朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代は、自由奔放な生き方で知られる作家です。
その宇野千代の人格形成に大きな影響を与えた人物が、父・宇野俊次(うのとしつぐ)でした。
宇野俊次は酒造家の家に生まれながら、博打や遊興を好んだ一方で、14歳の宇野千代を従兄・藤村亮一に嫁がせた人物でもあります。
この記事では、宇野千代の父・宇野俊次とはどのような人物だったのか、生家や性格、宇野千代との親子関係について史実をもとに紹介します。
→ 宇野千代の家系図とは?
→ 宇野千代の家族とは?
→ 宇野千代の母とは?実母・宇野トモと継母・宇野リュウ
→ 宇野千代の兄弟とは? 5人の弟妹たち
結論|宇野俊次は宇野千代の人生に大きな影響を与えた父
宇野俊次について簡単にまとめると次のようになります。
・宇野千代の実の父親
・山口県岩国の酒造業の家に生まれた
・本家に生まれて分家の養子となった
・厳格な父親である一方、博打や遊興を好む自由奔放な性格でもあった
・14歳の宇野千代を従兄・藤村亮一へ嫁がせた
・1913(大正2)年、宇野千代16歳のときに病気のため死去
宇野俊次は厳格な父親である一方、博打や遊興を好む破天荒な一面も持ち合わせていました。
宇野千代は自伝「生きて行く私」の中で、そんな父を「バルザックかドストエフスキーの小説にしか出て来ないような一種の奇人乃至狂人」と表現しています。
その複雑な父子関係は、宇野千代の人生観や作品世界にも少なからぬ影響を与えたと考えられます。
→ 宇野千代の家系図とは?
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宇野俊次とは
酒造業の家に生まれた宇野千代の父
宇野俊次(1855〜1913年)は、宇野千代の実の父親です。
宇野千代さんの父・宇野俊次の生家は、高森(現在の山口県岩国市周東町)というところで代々にわたって造り酒屋(酒造業)を営み、地元では分限者(金持ち)として知られていました。
「生きていく私」によると、その造り酒屋の店先には夥しい数の酒樽が並べられており、酒を買いに来た人たちに対してはいかにも「売ってやるぞよ」という主客転倒の状態で商売が行われていた描写されています。
分家の養子に
ただし造り酒屋(酒造業)の主人は宇野俊次ではなく、宇野千代さんにとっては伯父にあたる宇野政介という男性です。
宇野俊次はその造り酒屋の次男として生まれ、のちに分家である宇野熊太郎のもとに養子として出されました。
そのため、宇野千代の父・宇野俊次自身は酒造業を経営していたわけではありません。
宇野千代との親子関係
1897(明治30)年11月28日、宇野千代は宇野俊次と妻・土井トモの長女として誕生しました。
しかし、宇野千代が1歳半のときに実母・トモは肺結核で亡くなります。
その後、俊次は佐伯リュウ(宇野リュウ)と再婚し、宇野千代には異母弟妹が生まれました。
宇野千代は自伝「生きていく私」の冒頭で、自らの出生について次のように振り返っています。
「私は周防ノ国岩国大字川西の八百七十七番地の家に生まれた。」
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No.62
また幼い頃には、川西の家と父の実家である高森の酒造家を何度も行き来していたことも回想しています。
→ 宇野千代の母とは?実母・宇野トモと継母・宇野リュウ
→ 宇野千代の実母・宇野トモ
→ 宇野千代の継母・宇野リュウ
「ブラッサム」 葉野清治のモデル
朝ドラ「ブラッサム」では主人公・葉野珠(石橋静河)の父として、葉野清治(渡部篤郎)が登場します。
NHKは「ブラッサム」における葉野清治の役柄として、
岩国でも有数の蔵元「葉野酒蔵」の長男にもかかわらず、実家を継がずに暮らしている。娘の珠をはじめ、家族へのしつけに厳しい。
と紹介しています。
「葉野酒蔵」や「実家を継がずに暮らしている」、さらに「家族へのしつけに厳しい」と言う点から、 葉野清治は、宇野千代の父・宇野俊次を主なモデルとしたキャラクターである可能性が高いでしょう。
宇野千代の父・宇野俊次の人物像
家では厳格な父親だった
「宇野千代全集 第12巻」を読むと、宇野千代の父・宇野俊次は「厳格な父親」であったことが記されています。
どのように厳格であったかは「宇野千代全集 第12巻」では分からないものの、「生きていく私」では俊次は学校から帰ってきた千代に対して、決して外で遊ぶことを許さなかったとあります。
博打好き・遊び人だった父
