朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代には、実母・宇野トモ(旧姓・土井)と、継母・宇野リュウ(旧姓・佐伯)という2人の母がいました。
実母・宇野トモは宇野千代が1才半のときに死去。その後の宇野千代を育てたのが継母・宇野リュウです。
継母と聞くと「継子いじめ」のような印象を持つ人もいるかもしれません。しかし宇野リュウは、継子である宇野千代を実子以上に大切に育て、進学や上京を陰から支え続けた人物でした。
この記事では、宇野千代の継母・宇野リュウ(旧姓・佐伯)とはどのような人物だったのか、宇野千代との親子関係や5人の異母弟妹との暮らしについて史実をもとに紹介します。
→ 宇野千代の2人の母とは?実母・宇野トモと継母・宇野リュウ
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結論|宇野リュウは宇野千代を実子以上に愛した継母
宇野リュウについて簡単にまとめると次のようになります。
・宇野千代の継母(旧姓・佐伯)
・1900(明治33)年に父・宇野俊次と再婚
・宇野千代とは14才差
・5人の異母弟妹を育てた
・継子である宇野千代を「惣領息子」のように大切に育てた
・女学校への進学や上京を陰から支え続けた
・朝ドラ「ブラッサム」の葉野リョウのモデルと考えられる
宇野リュウは、宇野千代にとって育ての母ともいえる存在です。
宇野リュウと宇野千代の間に血のつながりはありません。
しかし、宇野リュウは自分の5人の子供たち以上に宇野千代を大切に育てたことが、自伝「生きて行く私」からも伝わってきます。
→ 宇野千代の2人の母とは?実母・宇野トモと継母・宇野リュウ
→ 宇野千代の実母・宇野トモとは?
→ 宇野千代の父・宇野俊次とは?
→ 宇野千代の兄弟とは?5人の弟妹たち
→ ブラッサム 葉野リョウ(国仲涼子)のモデルは宇野リュウ
宇野リュウとは
宇野リュウは、宇野千代の人生を語るうえで欠かせない人物です。
継母でありながら、宇野千代を実子以上に愛し、生涯にわたって支え続けました。
朝ドラ「ブラッサム」に登場する葉野リョウは、宇野リュウをモデルにしていると考えられます。
宇野千代の継母
宇野リュウ(旧姓・佐伯)は、宇野千代の継母です。
1899(明治32)年に実母・宇野トモが亡くなった後、1900(明治33)年に父・宇野俊次と再婚。
当時、宇野千代は3才、宇野リュウは17才でした。親子といっても年齢差はわずか14才しかなく、現在の感覚では姉に近い年齢だったと言えるでしょう。
→ 宇野千代の2人の母とは?実母・宇野トモと継母・宇野リュウ
5人の子供をもうけた
宇野俊次との結婚後、宇野リュウとの間には5人の子供が生まれました。
彼らは宇野千代にとっては異母弟妹にあたります。
しかし宇野千代を含めた6人きょうだいは非常に仲が良く、その背景には後述する宇野リュウの育て方が大きく影響していました。
「ブラッサム」の葉野リョウのモデル
朝ドラ「ブラッサム」では、国仲涼子さんが主人公・葉野珠の継母・葉野リョウを演じます。
NHKは葉野リョウについて、
実母を亡くした幼い珠のもとにやってきた、清治の後妻。その後、珠にとっての弟と妹を産み、献身的に家族を支える。
と紹介しています。
正式なモデルは公表されていませんが、
・主人公の継母
・再婚後に弟と妹が生まれる
・家族を献身的に支える
という共通点から、宇野リュウをモデルにした人物である可能性が高いと考えられます。
→ ブラッサム 葉野リョウ(国仲涼子)のモデルは宇野リュウ
→ ブラッサム 葉野清治(渡部篤郎)のモデルは宇野俊次
宇野千代を実子以上に愛した継母
「姉さまが先」
宇野千代は自伝の「生きて行く私」の中で、宇野リュウの子育てについて印象的な出来事を紹介しています。
近所からおはぎをもらうと、幼い弟妹たちは早く食べたいと母にねだりました。
しかし宇野リュウは、
「姉さまがお戻りてから分けて上げるけえ」
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No. 99
