朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代は、生涯で4回の結婚と4回の離婚を経験しました。
しかし、4人の夫とは別に、洋画家・東郷青児(とうごうせいじ)と同棲していたことも有名です。
東郷青児は「パラソルさせる女」で若くして注目を集め、「色ざんげ」の主人公のモデルになった人物としても知られています。また宇野千代との同棲生活は、お互いの創作活動に大きな影響を与えました。
この記事では、東郷青児とはどのような人物だったのか、宇野千代との出会いから同棲生活、妻や子供との関係までを史実に基づいて紹介します。
→ 宇野千代の4人の夫と同棲相手とは?
→ 宇野千代 結婚歴
→ 藤村亮一とは? 最初の夫
→ 藤村忠とは?2人目の夫
→ 尾崎士郎とは? 3人目の夫
→ 北原武夫とは? 4人目の夫
結論|東郷青児は宇野千代と約4年間同棲した洋画家
東郷青児について簡単にまとめると次のようになります。
・宇野千代と1930(昭和5)年から約4年間同棲した洋画家
・代表作は「パラソルさせる女」
・宇野千代の代表作「色ざんげ」の主人公のモデル
・宇野千代は東郷青児の絵を売って生活を支えた
・正式な妻は永野明代と東郷盈子
・子供は東郷志馬と東郷たまみ
・盈子との復縁をきっかけに1934(昭和9)年に同棲生活を解消
東郷青児は宇野千代の夫ではありません。
婚姻届を提出した記録はなく、約4年間にわたって同棲生活を送った人物です。
しかし、この時代は宇野千代の代表作「色ざんげ」の誕生につながっただけでなく、東郷青児自身にとっても創作活動を続けるうえで重要な時期だったと言えるでしょう。
→ 宇野千代の4人の夫と同棲相手とは?
→ 宇野千代 結婚歴
→ 藤村亮一とは? 最初の夫
→ 藤村忠とは?2人目の夫
→ 尾崎士郎とは? 3人目の夫
→ 北原武夫とは? 4人目の夫
東郷青児とは
宇野千代と約4年間同棲した洋画家
東郷青児(1897〜1978年)は、大正から昭和にかけて活躍した洋画家です。
19才で発表した「パラソルさせる女」が二科賞を受賞し、一躍注目を集めました。
24才から約7年間フランスへ留学。滞在中にはピカソらの芸術に触れながら独自の画風を磨き、日本へ帰国後はモダンな女性の新しい理想像を生み出し、壁画や挿絵などに多彩な仕事を残しています。
昭和を代表する洋画家の一人として知られています。
東郷青児の妻・永野明代と東郷盈子
東郷青児の私生活も宇野千代と同様に波乱に富んでいました。
最初の妻は永野明代(はるよ)で、2人の間には長男・東郷志馬が生まれています。
その後、情死未遂事件で世間を騒がせた東郷盈子(みつこ)と再婚し、長女・東郷たまみが誕生しました。
宇野千代と同棲していた1930(昭和5)年から1934(昭和9)年は、この2度の結婚の間にあたる時期です。
→ 東郷志馬とは? 東郷青児の長男
→ 東郷たまみとは? 東郷青児の長女
「ブラッサム」でも重要人物になる可能性
東郷青児は、宇野千代の代表作「色ざんげ」のモデルとなった人物であり、宇野千代の人生を大きく変えた存在でもあります。
そのため、朝ドラ「ブラッサム」でも重要人物の1人として、モデルとなるキャラクターが登場する可能性があるでしょう。
宇野千代と東郷青児の出会い
「罌粟はなぜ紅い」の取材がきっかけ
宇野千代が東郷青児と出会ったのは1930(昭和5)年のことです。
当時、宇野千代は新聞小説「罌粟はなぜ紅い」を連載していました。
作品には男女が情死を図る場面があり、その心理をよりリアルに描くため、実際に情死未遂事件を起こして世間の注目を集めていた東郷青児へ取材を申し込みます。
宇野千代が電話で連絡すると、「話すから自宅へ来てほしい」と言われ、東京の世田谷にあった東郷青児の自宅を訪問しました。
取材後、宇野千代は東郷青児の自宅から離れることなく同棲を開始。
尾崎士郎と離婚して同棲生活へ
実はこのとき宇野千代は3回目の結婚相手である小説家・尾崎士郎と婚姻関係にありました。
しかし宇野千代は東郷青児との同棲に伴い、1930(昭和5)年4月には馬込村から世田谷へ転居します。
8月には人生で3回目となる尾崎士郎との離婚を経験することになりました。
宇野千代と東郷青児の同棲生活
東郷青児の絵を売って生活を支えた
宇野千代と出会った頃の東郷青児は、現在の評価からは想像できないほど経済的に苦しい時期にありました。
洋画家として思うように作品は売れず、ジャン・コクトーの「怖るべき子供たち」の翻訳など、売文によって生活費を得ていたほどです。
