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尾崎士郎の妻は2人 宇野千代・古賀清子との結婚と離婚・子供を解説

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小説『人生劇場』で知られる作家・尾崎士郎(1898~1964年)には、生涯で2人の妻がいました。

最初の妻は小説家・宇野千代(1897~1996年)、2人目の妻は古賀清子(尾崎清子)です。

尾崎士郎は1926(大正15)年に宇野千代と結婚しましたが、1928(昭和3)年から古賀清子との生活を始め、1930(昭和5)年に宇野千代と離婚して古賀清子と再婚しました。

この記事では、尾崎士郎の2人の妻について、出会いから結婚・離婚までの経緯、子供の有無や家族構成を年表とともに解説します。

→ 尾崎士郎とは?宇野千代の3番目の夫
→ 尾崎士郎と古賀清子の関係とは?
→ 尾崎士郎の子供・子孫は何人?

目次

結論 | 尾崎士郎の妻は宇野千代と古賀清子の2人

小説『人生劇場』で知られる作家・尾崎士郎(1898~1964年)には、生涯で2人の妻がいました。

最初の妻は小説家の宇野千代(1897~1996年)、2人目の妻は古賀清子(尾崎清子)です。

尾崎士郎は1922(大正11)年に宇野千代と出会い、1926(大正15)年に結婚しましたが、1930(昭和5)年8月に離婚。その後、すでに生活を共にしていた古賀清子と再婚しました。

尾崎士郎の妻と結婚歴を年表で整理すると、次のようになります。

年月尾崎士郎の妻・結婚歴
1922(大正11)年宇野千代と出会う
1923(大正12)年宇野千代と共同生活を始める
1924(大正13)年4月宇野千代と藤村忠の協議離婚が成立
1926(大正15)年宇野千代と正式に結婚
1928(昭和3)年正月宇野千代と別居し、古賀清子との生活を始める
1930(昭和5)年8月宇野千代と正式に離婚
1930(昭和5)年古賀清子と再婚
1933(昭和8)年長女・尾崎一枝が誕生
1948(昭和23)年5月長男・尾崎俵士が誕生
1964(昭和39)年尾崎士郎が死去

宇野千代との間に子供はいませんでしたが、古賀清子との間には娘・尾崎一枝と息子・尾崎俵士の2人の子供が生まれています。

→ 尾崎士郎とは?宇野千代の3番目の夫
→ 尾崎士郎と古賀清子の関係とは?
→ 尾崎士郎の子供・子孫は何人?
→ 尾崎士郎の娘・尾崎一枝とは?
→ 尾崎士郎の息子・尾崎俵士とは?

尾崎士郎の最初の妻・宇野千代とは

尾崎士郎の最初の妻は、小説家・随筆家として知られる宇野千代(1897~1996年)です。

宇野千代は生涯で4回の結婚を経験しており、尾崎士郎はその3人目の夫にあたります。

→ 宇野千代の4人の夫と同棲相手

1922年に出会い1926年に結婚

尾崎士郎と宇野千代が出会ったのは、1922(大正11)年のことです。

前年の1921(大正10)年、2人は新聞「時事新報」の懸賞小説に応募。

宇野千代の『脂粉の顔』が一等、尾崎士郎の『獄中より』が二等に入選しました。

翌1922年、宇野千代は文芸雑誌『中央公論』の編集者・滝田樗陰を訪ねた際、評論家・室伏高信から尾崎士郎を紹介されます。

宇野千代は尾崎士郎に一目惚れし、やがて2人は東京・馬込村で共同生活を開始。

ただし、当時の宇野千代は2人目の夫・藤村忠と婚姻関係にありました。

1924(大正13)年4月に藤村忠との協議離婚が成立すると、尾崎士郎との事実上の結婚生活に入り、1926(大正15)年には正式に結婚。

2人は東京の馬込村に家を構え、若い作家や芸術家が集まる「馬込文士村」の中心的な存在となりました。

→ 宇野千代と滝田樗陰の関係
→ 藤村忠とは?宇野千代の2番目の夫

1930年に離婚

尾崎士郎と宇野千代は、1930(昭和5)年8月に離婚。

2人の関係に変化が生じたのは、1927(昭和2)年頃からです。

宇野千代は伊豆・湯ヶ島で梶井基次郎と親しく交流するようになり、周囲では2人の男女関係を疑う噂が広まりました。

その後、尾崎士郎は1928(昭和3)年正月に馬込の家を出て、古賀清子と生活を開始。

一方の宇野千代も、1929(昭和4)年に新聞小説『罌粟はなぜ紅い』の取材をきっかけに洋画家・東郷青児と知り合い、1930年には同棲生活を始めました。

こうして尾崎士郎と宇野千代は約2年間の別居を経て、1930年8月に正式に離婚しました。

ただし、宇野千代は尾崎士郎や古賀清子を憎んでいたわけではなく、後年の回想でも2人について語っています。

→ 宇野千代と梶井基次郎 宇野千代はなぜモテるのか
→ 尾崎士郎と梶井基次郎の関係
→ 尾崎士郎と古賀清子の関係とは?宇野千代との別居・離婚から結婚まで
→ 東郷青児とは?宇野千代の同棲相手