ところが宇野俊次は、内と外で見せる顔がまるで違っていました。家庭では「厳格な父親」で通していましたが、花街に行くと「ひょうきんな遊び人」で有名だったのです。
遊び人としての顔をもつ、父・俊次に対して思い出として挙げている1つが博打でした。
幼い頃、父が二日間家へ帰らず、警察から連絡が入ったことがあったと回想しています。
或るときのことである。父は家を出て行ってから二日も帰って来ないことがあった。警察から知らせがあって、父はそこに留められているのだと言う。私は母に連れられて、その父のために弁当を持って行った。あとで聞くと父は、どこかで博奕をしていて、挙げられたのだと言う。
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No.157
父・宇野俊次の気質を引き継いだ宇野千代
実は俊次は本家から分家の養子になるさい、かなりの額の財産を受け取っていました。
しかしこうした花街での遊びを繰り返しているうちに、いつの間にか金を使い果たし、宇野千代が物心がつくころには、家はすっかり貧しくなっていたようです。
しかし宇野千代は、その自由奔放な生き方を否定してはいません。
むしろ、「父の気質は自分にも受け継がれている」という趣旨の回想も残しており、型にはまらない人生観は父から少なからず影響を受けていたことが分かります。
14歳で宇野千代を藤村亮一に嫁がせた父
父の一言で最初の結婚が決まる
宇野俊次は、宇野千代の最初の結婚にも深く関わっています。
1911(明治44)年、14歳だった宇野千代は、母方の伯母の家へ遊びに行き、帰宅が夜遅くなりました。
このとき、従兄・藤村亮一に送ってもらって帰宅すると、俊次は激しく叱責します。
その後、俊次は宇野千代に対し、藤村亮一へ嫁ぐよう命じました。宇野千代は「生きて行く私」の中で、その時の様子を次のように振り返っています。
「われあ、早やじきに、鉄砲小路の家に嫁入りするのじゃぞ。」
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No.157
父から突然そう言われた宇野千代は、抵抗することなく「はい」と答えたと記しています。
病床の父は娘を引き留めなかった
こうして始まった最初の結婚生活でしたが、宇野千代はわずか10日ほどで実家へ戻ってしまいます。現在でいうホームシックのような状態だったと考えられています。
この頃には宇野俊次自身も病に伏しており、以前のような気力は失われていました。宇野千代に「嫁ぎ先へ戻れ」と命じることもなく、そのまま娘を実家で受け入れます。
そして1913(大正2)年、宇野千代が16歳のとき、宇野俊次は病気で亡くなりました。
宇野千代は16歳で父を亡くしましたが、その生き方や価値観は後年まで大きな影響を残したと言えるでしょう。
よくある質問(FAQ)
Q. 宇野千代の父親は誰ですか?
A. 宇野千代の父親は宇野俊次(1855〜1913年)です。
高森(現在の山口県岩国市周東町)の酒造業の家に生まれ、分家の養子となりました。
Q. 宇野俊次はどんな人物でしたか?
A. 家庭では厳格な父親でありましたが、花街では博打や遊興を好んだ自由奔放な人物として知られています。
Q. 宇野千代の父は酒造業を営んでいたのですか?
A. 営んでいませんでした。
酒造業を営んでいたのは宇野家の本家であり、宇野俊次自身は分家の養子となったため、酒蔵の主人ではありませんでした。
Q. 宇野千代の父はなぜ博打好きと言われるのですか?
A. 宇野千代自身が「生きて行く私」の中で、父が博打で警察に留置された出来事を回想しているためです。
また岩国の花街でも遊び人として知られていたと伝えられています。
Q. 宇野俊次は宇野千代の結婚にも関わっていますか?
A. はい。
1911(明治44)年、14歳だった宇野千代を従兄・藤村亮一へ嫁がせたのは父・宇野俊次でした。
しかし、この結婚生活は約10日で終わっています。
Q. 宇野俊次はいつ亡くなりましたか?
A. 1913(大正2)年に病気で亡くなりました。
宇野千代は16歳でした。
Q. 「ブラッサム」の葉野清治のモデルは宇野俊次ですか?
A. 「ブラッサム」に登場する葉野清治は、宇野千代の父親である宇野俊次をモデルにしている可能性が高いでしょう。
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参考文献
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