その一方で東郷青児は、世田谷の淡島(現在の東京都世田谷区代沢)に約500坪もの土地を借り、コルビュジエ風のアトリエ付き住宅を新築します。
しかし建築費は借金で賄われており、その返済にも苦しんでいました。そこで宇野千代は東郷青児を支えるため、彼の絵を持って関西へ売り歩く生活を開始。
「宇野千代全集 第12巻」に収録されている「私の文学的回想録」には当時の様子が次のように記されています。
金が一銭もないのに、家を建てると言うのです。金の話だけは別にして、お膳立ては凡て出来ました。世田谷の淡島に、四五百坪の土地を借りました。忽ち、家の柱が建ちました。屋根が出来ました。見る見る、そのコルビジェ風のハイカラな家が出来上がりそうなのを見て、流石に私たちは狼狽てました。
私は東郷の絵を持って、関西へ行くのが仕事になりました。夙川のホテルにいて、毎日、一枚二枚と絵を持って出て、買いそうな人に会いに行くのです。何のことはない、絵のセールスマンなのですが、絵を売るより、却ってホテル代が嵩むことがあったのです。絵は売るものではない、と何度思ったかは知れません。宇野千代 宇野千代全集 第12巻 随筆 中央公論新社 「私の文学的回想録」 164ページ
画家・東郷青児を支えるため、宇野千代自身が「絵のセールスマン」となって借金の返済に勤しんでいたことが分かります
「色ざんげ」のモデルとなった東郷青児
経済的には決して恵まれていなかったものの、宇野千代は東郷青児との同棲生活を「非常に面白い日々だった」と振り返っています。
昼間、借金取りたちからお金のことでどんなに責め立てられようとも、夜になるとレコードをかけて訪問客たちとダンスをしていたという具合で、おそらく東郷青児の方も同じ気持ちであったと回想しています。
また小説家としての宇野千代の代表作の1つである「色ざんげ」の主人公・湯浅譲二とは、一般的に東郷青児がモデルとなっているとされていますが、実際に宇野千代さんが東郷青児の話を聞き書きしたものです。
この小説は、これまでに私の書いたどの小説よりも面白く、したがって、どの小説よりも、「よく売れる」小説でした。これは私にとって自慢にはならないことなのですが、この長篇の成功の原因は、これを書いた私の力よりも、この話をしてくれた東郷の話術の巧みさが、その大部分の魅力になっていたからです。
宇野千代 宇野千代全集 第12巻 随筆 中央公論新社 「私の文学的回想録」 166ページから167ページ
つまり「色ざんげ」は、宇野千代の文章力だけでなく、東郷青児の人生そのものが生み出した作品だったとも言えるでしょう。
東郷青児との同棲生活を解消
盈子との復縁が発覚
1934(昭和9)年、宇野千代にとって大きな転機が訪れます。
雑誌社の関係者から、
「東郷青児がかつて情死未遂事件を起こした相手・東郷盈子(当時はまだ再婚前)と再び親しい関係になっている」
という話を聞かされたのです。
宇野千代にとっては、まさに青天の霹靂でした。
約4年間の同棲生活に終止符
宇野千代は東郷青児に問いただしますが、東郷は盈子との関係を断つ様子がありません。
弟・宇野光雄は同棲生活を続けるよう説得したと伝えられていますが、宇野千代が東郷青児と同棲生活を解消することを決意。
こうして1934(昭和9)年、約4年間続いた東郷青児との同棲生活は終わりを迎えます。
その後、東郷青児は同年5月に盈子と結婚。宇野千代はこの経験を経て新たな人生へ進み、のちに4人目の夫・北原武夫と出会うことになります。
→ 宇野千代の3人目の弟・宇野光雄とは?
→ 北原武夫とは? 4人目の夫
東郷青児の妻と子供
東郷青児は2回結婚している
東郷青児は、生涯で複数の女性と結婚しています。
宇野千代とは約4年間同棲しましたが、婚姻届を提出した記録はなく、正式な夫婦ではありませんでした。
東郷青児の妻として知られている女性は次の2人です。
・永野明代(ながのはるよ)
・東郷盈子(とうごうみつこ)
永野明代との間には長男・東郷志馬(とうごうしま)が誕生しています。また東郷盈子との間には長女・東郷たまみが誕生しています。
東郷青児の娘・東郷たまみと長男・東郷志馬
東郷青児の子供として知られているのは次の2人です。
・長男:東郷志馬(母・永野明代)
・長女:東郷たまみ(母・東郷盈子)
彼らは宇野千代と養子でも実子でもありませんが、宇野千代は「我が子同然」に接していたようです。宇野千代・東郷志馬・東郷たまみの不思議な関係については、下記の記事が参考になるでしょう。
→ 東郷志馬とは? 東郷青児の長男
→ 東郷たまみとは? 東郷青児の長女
よくある質問(FAQ)
