朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代は、生涯で4回の結婚と4回の離婚を経験しました。
その3人目の夫が、小説「人生劇場」で知られる作家・尾崎士郎(おざきしろう)です。
尾崎士郎との結婚生活は、宇野千代が小説家として大きく飛躍した時代と重なり、東京の「馬込文士村」では川端康成や梶井基次郎ら多くの文学者との交流も生まれました。
また朝ドラ「ブラッサム」において染谷将太さんが演じる西尾一路(にしおいちろ)は、この尾崎士郎がモデルです。
この記事では、尾崎士郎とはどのような人物だったのか、宇野千代との出会いから結婚生活、文士村での交流までをわかりやすく紹介します。
→ 宇野千代の4人の夫と同棲相手とは?
→ 宇野千代 結婚歴
→ 藤村亮一とは? 最初の夫
→ 藤村忠とは?2人目の夫
→ 東郷青児とは? 同棲の相手
→ 北原武夫とは? 4人目の夫
→ ブラッサム 西尾一路(染谷将太)のモデルは尾崎士郎
→ ブラッサム 一路(染谷将太)の結婚相手とは?
結論|尾崎士郎は宇野千代の3人目の夫
尾崎士郎について簡単にまとめると次のようになります。
・宇野千代の3人目の夫
・小説「人生劇場」で知られる昭和を代表する作家の1人
・時事新報の懸賞小説で宇野千代と同時入選
・1922(大正11)年に宇野千代と出会う
・1923(大正12)年に同棲開始し1926年(大正15)年に正式に結婚
・「馬込文士村」で結婚生活を送り、若い文学者が集うコミュニティを形成
・川端康成・梶井基次郎・三好達治らと親交を深めた
・1930(昭和5)年に離婚
・朝ドラ「ブラッサム」の西尾一路(染谷将太)がモデル
尾崎士郎との結婚生活は、宇野千代が人気作家へと成長した時期と重なっています。
また、「馬込文士村」や伊豆湯ヶ島を舞台に多くの文学者との交流が生まれたことからも、宇野千代の人生を語るうえで欠かせない人物と言えるでしょう。
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→ 宇野千代 結婚歴
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尾崎士郎とは
宇野千代の3人目の夫
尾崎士郎(尾﨑士郎)(1898〜1964年)は、大正から昭和にかけて活躍した小説家です。
若い頃は普通選挙運動や社会主義運動に参加していましたが、1921(大正10)年、時事新報の懸賞小説で「獄中より」が二等に入選したことをきっかけに、本格的に文学の道へ進みました。
なお、この懸賞で一等となった作品が、宇野千代の「脂粉の顔」です。
その後、1935(昭和10)年に発表した代表作「人生劇場」が大ベストセラーとなり、昭和を代表する人気作家となりました。
戦時中は従軍作家として活動し、「石田三成」「高杉晋作」などの歴史小説も執筆。没後には文化功労者が追贈されています。
「ブラッサム」西尾一路のモデル
朝ドラ「ブラッサム」では、主人公・葉野珠(石橋静河)とともに切磋琢磨する文士として、染谷将太さんが演じる西尾一路(にしおいちろ)が登場します。
NHKは西尾一路の役柄を、
新進気鋭の若き小説家。同じ出版社に出入りしていた珠(たま)と知り合い、彼女の作家としての才能を早くから認め、やがて互いに切磋琢磨し合う仲となっていく。
として紹介しました。
引用した文章には「同じ出版社に出入りしていた珠(たま)と知り合い」とあります。
珠のモデル・宇野千代は、後述するように一時期、中央公論社(現在の中央公論新社)の編集者・滝田樗陰(たきだちょいん)のもとに出入りしており、その時期に尾崎士郎と知り合うことになりました。
こうした史実から「ブラッサム」の西尾一路とは、宇野千代の3番目の夫・尾崎士郎をモデルにしていると考えられます。
宇野千代と尾崎士郎の出会い
