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東郷青児の妻は誰?永野明代・西崎盈子との結婚と女性遍歴・恋愛を解説

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洋画家・東郷青児(1897~1978年)は、生涯に複数の女性と恋愛関係になったことで知られています。

1920(大正9)年に永野明代と結婚しましたが、フランスから帰国後には西崎盈子と恋愛関係になり、1929(昭和4)年には中村修子と結婚式を挙げました。

さらに翌1930(昭和5)年には小説家・宇野千代と出会い、約4年間にわたって同棲生活を送っています。

ただし、中村修子と結婚式を挙げ、宇野千代との同棲を始めた時点でも、法律上の妻は永野明代でした。

この記事では、東郷青児の妻は誰だったのか、永野明代・西崎盈子との結婚を中心に、中村修子や宇野千代を含む女性遍歴と恋愛関係を時系列で解説します。

→ 永野明代とは?
→ 西崎盈子とは?
→ 中村修子とは?
→ 宇野千代とは?東郷青児の同棲相手

目次

結論|東郷青児の妻と女性遍歴

東郷青児の最初の妻は、1920(大正9)年に結婚した永野明代です。

二人の間には長男・東郷志馬が生まれましたが、東郷がフランスから帰国した後に夫婦関係は悪化し、1933(昭和8)年に離婚しました。

一方、東郷は永野明代との婚姻関係が続いていた時期に西崎盈子と恋愛し、1929(昭和4)年には中村修子と結婚式を挙げています。

中村修子との関係が終わると西崎盈子と情死未遂事件を起こし、翌1930(昭和5)年からは宇野千代と約4年間にわたって同棲しました。

その後、西崎盈子が東郷の妻となり、1940(昭和15)年には長女・東郷たまみが誕生しています。

このように東郷青児の女性遍歴は、法律上の結婚と恋愛・同棲関係が複雑に重なっていました。

→ 永野明代とは?
→ 西崎盈子とは?
→ 中村修子とは?
→ 宇野千代とは?東郷青児の同棲相手

東郷青児の妻は誰?

東郷青児は生涯に複数の女性と恋愛関係になりましたが、すべての女性と法律上の結婚をしていたわけではありません。

最初の妻は1920(大正9)年に結婚した永野明代で、二人の間には長男・東郷志馬が生まれています。

その後、東郷は西崎盈子と恋愛関係になり、一時的に離れていた1929(昭和4)年には中村修子と結婚式を挙げました。

しかし、この時点では永野明代との離婚が成立していません。

さらに1930(昭和5)年頃からは小説家・宇野千代と同棲生活を送り、永野明代との離婚成立後には西崎盈子が東郷の妻となりました。

そのため、東郷青児の妻や女性遍歴を理解するには、法律上の結婚だけでなく、中村修子との結婚式、宇野千代との同棲、西崎盈子との恋愛関係も含めて時系列で整理する必要があります。

東郷青児の妻・恋愛関係にあった女性

東郷青児の妻や恋愛関係にあった主な女性を整理すると、次のようになります。

女性東郷青児との関係
永野明代1920年に結婚した最初の妻。長男・東郷志馬の母
西崎盈子1928年の帰国後に恋愛関係となり、1929年に東郷と情死未遂。その後、東郷盈子となる
中村修子1929年に東郷と結婚式を挙げた女性。ただし永野明代との離婚成立前
宇野千代1930年頃から約4年間にわたって同棲した小説家