尾崎士郎と宇野千代の間に子供はいない

なお、尾崎士郎と宇野千代の間に、実の子供はいません。

宇野千代は生涯において4回の結婚と1回の同棲を経験していますが、そのうち子供を出産した経験は、2回目の結婚相手である藤村忠と同棲・結婚生活をしている期間(1916〜1922年)だけです。

この間、宇野千代は6回の妊娠を経験し、うち1人だけを出産。

ただしその女の子は生後1日もしくは2日で亡くなっています。

→ 宇野千代の子供 6人の子供を亡くした経験について
→ 宇野千代は藤村忠との間に子供が1人いた!

尾崎士郎の2人目の妻・古賀清子とは

尾崎士郎の2人目の妻は、古賀清子(1911年生まれ)です。

古賀清子は東京市渋谷区神泉町に生まれ、父・古賀保行の家庭で育ちました。

しかし、父親が親戚の連帯保証人となって負債を抱えたことにより、家計を助けるため銀座のカフェー「ライオン」で女給として働くようになります。

そのカフェーで知り合った客の一人が尾崎士郎でした。

1928年から古賀清子と生活を始める

尾崎士郎は1928(昭和3)年正月、宇野千代と暮らしていた馬込村の家を出て、古賀清子との生活を開始。

『宇野千代全集 第12巻』の年譜によると、尾崎士郎と古賀清子は友人宅やホテルなどを転々とする生活を送り、1928年暮れには品川・東善寺の借家へ移っています。

さらに翌1929(昭和4)年正月には、尾崎士郎に同情した作家・今井達夫が馬込の自宅2階を提供しました。

一方、宇野千代は馬込の家とは別に仕事場を設け、作家活動を続けていました。

こうして尾崎士郎と宇野千代は、婚姻関係を続けながらも別々の生活を送るようになったのです。

→ 尾崎士郎と古賀清子の関係とは?

1930年に宇野千代と離婚し古賀清子と再婚

1930(昭和5)年8月、尾崎士郎と宇野千代は正式に離婚。

その後、尾崎士郎は古賀清子と結婚し、同年12月には大森山王へ転居しています。

1933(昭和8)年には代表作『人生劇場』の新聞連載が始まり、1935(昭和10)年には単行本が刊行され、大きな人気を集めるようになります。

→ 尾崎士郎と古賀清子の関係とは?

尾崎士郎と古賀清子の子供・尾崎一枝と尾崎俵士

尾崎士郎と古賀清子の間には、娘・尾崎一枝と息子・尾崎俵士の2人の子供が生まれました。

名前生年尾崎士郎との関係
尾崎一枝1933(昭和8)年長女。『父 尾崎士郎』などの著書がある
尾崎俵士1948(昭和23)年5月長男。名前は『人生劇場』の主人公・青成瓢吉に由来

尾崎士郎の子供・孫・子孫については、家系図を使って別の記事で詳しく紹介しています。

→ 尾崎士郎の子供・子孫は何人?娘・息子・孫を家系図で解説
→ 尾崎一枝とは?尾崎士郎の娘
→ 尾崎俵士とは?尾崎士郎の息子

尾崎士郎 妻 関連記事

尾崎士郎の2人の妻・宇野千代と古賀清子について、結婚生活や離婚の経緯、子供・子孫に関する記事を紹介します。

尾崎士郎 宇野千代

尾崎士郎は小説家・宇野千代の3人目の夫にあたり、1926(大正15)年に結婚しました。

関連記事では、1922年の出会いから東京・馬込文士村での共同生活、1930年の離婚までを詳しく解説しています。

→ 尾崎士郎とは?宇野千代の3番目の夫

尾崎士郎 古賀清子

古賀清子は尾崎士郎の2人目の妻で、1928(昭和3)年から生活を共にし、1930(昭和5)年に結婚しました。

関連記事では、銀座のカフェーでの出会い、宇野千代との別居・離婚、古賀清子との再婚に至る経緯を紹介しています。

→ 尾崎士郎と古賀清子の関係とは?