「時事新報」の懸賞小説が2人を結んだ
宇野千代と尾崎士郎が初めて出会ったのは1922(大正11)年です。
宇野千代は「墓を発く」が「中央公論」に掲載されたことについて、編集者・滝田樗陰へ挨拶に訪れました。
その席で評論家・室伏高信から紹介された人物が尾崎士郎でした。実は2人には、すでに共通点がありました。
前年の1921(大正10)年、時事新報が主催する懸賞小説で
- 宇野千代「脂粉の顔」……一等
- 尾崎士郎「獄中より」……二等
という形で、ともに入選していたのです。
室伏高信は、将来を期待される若い作家同士として2人を引き合わせたのでした。
宇野千代は尾崎士郎に一目惚れした
「生きて行く私」の中で、宇野千代は尾崎士郎との初対面を詳しく回想しています。
私は、これが尾崎士郎なのか、と思った。自分がこの男より上位の、一等であったことを、自慢に思ったのではなかった。焦げ茶色の、とても上等の生地で作った、洒落た洋服を着ている癖に、ネクタイは半分ほどけそうになっていて、その、どことなく投げやりな身のこなしに、私が気を惹かれたのでもなかった。眼をあげた瞬間に、男の眼が、一種言い難い微笑みを浮かべたまま、「ぼ、ぼくが、そ、その二等賞の尾崎士郎です」と言ったときの、その、おどけたような吃りの癖まで、思いもかけない感情の陥し穴に、私を誘い込んだのであった。いや吃りの癖が誘い込んだのではない。私はその瞬間に、ながい間、意識することもなしに過ごして来た渇望のようなものが、ふいに、堰を切って、溢れ出すような錯覚に襲われたのであった
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No. 1213
少し遠回しな表現ですが「宇野千代全集 第12巻」の表現を借りれば、宇野千代さんは尾崎士郎に一目惚れをしたのです。
当時、士郎は本郷の菊富士ホテルの「梅の間」に止宿していたが、初対面から心を奪われ、忽ち相愛の仲となる。そして千代も同ホテルの士郎の隣の部屋「竹の間」に移る。
宇野千代 宇野千代全集 第12巻 随筆 中央公論新社 272ページ
尾崎士郎との結婚生活
1926年に正式に結婚
宇野千代は尾崎士郎と出会った1922(大正11)年当時、2人目の夫・藤村忠との婚姻関係にありました。
しかし尾崎士郎との出会いをきっかけに、宇野千代は札幌へ戻らないことを決意します。
岩国に住む宇野千代さんの継母・宇野リュウからも特に反対されることなく、1924(大正13)4月年に藤村忠との協議離婚が成立。
なお宇野千代さんが尾崎士郎との3回目の結婚を正式に届け出たのは1926(大正15)年2月のことでした。
→ 藤村忠とは? 宇野千代の2番目の夫
→ 宇野千代の継母・宇野リュウとは?
馬込文士村の中心となった夫婦
宇野千代と尾崎士郎は1923(大正12)年、東京府荏原郡馬込村(現在の東京都大田区南馬込)の大根畑にある10坪ほどの土地を買い取り、家を建てました。
同年9月1日の関東大震災でも家は被害を受けず、3年後には赤い瓦屋根の洋館へ建て替えられます。
震災後、馬込村には多くの文士たちが移り住み、「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。
尾崎士郎は交友関係が広く、宇野千代も次第に人気作家として知られるようになったことから、2人の家には多くの文学青年や芸術家が集まりました。
この頃の宇野家には、
- 宇野千代
- 尾崎士郎
- 宇野千代の妹・勝子
- 勝子の夫・筒井敏雄(本名・七原敏雄)
- 尾崎士郎の母
- 愛犬フィリップ
などが暮らしており、にぎやかな家庭だったと伝えられています。
川端康成・梶井基次郎らとの交流・対決関係
伊豆湯ヶ島で文人たちと親交を深める
1927(昭和2)年頃から、宇野千代と尾崎士郎は仕事のため伊豆湯ヶ島温泉をたびたび訪れるようになります。