東郷をめぐる女性関係は時期によって重なっており、一人との関係が完全に終わってから次の女性と交際したわけではありません。

→ 永野明代とは?
→ 西崎盈子とは?
→ 中村修子とは?
→ 宇野千代とは?東郷青児の同棲相手

最初の妻・永野明代

1920(大正9)年に永野明代と結婚

永野明代は、大阪で眼科医院を開業していた医師・永野壽造の娘です。

裕福な家庭で育った明代は東郷青児と知り合い、1920(大正9)年に結婚しました。

翌1921(大正10)年に東郷がフランスへ渡ると、妊娠していた明代も後を追って渡仏します。

長男・東郷志馬が誕生

1921(大正10)年11月21日、フランスで東郷青児と永野明代の長男・東郷志馬が誕生しました。

しかし、明代は志馬を連れて1923(大正12)年頃に日本へ帰国。

東郷はその後もフランスに滞在し、1928(昭和3)年まで日本へ戻らなかったため、夫婦は長期間にわたって離れて暮らすことになります。

→ 東郷志馬とは?東郷青児の長男

永野明代との離婚は1933年

1928(昭和3)年に帰国した東郷と明代の間では離婚話が進められましたが、すぐには成立しませんでした。

東郷が西崎盈子と恋愛関係になり、中村修子と結婚式を挙げ、さらに宇野千代と同棲を始めた時期にも、法律上は明代との婚姻関係が続いていました。

最終的に東郷青児と永野明代の離婚が成立したのは1933(昭和8)年です。

→ 永野明代とは?

西崎盈子との恋愛と情死未遂

フランスから帰国後に西崎盈子と恋愛

1928(昭和3)年にフランスから帰国した東郷青児は、西崎盈子と恋愛関係になります。

盈子は海軍士官・西崎勝之の長女で、東京女子高等師範学校附属高等女学校(現在のお茶の水女子大学附属高等学校)を卒業後、日本女子大学校(現在の日本女子大学)の家政科に進学していました。

しかし、西崎家が二人の交際に反対したことなどから、東郷と盈子は一時的に会わなくなります。

その間に東郷が出会ったのが中村修子でした。

1929年に中村修子と結婚式

中村修子は、実業家・中村幹治の娘です。

盈子と離れていた約4か月の間に修子と出会った東郷は一目惚れし、結婚を決めました。

1929(昭和4)年2月17日、二人は東京・芝の紅葉館で結婚式を挙げ、鹿島谷の家で新婚生活を始めます。

ただし、東郷と永野明代の離婚はまだ成立していませんでした。

そのため、中村修子との結婚式を法律上の婚姻と同じ意味で捉えることには注意が必要です。

→ 中村修子とは?

西崎盈子と再会

中村修子との結婚から約1か月後、東郷青児は西崎盈子と再会します。

一方の修子も、結婚前に交際していた男性のもとへ走り、東郷との新居から失踪しました。

こうして中村修子との関係は短期間で事実上終わります。

1929年3月30日に情死未遂

再び関係を深めた東郷青児と西崎盈子は、1929(昭和4)年3月30日に情死を図りました。

二人は一命を取り留めましたが、この事件は翌3月31日付の『東京朝日新聞』社会面で大きく報じられます。

当時の東郷は永野明代との婚姻関係が続いていたため、永野明代・西崎盈子・中村修子という3人の女性が同時期に東郷をめぐって関係する複雑な状態になっていました。

→ 西崎盈子とは?