Q. 東郷青児とは誰ですか?
A. 東郷青児(1897〜1978年)は二科会を代表する洋画家です。
「パラソルさせる女」で二科賞を受賞し、戦後は女性像を描く人気画家として活躍しました。
宇野千代とは1930(昭和5)年から約4年間同棲していたことでも知られています。
Q. 東郷青児と宇野千代は結婚していましたか?
A. いいえ。
東郷青児と宇野千代は約4年間同棲しましたが、婚姻届を提出した記録は確認されていません。
そのため、東郷青児は宇野千代の「夫」ではなく「同棲相手」とされています。
Q. 東郷青児の妻は誰ですか?
A. 東郷青児は生涯で2人の女性と正式に結婚しています。
宇野千代とは入籍しておらず、その後1934(昭和9)年には情死未遂事件の相手でもあった東郷盈子(とうごうみつこ)と結婚しました。
Q. 東郷青児の娘は誰ですか?
A. 東郷青児の娘として知られる人物が東郷たまみです。
東郷たまみは、東郷青児と東郷盈子との間に生まれました。
詳しくは下記の記事をご覧ください。
Q. 東郷青児に子供はいましたか?
A. いました。
東郷青児の子供は、
・長男:東郷志馬(母・永野明代)
・長女:東郷たまみ(母・東郷盈子)
の2人です。
→ 東郷志馬とは? 東郷青児の長男
→ 東郷たまみとは? 東郷青児の長女
Q. 東郷青児はなぜ宇野千代と別れたのですか?
A. 1934(昭和9)年、東郷青児が情死未遂事件の相手だった盈子と再び親密になっていることが分かり、宇野千代は同棲生活を解消しました。
その後、東郷青児は盈子と結婚しています。
Q. 「色ざんげ」のモデルは東郷青児ですか?
A. 一般的に、宇野千代の代表作「色ざんげ」の主人公・湯浅譲二は東郷青児がモデルと考えられています。
宇野千代自身も「宇野千代全集 第12巻」で、作品の魅力は東郷青児の話術による部分が大きかったと回想しています。
Q. 朝ドラ「ブラッサム」に東郷青児は登場しますか?
A. 現時点では出演者は発表されていません。
ただし、宇野千代の人生や代表作「色ざんげ」を語るうえで欠かせない人物であるため、ドラマでもモデルとなる人物が登場する可能性があります。
Q. 東郷青児と宇野千代は何年間同棲していましたか?
A. 1930(昭和5)年から1934(昭和9)年まで、およそ4年間同棲していました。
この期間に宇野千代は代表作「色ざんげ」を執筆し、東郷青児も創作活動を続けました。
宇野千代 夫 関連記事
宇野千代 夫
宇野千代の4人の夫(藤村亮一・藤村忠・尾崎士郎・北原武夫)と東郷青児との関係をまとめて紹介します。
宇野千代 結婚歴
宇野千代の4度の結婚と1度の同棲生活を時系列で詳しく紹介します。
→ 宇野千代の結婚歴
藤村亮一
宇野千代が14才のときに結婚した最初の夫・藤村亮一について詳しく紹介します。
藤村忠
宇野千代が22才のときに結婚した2人目の夫・藤村忠について詳しく紹介します。
尾崎士郎
宇野千代の3人目の夫・尾崎士郎との結婚生活について紹介します。
北原武夫
宇野千代の4人目の夫・北原武夫について詳しく紹介します。
ブラッサム モデル 宇野千代 関連記事
ブラッサム 作品紹介
宇野千代の生涯をモデルとした朝ドラ「ブラッサム」の作品紹介です。
宇野千代とは
朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代の人物像や生涯を紹介します。
→ 宇野千代とは誰?
宇野千代 家系図
宇野千代の父・母・兄弟など、家族構成を家系図とともに紹介します。
→ 宇野千代の家系図
宇野千代 子供
子供のいなかった宇野千代が「我が子同然」に思った人物たちについて紹介します。
→ 宇野千代の子供
ブラッサム あらすじ・ネタバレ 最終回
ブラッサム あらすじ
朝ドラ「ブラッサム」の最新週から1週までのあらすじを随時更新します。
ブラッサム ネタバレ 最終回まで
朝ドラ「ブラッサム」の最終回までのネタバレや結末予想を紹介します。
参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考としています。
