。
NHKは葉野珠役には成長や年代に応じて、3人の女性が起用されることを発表されています。
3人の女性のうち物語に最も多く登場するのは、石橋静河さんが演じる葉野珠であると予想されます。
ただ村上蘭さんや加賀まりこさんが演じる場面の葉野珠についても、モデルとなった宇野千代の人生をどれぐらい反映されるのかがドラマの見どころとなるでしょう。
→ ブラッサム 幼少期の葉野珠(村上蘭)
→ ブラッサム 青年期の葉野珠(石橋静河)
→ ブラッサム 1980年代の葉野珠(加賀まりこ)
よくある質問(FAQ)
Q. 宇野千代は何歳まで生きましたか?
A. 98才です。
1897(明治30)年に生まれ、1996(平成8)年6月10日に急性肺炎のため亡くなりました。
Q. 宇野千代が小説家としてデビューしたのは何歳ですか?
A. 24才です。
1921(大正10)年、「脂粉の顔」が「時事新報」の懸賞小説で一等となり、小説家としてデビューしました。
Q. 宇野千代は生涯で何回結婚しましたか?
A. 生涯で4回結婚し、4回離婚しています。
また1930(昭和5)年から1934(昭和9)年までは洋画家・東郷青児と同棲生活を送りました。
→ 宇野千代の4人の夫たちと同棲相手
→ 宇野千代の結婚歴とは?
Q. 宇野千代の代表作は何ですか?
A. 「色ざんげ」や「おはん」が代表作として知られています。
そのほか「脂粉の顔」「人形師天狗屋久吉」「薄墨の桜」「生きて行く私」なども高く評価されています。
Q. 朝ドラ「ブラッサム」は宇野千代の人生をそのまま描くのですか?
A. いいえ。
主人公・葉野珠は宇野千代がモデルですが、人物設定や出来事はドラマ用に脚色される可能性があります。
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考としています。