宇野千代との同棲生活

1930(昭和5)年に宇野千代と出会う

西崎盈子との情死未遂事件の翌年である1930(昭和5)年、東郷青児は小説家・宇野千代と知り合います。

きっかけとなったのは、宇野千代が小説『罌粟はなぜ紅い』を書くために東郷を取材したことでした。

取材を終えた二人はすぐに同棲生活を始めます。

東郷志馬とも一緒に生活

東郷と宇野千代が暮らしていた時期には、東郷と永野明代の長男・東郷志馬も二人の家で生活することがありました。

宇野は志馬に自分のことを「お母さん」ではなく「おばさん」と呼ばせています。

一方、東郷と永野明代の離婚協議は続いており、宇野との同棲開始後もしばらくは明代が法律上の妻でした。

約4年間の同棲生活を経て別れる

東郷青児と宇野千代の同棲生活は約4年間続きました。

しかし二人の関係もやがて終わり、宇野は東郷との生活や恋愛を題材として小説を書くことになります。

東郷にとって宇野千代は法律上の妻ではありませんでしたが、その女性遍歴を語るうえでは欠かせない存在です。

→ 宇野千代とは?東郷青児の同棲相手

西崎盈子が東郷青児の妻となる

東郷青児と西崎盈子が再び結ばれる

1929(昭和4)年に情死未遂事件を起こした西崎盈子ですが、実は宇野千代と同棲生活をしていた東郷青児との逢瀬を繰り返していました。

東郷が宇野千代との同棲生活を終えたのち、盈子は再び東郷の伴侶となります。

資料によって「結婚」とされる時期には違いがあり、『宇野千代全集 第12巻』の年譜には1934(昭和9)年5月に東郷と盈子が「結婚」したとあります。

一方、澤地久枝『完本 昭和史のおんな(上)』では、法律上の婚姻は1939(昭和14)年3月8日とされています。

そのため、1934年頃から夫婦としての生活を始め、法律上の婚姻手続きは1939年だった可能性があります。

長女・東郷たまみが誕生

1940(昭和15)年には、東郷青児と盈子の間に長女・東郷たまみが誕生しました。

たまみは成長後、父と同じ洋画家となります。

西崎盈子は東郷盈子となり、東郷青児の晩年までその人生をともにする女性となりました。

→ 東郷たまみとは?東郷青児の長女

東郷青児の女性遍歴を時系列で整理

結婚・恋愛・同棲が重なっていた

東郷青児の女性遍歴が複雑に見える最大の理由は、一つの関係が完全に終わってから次の恋愛が始まったとは限らないことです。

1928(昭和3)年の帰国後だけを見ても、永野明代との婚姻関係が続くなかで西崎盈子と恋愛し、盈子と離れている間に中村修子と結婚式を挙げています。

さらに盈子と再会して情死未遂事件を起こし、その翌年には宇野千代との同棲生活を始めました。

東郷の「妻」を調べる際には、このような法律上の婚姻と実際の恋愛・同棲関係を分けて考える必要があります。

永野明代から西崎盈子まで

東郷青児の女性関係を大きな流れで整理すると、

永野明代との結婚 → 西崎盈子との恋愛 → 中村修子との結婚式 → 西崎盈子との情死未遂 → 宇野千代との同棲 → 西崎盈子との結婚

となります。

この間、永野明代との婚姻関係は1933(昭和8)年まで続いていました。

東郷青児の女性遍歴は、「何人の女性と結婚したのか」だけでは捉えられないほど複雑なものでした。

東郷青児が恋愛した女性の特徴

美貌と裕福な家庭環境

澤地久枝『完本-昭和史のおんな(上)』では、東郷青児が恋愛の対象とした女性たちについて、いくつかの特徴が指摘されています。

東郷が惹かれた女性には美貌の持ち主が多く、親の財産に守られ、両親から大切に育てられた女性ばかりです。

そして、日々の暮らしに追われるような現実的な生活感をあまり感じさせない女性だったことも特徴として挙げられています。

東郷の女性遍歴を通して見ると、彼が女性に求めていた一つの理想像が浮かび上がってくるでしょう。

東郷青児自身が語った好きな女性

東郷青児自身も、自分がどのような女性を好んでいたのかを文章に残しています。

『戀愛譚 東郷青児文筆選集』に収録されている「常若の乙女」では、ものおじしない女性や明るさを持った女性を好み、暗さや悲しさをその輝きで消してしまうような女性に惹かれるという趣旨のことを記しています。

