朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代は、小説家として活躍しただけでなく、複雑な家族関係を持つ人物でもありました。
酒造業を営む宇野家に生まれ、幼い頃に実母を亡くしたあと継母に育てられ、異母兄弟たちとともに成長します。さらに4回の結婚と1度の同棲生活を経験し、「我が子同然」に接した人物もいました。
この記事では、宇野千代の父・母・兄弟・4人の夫・子供・子孫まで、家族全体を一覧でわかりやすく紹介します。
→ 宇野千代の家系図とは?
→ 宇野千代の父・宇野俊次
→ 宇野千代の2人の母 宇野トモと宇野リュウ
→ 宇野千代の兄弟たち 5人の弟妹
→ 宇野千代の4人の夫と同棲相手とは?
→ 宇野千代の子供とは? 我が子同然に思った4人の人物たち
→ 宇野千代に子孫はいる?
結論|宇野千代の家族まとめ
宇野千代の家族について簡単にまとめると次のようになります。
・父は酒造業を営んだ宇野俊次
・実母は宇野トモ、継母は宇野リュウ
・異母兄弟を含め5人の兄弟姉妹がいた
・生涯で4回結婚し、東郷青児とは約4年間同棲した
・一般には実子はいなかったとされているが、短編小説「私と子供」には娘・寵子を出産した記述がある
・寵子の実在を裏付ける記録は確認できず、実子の有無は断定できない
・そのため血縁上の孫・子孫についても確認できない
・東郷志馬・東郷たまみ・北原ミキ・藤江淳子らを「我が子同然」に接した
・妹・勝子の養子・純夫を孫同然にかわいがっていた
宇野千代の家族は、血縁だけでは語れません。
実家の家族だけでなく、4人の夫や同棲相手、そして「我が子同然」「孫同然」と愛情を注いだ人々まで含めることで、宇野千代の人生や人間関係がより立体的に見えてきます。
→ 宇野千代の家系図とは?
→ 宇野千代の父・宇野俊次
→ 宇野千代の2人の母 宇野トモと宇野リュウ
→ 宇野千代の兄弟たち 5人の弟妹
→ 宇野千代の4人の夫と同棲相手とは?
→ 宇野千代の子供とは? 「我が子同然」に思った4人の人物たち
→ 宇野千代に子孫はいる?
宇野千代の家族たち
宇野千代の父母
| 名前 | 生年と死没年 | 説明 |
|---|---|---|
| 宇野俊次 | 1855~1913年 | 宇野千代さんの父。酒造業をしていた本家の次男であったが分家の養子に出る |
| 宇野トモ | 1873~1899年 | 宇野千代さんの実母。旧姓は土井 |
| 宇野リュウ | 1873~1951年 | 宇野千代さんの継母。17才のときに宇野俊次と結婚。旧姓は佐伯 |
宇野千代さんの生母・宇野トモ(土井トモ)は、1899(明治32)年、宇野千代さんが1才半のときに肺結核のため死去。
そのため父・宇野俊次は後妻として宇野リュウ(佐伯リュウ)を迎えることに。つまり、宇野千代にとって「母」と呼べる人物は、2人存在することになります。
宇野千代 兄弟
| 名前 | 生年と死没年 | 説明 |
|---|---|---|
| 宇野千代 | 1897~1996年 | 本人 |
| 宇野薫 | 1901年~ | 宇野千代さんの5才年下の異母弟 |
| 宇野鴻 | 1904~1945年 | 宇野千代さんの7才年下の異母弟 |
| 宇野勝子 | 1906年~ | 宇野千代さんの9才年下の異母妹 |
| 宇野光雄 | 1908~1941年 | 宇野千代さんの11才年下の異母弟 |
| 宇野文雄 | 1911年~ | 宇野千代さんの14才年下の異母弟 |
宇野千代 夫
| 名前 | 生年と死没年 | 説明 |
|---|---|---|
| 藤村亮一 | 宇野千代さんの1回目の結婚相手。結婚時期は1911年 | |
| 藤村忠 | 宇野千代さんの2回目の結婚相手。結婚時期は1919~1924年 | |
| 尾崎士郎 | 1898~1964年 | 宇野千代さんの3回目の結婚相手。結婚時期は1926~1930年 |
| 北原武夫 | 1907~1973年 | 宇野千代さんの4回目の結婚相手。結婚時期は1939~1964年 |
宇野千代さんは、藤村亮一・藤村忠・尾崎士郎・北原武夫の4人の男性との結婚と離婚の他にも、1930(昭和5)年から1934(昭和9)年の間に洋画家・東郷青児(1897~1978年)との同棲生活も経験したことで有名です。
宇野千代 子供
| 名前 | 宇野千代さんとの関係 | 説明 |
|---|---|---|
| 寵子 | 娘として作品に登場 | 1935(昭和10)年発表の短編小説「私と子供」で、宇野千代が出産した娘として記される。ただし実在したことを裏付ける記録は確認できない |
| 東郷志馬 | 東郷青児の長男 | 父は東郷青児。母は永野明代(はるよ) |