尾崎士郎 子供

尾崎士郎には、2人目の妻・古賀清子との間に娘・尾崎一枝と息子・尾崎俵士の2人の子供がいました。

関連記事では、尾崎士郎の子供・孫・子孫について、家系図を使いながら家族関係を整理しています。

→ 尾崎士郎の子供・子孫は何人?娘・息子・孫を家系図で解説

尾崎一枝

尾崎一枝(1933年生まれ)は、尾崎士郎と古賀清子の長女です。

父・尾崎士郎について書いた『父 尾崎士郎』などの著書があり、俳人・中村汀女の息子である中村湊一郎と結婚しました。

関連記事では、尾崎一枝の経歴や結婚、子供について解説しています。

→ 尾崎一枝とは?尾崎士郎の娘

尾崎俵士

尾崎俵士(1948年生まれ)は、尾崎士郎と古賀清子の長男です。

その名前は、尾崎士郎の代表作『人生劇場』の主人公・青成瓢吉に由来します。

関連記事では、尾崎俵士の名前の由来や、早稲田大学高等学院への進学などを紹介しています。

→ 尾崎俵士とは?尾崎士郎の息子

尾崎士郎 その後・死因

小説家・尾崎士郎は1930(昭和5)年に宇野千代と離婚した後、古賀清子と再婚しました。

1933(昭和8)年から連載した『人生劇場』が大ヒットし、人気作家となりますが、戦後は公職追放を経験しています。

その後も歴史小説などの執筆を続けましたが、1961(昭和36)年に直腸がんを患い、1964(昭和39)年2月19日に66歳で亡くなりました。

関連記事では、宇野千代との離婚後の人生、『人生劇場』の成功、公職追放、晩年の闘病生活から死因・最期までを詳しく解説しています。

→ 尾崎士郎のその後は?死因は直腸がん 『人生劇場』の成功から晩年・死去まで

ブラッサム モデル 宇野千代 関連記事

NHK連続テレビ小説『ブラッサム』の主人公・葉野珠のモデルとなった宇野千代について、結婚歴や夫、子供、男性関係を解説した記事を紹介します。

宇野千代とは

宇野千代(1897~1996年)は、山口県岩国出身の小説家・随筆家です。

生涯で4回の結婚を経験し、『色ざんげ』『おはん』『生きて行く私』などの作品を残しました。

関連記事では、宇野千代の生涯や家族、作家としての経歴を紹介しています。

→ 宇野千代とは?生涯・家族・代表作品を解説

宇野千代 夫

宇野千代は藤村亮一・藤村忠・尾崎士郎・北原武夫の4人の男性と結婚しました。

関連記事では、それぞれの夫との出会いから結婚・離婚までの経緯や、洋画家・東郷青児との同棲生活を整理しています。

→ 宇野千代の夫は4人!歴代の結婚相手と同棲相手

宇野千代 子供

宇野千代は生涯で6回の妊娠を経験し、1人の女の子を出産しましたが、生後2日で亡くしています。

関連記事では、宇野千代の妊娠・出産の経験や、子供を持たなかったその後の人生について解説しています。

→ 宇野千代に子供はいた?6回の妊娠と出産について

宇野千代 離婚

宇野千代は生涯で4回の離婚を経験しています。

それぞれ離婚した理由について下記の記事で詳しく解説します。

→ 宇野千代はなぜ4回の離婚をしたのか?

宇野千代 男性遍歴

宇野千代は4人の夫のほかにも、洋画家・東郷青児など複数の男性と恋愛関係にありました。

関連記事では、宇野千代の自伝や随筆などをもとに、恋愛相手や男性関係を時系列で紹介しています。

→ 宇野千代の男性遍歴とは?夫・恋人・同棲相手を解説

ブラッサム 作品紹介・あらすじ・ネタバレ 最終回

ブラッサム 作品紹介

宇野千代の生涯をモデルとした朝ドラ「ブラッサム」の作品紹介です。

→ NHK2026年後期朝ドラ「ブラッサム」とは?

ブラッサム 西尾一路

朝ドラ「ブラッサム」では尾崎士郎をモデルとした、若き文士・西尾一路(染谷将太)が登場し、主人公・葉野珠(石橋静河)と生活を共にすることになります。

→ ブラッサム 西尾一路(染谷将太)とは? モデルは尾崎士郎

ブラッサム あらすじ

朝ドラ「ブラッサム」の最新週から1週までのあらすじを随時更新します。

→ ブラッサム あらすじ 最新週から1週まで

ブラッサム ネタバレ 最終回まで

朝ドラ「ブラッサム」の最終回までのネタバレや結末予想を紹介します。

→ ブラッサム ネタバレ最終回まで 主な登場人物の結末

参考文献

今回の記事は以下の書籍を参考としています。

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