朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠のモデルとなった宇野千代(1897~1996年)は、1910(明治43)年4月に玖珂郡立岩国高等女学校に入学。
玖珂郡立岩国高等女学校は、現在の山口県立岩国高等学校にあたり、宇野千代は4年間の女学校生活を経て1914(大正3)年3月に卒業しました。
この記事では、宇野千代が通った小学校・女学校や学生時代の成績、文学への関心、女学校時代の家庭環境について紹介します。
→ 宇野千代とは?
→ 宇野千代は何をした人?
→ 宇野千代の年表
→ ブラッサム 主人公・葉野珠 モデルは宇野千代
→ ブラッサム 時代と時代背景
結論|宇野千代の女学校は玖珂郡立岩国高等女学校
宇野千代(1897~1996年)の女学校時代について簡単にまとめると、次のとおりです。
・1910(明治43)年4月に玖珂郡立岩国高等女学校へ入学
・現在の山口県立岩国高等学校にあたる
・女学校時代から文学に興味を持ち、「女子文壇」などへ投稿
・1914(大正3)年3月に卒業
玖珂郡立岩国高等女学校は、宇野千代が作家として活動する以前の10代を過ごした学校です。
女学校では新聞や雑誌を読むことを禁じられていましたが、宇野千代は「青鞜」などを読み、文学仲間を作って投稿を始めるなど、後の小説家につながる活動をすでに始めていました。
「宇野千代全集 第12巻」に収録されている年譜でも、1913(大正2)年の項には、「女子文壇」に投稿していたことが記述されています。
→ 宇野千代とは?
→ 宇野千代は何をした人?
→ 宇野千代の年表
→ ブラッサム 主人公・葉野珠 モデルは宇野千代
→ ブラッサム 時代と時代背景
宇野千代が通った岩国高等女学校と現在の山口県立岩国高等学校の関係
岩国尋常小学校を経て玖珂郡立岩国高等女学校へ入学
宇野千代の学歴の始まりは1904(明治37)年4月に、岩国尋常小学校(現在の岩国市立岩国小学校)に入学したことに始まります。
宇野千代の小学校時代は非常に成績が良かったようです。
5、6年生では全科目が「甲」で、6年間を無欠席で通したと「宇野千代全集 第12巻」の年譜に記されています。
1910(明治43)年3月に岩国尋常小学校を卒業すると、翌4月に玖珂郡立岩国高等女学校へ入学しました。
→ 幼少期の葉野珠(村上蘭)とは?
→ 青年期の葉野珠(石橋静河)とは?
現在の山口県立岩国高等学校
玖珂郡立岩国高等女学校は、現在の山口県立岩国高等学校の前身の1つとなった学校です。
現在の山口県立岩国高等学校につながる学校として、戦前には男子が通う岩国中学校と、女子が通う岩国高等女学校がありました。
1948(昭和23)年の学制改革に伴い、男女共学の「山口県立岩国高等学校」となりました。
宇野千代は女学校でどんな生徒だった?
成績は非常に優秀だった
宇野千代は小学校時代から成績優秀でしたが、女学校でも高い成績を残しています。
山口県観光サイトの記事によると、岩国高等女学校に残る第四学年の学籍簿では、一・二・三学期を通した全15教科の平均点が92点だったとあります。
一方で「宇野千代全集 第12巻」の年譜には、女学校では裁縫などの学習が多かったことから、宇野千代は学業への意欲をやや低下させたとも記されています。
父や学校に隠れて新聞や雑誌を読む
やがて小説家として大成する宇野千代は、すでに女学校時代にその兆しが見られたと考えられます。
当時、父・俊次は千代が新聞や雑誌を読むことを嫌い、女学校でも生徒が新聞や雑誌を読むことは禁止されていました。
しかし千代は人目を避けながら新聞や雑誌を読み続けます。
1913(大正2)年2月8日、父・俊次が病気で亡くなると、それまで感じていた父親からの圧迫感も薄れていきました。
宇野千代は「青鞜」や「第三帝国」などを読み、文学への関心をさらに深めていきます。
宇野千代の年譜にも、父の死と同じ1913年に「女子文壇」への投稿や「青鞜」「第三帝国」の読書が記録されています。
「女子文壇」にペンネームで投稿
読むだけでなく、宇野千代自身も文章を書き始めました。
女学校時代には文学好きの仲間を作り、女性向けの文芸投稿雑誌「女子文壇」へペンネームを使って作品を投稿しています。
「女子文壇」は1905(明治38)年に創刊された女性向けの文芸投稿雑誌で、若い女性たちに文章を発表する場を提供していました。
宇野千代が本格的な作家として世に出るのはさらに後のことですが、作品を書いて雑誌へ投稿するという作家活動の原型は、すでに女学校時代に始まっていたことになります。
女学校時代に宇野家の生活が苦しくなる
父・宇野俊次の放蕩で財産が減少
宇野千代が女学校へ進学できた背景には、もともとの宇野家の経済力がありました。
父・宇野俊次は分家の養子となる際、酒造業を営んでいた実家から相当な財産を受け取っていたからです。
そのため慎ましく暮らしていれば、千代や5人の弟妹たちを尋常小学校より上の学校へ進学させることは、経済的にそれほど難しくなかったでしょう。
しかし宇野俊次は、地元で「大名小路」と呼ばれた花街において、その名を知らない人はいないと言われるほどの遊び人で、放蕩のかぎりを尽くしていたようです。