| 東郷たまみ | 親子のような関係 | 父は東郷青児。母は東郷盈子(みつこ) |
| 北原ミキ | 継子 | 父は北原武夫。母は北原武夫の前妻 |
| 藤江淳子 | 秘書 | 1960(昭和35)年から1996(平成8)年まで秘書として宇野千代さんと共に生活 |
宇野千代の子供については、一般に「実子はいなかった」と紹介されてきました。
しかし、1935(昭和10)年に雑誌「改造」三月号へ発表した短編小説「私と子供」(「宇野千代全集 第4巻」に収録)には、宇野千代自身を思わせる「私」が娘・寵子を出産したという記述があります。
一方、宇野千代の年譜や自伝などでは寵子の存在を確認できず、実在した娘だったのか、小説上の人物だったのかは断定できません。
そのほか宇野千代には、血縁や法律上の親子関係を超えて、親子のような関係を築いた人物がいました。
東郷志馬、東郷たまみ、北原ミキ、藤江淳子との関係については、それぞれの記事で詳しく紹介しています。
→ 宇野千代の子供とは?
宇野千代 孫
| 名前 | 宇野千代さんとの関係 | 説明 |
|---|---|---|
| 純夫 | 義理の甥 | 養母は宇野千代の妹・勝子 |
宇野千代に血縁上の孫がいたことを示す記録は、現在確認できません。
一般には宇野千代に実子はいなかったとされていますが、短編小説「私と子供」(「宇野千代全集 第4巻」に収録)には娘・寵子を出産した記述があります。
ただし寵子が実在したことや、その後に子供をもうけたことを示す記録は確認できません。
一方、宇野千代が孫のようにかわいがった人物として、妹・勝子の養子となった純夫さんがいました。
よくある質問(FAQ)
Q. 宇野千代の家族はどんな人たちですか?
A. 宇野千代の家族には、父・宇野俊次、実母・宇野トモ、継母・宇野リュウ、異母兄弟5人がいます。また、生涯で4回結婚し、東郷青児とは約4年間同棲しました。
Q. 宇野千代の父と母は誰ですか?
A. 父は酒造業を営んでいた宇野俊次です。実母は宇野トモで、宇野千代が幼い頃に亡くなりました。その後は継母・宇野リュウに育てられています。
Q. 宇野千代に兄弟はいましたか?
A. はい。異母兄弟を含め、弟4人と妹1人がいました。宇野薫、宇野鴻、宇野勝子、宇野光雄、宇野文雄が知られています。
Q. 宇野千代の夫は誰ですか?
A. 宇野千代は、生涯で藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫の4人と結婚しました。また、1930(昭和5)年から1934(昭和9)年までは洋画家・東郷青児と同棲生活を送っています。
Q. 宇野千代に子供はいましたか?
A. 一般には「実子はいなかった」とされています。
しかし、宇野千代が1935(昭和10)年に発表した短編小説「私と子供」には、娘・寵子を出産した記述があります。
一方、年譜や自伝などでは寵子の存在を確認できず、実在した娘だったのか、小説上の人物だったのかは断定できません。
また宇野千代は、東郷志馬、東郷たまみ、北原ミキ、藤江淳子らと親子のような関係を築いていました。
Q. 宇野千代に子孫はいますか?
A. 宇野千代に血縁上の孫や子孫がいたことを示す記録は、現在確認できません。
短編小説「私と子供」には娘・寵子を出産した記述がありますが、寵子の実在やその後については確認できないため、「宇野千代には血縁上の子孫がいない」とまで断定することも難しいでしょう。
一方、宇野千代は妹・勝子の養子となった純夫さんを孫のようにかわいがっていました。
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宇野千代 父
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宇野千代 母
宇野千代には実母・宇野トモと継母・宇野リュウという「2人の母」がいました。
宇野千代 兄弟
宇野千代には合計5人の弟妹(薫・鴻・勝子・光雄・文男)たちがいました。
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→ 宇野千代の家系図
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ブラッサム 作品紹介
宇野千代の生涯がモデルとなった朝ドラ「ブラッサム」の作品紹介です
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ブラッサム ネタバレ 最終回まで
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考としています。