と言って、宇野千代が帰って来るまで決して食べさせようとはしませんでした。
宇野千代は、この様子について、
あの、芝居などで見る継子いじめの反対なのであった。
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No. 99
と振り返っています。
継子である宇野千代を後回しにするどころか、よそ様からの頂き物は必ず宇野千代から先に食べさせ、その後に5人の実子へ分け与えていました。
宇野リュウの子育ては万事がこのような感じであり、宇野千代を「惣領息子」のように大切に育てていたことを象徴するエピソードと言えるでしょう。
「小さいお母さん」になった宇野千代
宇野リュウが5人の子供を育てる中で、長女だった宇野千代も弟妹の世話を積極的に手伝うことになります。
弟妹たちが生まれるたびに子守りをして、その途中に赤ん坊のおしっこで背中を濡らされることも珍しくありませんでした。
宇野千代は、この頃の自分を「小さいお母さん」のようだったと回想しています。
また宇野リュウが兄弟を分け隔てなく育てたことで、宇野家の兄妹は生涯にわたって非常に仲が良かったとも記しています。
常に宇野千代を支え続けた母
宇野千代の女学校進学を支えた
宇野家は父・宇野俊次の放蕩もあり、家計は決して裕福ではありませんでした。
それでも宇野リュウは、宇野千代を岩国高等女学校(現在の山口県立岩国高等学校)へ通わせるため、自ら製糸工場へ働きに出て学費を工面したと伝えられています。
血のつながらない継子の教育のために働いたことからも、宇野リュウが宇野千代へ深い愛情を注いでいたことが分かります。
京城へ旅立つ宇野千代を見送る
1915(大正4)年、宇野千代は代用教員時代の恋愛問題によって職を失い、故郷を離れる決意をします。
世間の目を避けるように京城(現在の韓国・ソウル)へ向かう宇野千代に対し、宇野リュウは責めるどころか、
「汽車じゃなうて、新港から汽船に乗ってお行きた方がええでよ。」
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No. 687
と、人目につかず出発できる方法を考えてくれました。
夜明け前、新港まで娘を送り届け、
「お母(かか)、行くでよ」「風邪お引きなよ」。
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No. 687
と静かに見送った場面は、「生きて行く私」の中でも特に印象深い親子の場面として描かれています。
宇野千代はその後、京城・岩国・京都・東京・札幌・再び東京と、各地を転々としながら作家への道を歩んでいきました。
よくある質問(FAQ)
Q. 宇野リュウとは誰ですか?
A. 宇野リュウ(旧姓・佐伯)は、宇野千代の継母です。
1900(明治33)年に父・宇野俊次と再婚し、宇野千代を育てました。
Q. 宇野リュウと宇野千代の仲は良かったのですか?
A. はい。
宇野千代は「生きて行く私」の中で、継母から実子以上に大切に育てられたことを何度も回想しています。
Q. 宇野リュウには子供がいましたか?
A. はい。
宇野俊次との間に薫・鴻・勝子・光雄・文雄の5人の子供が生まれました。
宇野千代にとっては異母弟妹です。
Q. なぜ宇野リュウは実子以上に宇野千代を大切にしたのですか?
A. 正確な理由は分かっていません。
しかし、自伝「生きて行く私」では、おはぎや饅頭を必ず宇野千代から先に食べさせるなど、継子を優先する子育てをしていたことが記されています。
Q. 朝ドラ「ブラッサム」の葉野リョウのモデルは宇野リュウですか?
A. NHKは正式には公表していません。
ただし、継母という立場や家族構成などから、宇野リュウがモデルである可能性は高いと考えられます。
Q. 宇野リュウと佐伯リュウは別人ですか?
A. いいえ。同じ人物です。
結婚前は佐伯リュウ、宇野俊次と結婚した後は宇野リュウと呼ばれています。
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考としています。