そのため、宇野千代が女学校へ通うころには宇野家の生活も苦しくなり、学費を出すことが容易ではなくなっていたようです。
継母・リュウが千代の学費を支えた
経済的に苦しくなった宇野家を支えたのが、宇野千代の継母・宇野リュウでした。
宇野千代の自伝「生きて行く私」によると、リュウは「義済堂」と呼ばれた製糸工場で働き始めます。
さらに、かろうじて残っていた2軒の借家や馬小屋の土地を利用し、野菜や果物を育てるなどして、それらも換金。
こうして得たお金が一家の生活費や千代の学費に充てられました。
宇野千代が岩国高等女学校で学び続けられた背景には、家計が苦しいなかでも娘の学費を工面した継母・リュウの存在があったのです。
女学校時代に最初の結婚も経験
宇野千代は女学校に通っていた1911(明治44)年、14歳のときに最初の結婚も経験しました。
相手は3歳年上の従兄・藤村亮一です。藤村亮一は当時17歳で旧制中学校へ通っていました。
しかし結婚生活は長く続かず、宇野千代は10日ほどで実家へ戻っています。
宇野千代にとって女学校時代は、文学に興味を持っただけでなく、後の人生で何度も経験する結婚と離別の最初の出来事が起きた時期でもありました。
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「ブラッサム」の女学校のモデルになる?
NHKは朝ドラ「ブラッサム」のあらすじで、主人公・葉野珠が女学校を卒業することを明らかにしています。
これはモデルとなった宇野千代が、
岩国尋常小学校を卒業 → 岩国高等女学校
に進学した史実と重なります。
そのため「ブラッサム」で葉野珠が通う女学校が登場した場合、明治時代末期から大正初期に存在した玖珂郡立岩国高等女学校がそのモデルになる可能性が高いでしょう。
→ ブラッサム 主人公・葉野珠 モデルは宇野千代
→ ブラッサム 時代と時代背景
→ ブラッサムに登場する架空の団体・組織の一覧
よくある質問(FAQ)
Q. 宇野千代はどこの女学校に通っていましたか?
A. 玖珂郡立岩国高等女学校です。
宇野千代は1910(明治43)年4月に入学し、1914(大正3)年3月に卒業しました。
Q. 宇野千代が通った岩国高等女学校は現在の何という学校ですか?
A. 現在の山口県立岩国高等学校の前身の1つです。
戦前は男子が通う岩国中学校と女子が通う岩国高等女学校があり、1948(昭和23)年の学制改革によって男女共学の山口県立岩国高等学校となりました。
Q. 宇野千代はどこの小学校に通っていましたか?
A. 岩国尋常小学校です。
現在の岩国市立岩国小学校にあたり、宇野千代は1904(明治37)年4月に入学し、1910(明治43)年3月に卒業しました。
Q. 宇野千代は学生時代から成績が良かったのですか?
A. はい。小学校・女学校ともに非常に優秀な成績を残しています。
小学校5、6年生では全科目が「甲」で、6年間無欠席でした。
岩国高等女学校でも、第四学年の全15教科の平均点が92点だったとされています。
Q. 宇野千代は女学校時代から文学に興味を持っていたのですか?
A. はい。
学校では新聞や雑誌を読むことを禁じられていましたが、「青鞜」や「第三帝国」などを読み、文学仲間を作って「女子文壇」へペンネームで投稿していました。
後に小説家となる宇野千代の文学活動は、すでに女学校時代から始まっていたと考えられます。
Q. 宇野千代の女学校の学費は誰が払っていたのですか?
A. 家計が苦しくなると、継母・宇野リュウが働いて千代の学費を支えました。
リュウは製糸工場で働くほか、土地を畑に変えて野菜や果物を育てるなどして、一家の生活費や千代の学費を工面していました。
Q. 宇野千代は女学校時代に結婚したのですか?
A. はい。
1911(明治44)年、14歳のときに3歳年上の従兄・藤村亮一と結婚しました。
しかし結婚生活は10日ほどで終わり、宇野千代は実家へ戻っています。
Q. 「ブラッサム」で葉野珠が通う女学校のモデルはどこですか?
A. 現時点では、NHKから女学校の名称やモデルは発表されていません。
ただし葉野珠のモデル・宇野千代が玖珂郡立岩国高等女学校へ通っていたことから、ドラマに登場する女学校も同校をモデルとして設定される可能性が高いと考えられます。
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滝田樗陰とは中央公論の名物編集長として知られ、小説家としての宇野千代を世に送り出した人物です。
宇野千代は悠樂軒のモデルとなった西洋料理店の「燕楽軒」で給仕をしていた時期に、滝田樗陰と知り合いました。
宇野千代と「スタイル」
宇野千代は1936(昭和11)年に女性ファッション雑誌の先駆けとなる「スタイル」誌を創刊。
同誌において編集やモデルを担当し、戦後はスタイル社の経営にも関与します。
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参考文献
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