朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代には、実母・宇野トモ(旧姓: 土井)と継母・宇野リュウ(旧姓: 佐伯)という2人の母がいました。
実母・宇野トモは宇野千代を出産した約1年半後に亡くなったため、宇野千代には実母の記憶が全く残っていません。
しかし晩年の宇野千代は、自伝「生きて行く私」の中で、若くして亡くなった母への感謝の気持ちを率直に綴っています。
この記事では、宇野千代の実母・宇野トモ(旧姓・土井)とはどのような人物だったのか、宇野千代との親子関係や最期について史実をもとに紹介します。
→ 宇野千代の2人の母とは?実母・宇野トモと継母・宇野リュウ
→ 宇野千代の継母・宇野リュウとは?
結論|宇野トモは宇野千代が1才半で亡くした実母
宇野トモについて簡単にまとめると次のようになります。
・宇野千代の実母
・旧姓は土井
・宇野千代の誕生後に宇野家へ入籍
・1899(明治32)年に肺病(現在の結核と考えられる)で死去
・宇野千代は1才半で実母と死別
・晩年の宇野千代は実母への感謝を自伝に残している
宇野トモは宇野千代が幼くして亡くした実母です。
親子として過ごした時間はわずかでしたが、宇野千代は80才を過ぎてから「よく私を生んでくれた」と実母への深い感謝を綴っています。
→ 宇野千代の2人の母とは?実母・宇野トモと継母・宇野リュウ
→ 宇野千代の継母・宇野リュウとは?
→ 宇野千代の父・宇野俊次とは?
宇野トモとは
宇野千代の実母
宇野トモ(旧姓・土井)は、宇野千代の実母です。1897(明治30)年に宇野千代を出産しましたが、肺病のため25歳で亡くなりました。
1897(明治30)年11月28日、山口県玖珂郡横山村(現在の山口県岩国市)で、宇野俊次との間に長女・千代を出産しました。
宇野千代は自伝「生きて行く私」の冒頭で、自らの出生について次のように回想しています。
「私は周防ノ国岩国大字川西の八百七十七番地の家に生まれた。」
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No.62
この「川西の家」で、宇野千代の人生は始まりました。
旧姓は土井
宇野千代が誕生した1897(明治30)年の時点で、母はまだ「土井トモ」と呼ばれていました。
その後、父・宇野俊次の戸籍へ入り、「宇野トモ」となります。
そのため、資料によって
- 土井トモ
- 宇野トモ
の2通りの表記が見られますが、いずれも同じ人物です。
宇野千代が1才半で母と死別
肺病(結核)で亡くなる
1899(明治32)年7月13日、宇野トモは肺病によって死去。宇野千代はまだ1才半でした。
「肺病」とは現在でいう結核にあたり、当時の人々からは「死の病」として恐れられていました。
そのため家族からも遠ざけられ、川西(現在の山口県岩国市)の家から2,3里離れた浜辺にある漁村で養生していたと伝わっています。
母の姿は覚えていなかった
母を亡くした幼い宇野千代は、父・宇野俊次が1900(明治33)年5月に宇野リュウ(佐伯リュウ)と再婚するまでの間、宇野本家の伯父・宇野政介に預けられることになりました。
なお宇野千代は、人づてに「子供のことが気にかかって死んでも死にきれん」という母の言葉を聞いたことがあったそうです。
しかし、自分には母の姿も記憶も全く残っていなかったため、その当時は悲しいという気持ちにはならなかったと振り返っています。
晩年に実母への感謝を綴る
「よく私を生んでくれた」
1983(昭和58)年に出版した「生きて行く私」では、80才を過ぎた宇野千代が、初めて実母への深い感謝を言葉にしています。
しかし、私が八十を越したのちのことである。或るとき、ものを考えていて、私と言うこの生身の体が、この世に生まれ出て来た不思議さに考えついたとき、ふいに、あの、姿もどんなであったかも思い浮かばない、あの若かった母に感謝したいような気になった。よくこの私を生んでくれた、とでも言うような、何か、湯のように温かいものが、胸の中を流れるのを感じたものである。
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No.62
母との思い出はありませんでした。
それでも人生を振り返った宇野千代は、自分をこの世へ送り出してくれた実母への感謝を、静かに綴っています。
宇野リュウとの関係
継母に育てられた宇野千代
実母・トモの死後、父・宇野俊次は1900(明治33)年に佐伯リュウと再婚しました。
宇野リュウは宇野千代にとって継母にあたります。
その後、宇野家には5人の異母弟妹が生まれ、宇野千代は継母・リュウのもとで成長していきました。
宇野リュウについては、下記の記事で詳しく紹介しています。
「ブラッサム」の宇野トモをモデルとする人物について
2026年7月2日時点で、朝ドラ「ブラッサム」の出演者発表では、宇野千代の実母・宇野トモを直接のモデルとする人物は発表されていません。
一方、継母・宇野リュウがモデルと考えられる葉野リョウ(国仲涼子)はすでに発表されています。
宇野トモが劇中で描かれるのか、あるいは幼少期の回想などで登場するのか、今後の出演者発表にも注目したいところです。
よくある質問(FAQ)
Q. 宇野トモとは誰ですか?
A. 宇野トモ(旧姓・土井)は宇野千代の実母です。
1897(明治30)年に宇野千代を出産しました。
Q. 土井トモと宇野トモは別人ですか?
A. いいえ。
旧姓が土井で、宇野俊次の戸籍へ入った後は宇野トモと呼ばれています。
Q. 宇野トモはいつ亡くなりましたか?
A. 1899(明治32)年7月13日、肺病(現在の結核と考えられる病気)で亡くなりました。
このとき宇野千代は1才半でした。
Q. 宇野千代は実母を覚えていますか?
A. いいえ。
宇野千代自身、「母の姿は全く覚えていない」と回想しています。
Q. 宇野千代の母はその後どうなりましたか?
A. 実母・宇野トモの死後、父・宇野俊次は佐伯リュウと再婚し、宇野千代は継母・宇野リュウに育てられました。
Q. 宇野トモは何歳で亡くなりましたか?
A. 宇野トモ は1899(明治32)年7月13日、25歳で亡くなりました。
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考としています。