この頃の湯ヶ島には若い文学者たちも集まっており、
- 川端康成
- 梶井基次郎
- 三好達治
- 萩原朔太郎
などとの交流が始まります。
当時の川端康成は、まだ「伊豆の踊子」で広く知られる前の若い作家でした。
宇野千代と尾崎士郎は、こうした昭和文学を代表する作家たちと親交を深めながら、お互いに刺激を受けて創作活動を続けていきます。
宇野千代と梶井基次郎の交流
彼らの中でも特に「男女の噂」になったのが宇野千代と梶井基次郎との交流です。
宇野千代と梶井基次郎の2人が一旦話しだすと、一晩をかけて話し込むことが多く、周囲から「何か特別な関係があるのではないか?」と勘繰られていたようです。
そういう噂話も耳にしていた尾崎士郎は梶井基次郎のことを快く思っておらず、2人は「対決関係」あったようです。
ちなみに宇野千代と梶井基次郎との関係については下記の記事で詳しく紹介しています。合わせて参考にしてください。
東郷青児との出会いと離婚
東郷青児との出会い
1929(昭和4)年、宇野千代は新聞小説「罌粟はなぜ紅い」の連載を開始します。
作品の中には男女が情死を図る場面があり、その心理描写をよりリアルに描くため、実際に情死未遂事件を起こした洋画家・東郷青児へ取材を申し込みました。
宇野千代が電話で連絡すると、「話すから自宅へ来てほしい」と言われ、世田谷の東郷青児宅を訪問します。
この取材が、宇野千代の人生を大きく変えることになりました。
東郷青児との恋愛で離婚
取材をきっかけに宇野千代は東郷青児と恋愛関係となり、1930(昭和5)年には馬込村を離れて東郷青児の家へ移ります。
その結果、同年8月に尾崎士郎と正式に離婚しました。
一方、尾崎士郎も1929(昭和4)年頃から17歳の古賀清子(尾崎清子)と同棲しており、宇野千代との離婚後に再婚しています。
こうして約8年間続いた尾崎士郎との恋愛と結婚生活は終わりを迎えました。
しかし、この時代に築かれた文学者との交流や馬込文士村での経験は、宇野千代の代表作や、その後の作家人生へ大きな影響を与えることになったのです。
よくある質問(FAQ)
Q. 尾崎士郎とは誰ですか?
A. 尾崎士郎(1898〜1964年)は、小説「人生劇場」で知られる昭和を代表する小説家です。
宇野千代の3人目の夫でもあり、馬込文士村の中心人物として多くの文学者と交流しました。
Q. 尾崎士郎と宇野千代はいつ結婚しましたか?
A. 1926(大正15)年2月に正式に結婚しました。
ただし、1923(大正12)年頃から事実上の夫婦として共同生活を送っていました。
Q. 尾崎士郎の妻は宇野千代ですか?
A. はい。
尾崎士郎にとって宇野千代は最初の妻として知られています。
ただし1930(昭和5)年に離婚しており、その後、尾崎士郎は古賀清子と再婚しました。
宇野千代と尾崎士郎はなぜ離婚したのですか?
A. 宇野千代が新聞小説「罌粟はなぜ紅い」の取材をきっかけに洋画家・東郷青児と出会い、恋愛関係となったことが大きな理由です。
1930(昭和5)年、宇野千代は東郷青児のもとへ移り、尾崎士郎とは離婚しました。
Q. 尾崎士郎と梶井基次郎はどんな関係ですか?
A. 梶井基次郎が宇野千代を慕うあまり、尾崎士郎は梶井基次郎のことを快く思っておらず、一種の「対決関係」にありました。
Q. 朝ドラ「ブラッサム」に尾崎士郎は登場しますか?
現時点では出演者は発表されていません。
ただし、宇野千代の人生において最も重要な人物の一人であることから、ドラマでもモデルとなる人物が登場する可能性があります。
Q. 尾崎士郎の代表作は何ですか?
A. 代表作は「人生劇場」です。
1935(昭和10)年に刊行され大ベストセラーとなり、尾崎士郎を昭和を代表する人気作家の一人に押し上げました。
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