そして「常若の乙女」の最後を、東郷は次の一文で締めくくっています。

「常に美しい花に包まれてゐるやうな女がすきだ。」

東郷 青児 戀愛譚 東郷青児文筆選集 創元社

この一文には、東郷青児が女性に求めていた理想像が凝縮されているように思えます。

澤地久枝氏が東郷の実際の女性遍歴から指摘した女性像と、東郷自身が「常若の乙女」で語った理想の女性像には、重なる部分がみられます。

東郷青児の恋愛観と画風

さらに、こうした東郷青児の恋愛観は、画家として描き続けた女性像とも表裏一体の関係にあったと考えられます。

東郷の作品に描かれる女性は、現実の生活をそのまま写したような人物というより、美しく理想化され、日常の生活感から離れた存在として表現されています。

東郷が現実の恋愛で惹かれた女性、文章の中で「美しい花に包まれてゐるやうな女」と表現した理想の女性、そして絵画の中に描いた女性。

これらを重ねて見ると、東郷青児が持っていた独特の女性に対する美意識が、恋愛と創作の双方に表れていたことがうかがえます。

東郷青児の女性遍歴は、単に恋多き画家の私生活というだけではなく、東郷が女性にどのような美しさを求め、それをどのように作品へ表現したのかを考える手がかりにもなっています。

東郷青児 妻 関連記事

東郷青児の妻や恋愛関係にあった女性については、以下の記事でも詳しく解説しています。

永野明代

永野明代は、1920(大正9)年に東郷青児と結婚した最初の妻です。

東郷のフランス留学中に長男・東郷志馬を出産しましたが、1923(大正12)年頃に志馬を連れて帰国し、1933(昭和8)年に東郷との離婚が成立しました。

→ 永野明代とは?

西崎盈子

西崎盈子は、1928(昭和3)年にフランスから帰国した東郷青児と恋愛関係になった女性です。

1929(昭和4)年には東郷と情死未遂事件を起こし、その後、東郷の妻となりました。二人の間に生まれた長女が洋画家の東郷たまみです。

→ 西崎盈子とは?

中村修子

中村修子は、実業家・中村幹治の娘で、1929(昭和4)年2月17日に東郷青児と結婚式を挙げた女性です。

ただし、当時の東郷は永野明代との離婚が成立しておらず、修子との新婚生活も短期間で終わりました。

→ 中村修子とは?

宇野千代

宇野千代は、1930(昭和5)年に東郷青児と出会い、約4年間にわたって同棲生活を送った小説家です。

二人が出会ったきっかけは、宇野が小説『罌粟はなぜ紅い』を書くために東郷を取材したことで、取材後すぐに同棲生活を始めました。

→ 宇野千代とは?東郷青児の同棲相手

東郷青児 その後

宇野千代との同棲解消後、東郷青児は画家としてどのような人生を送ったのでしょうか。戦後の二科会での活躍や妻・東郷盈子との晩年の生活、1978年に熊本で迎えた最期、死後の家族と宇野千代との交流まで解説しています。

→ 東郷青児はその後どうなった?晩年の妻との生活・画家としての活躍と最期

ブラッサム モデル 宇野千代 関連記事

宇野千代とは

宇野千代(1897~1996年)は、朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠のモデルとなった小説家です。

東郷青児とは1930(昭和5)年頃から約4年間にわたって同棲し、その間には東郷青児と永野明代の長男・東郷志馬とも交流しました。

→ 宇野千代とは

宇野千代 夫

宇野千代は生涯に4度結婚し、東郷青児とも同棲生活を送りました。

4人の夫と東郷青児との出会いや結婚・離婚、その後について紹介します。

→ 宇野千代 4人の夫と同棲相手

宇野千代 子供

宇野千代に実の子供がいたのかについて、自伝や年譜、小説『私と子供』などをもとに検証しています。

また、東郷志馬や東郷たまみなど、宇野千代が「我が子同然」と感じた人物との関係も紹介します。

→ 宇野千代 子供 6人の子供を亡くしていた

ブラッサム 作品紹介・あらすじ・ネタバレ 最終回

ブラッサム 作品紹介

宇野千代の生涯をモデルとした朝ドラ「ブラッサム」の作品紹介です。

→ NHK2026年後期朝ドラ「ブラッサム」とは?

ブラッサム 夏井銀児

朝ドラ「ブラッサム」では東郷青児をモデルとした夏井銀児(錦戸亮)が、主人公・葉野珠の人生に関わる重要人物の1人として描かれます。

→ ブラッサム 夏井銀児(錦戸亮)とは? モデルは東郷青児
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ブラッサム あらすじ

朝ドラ「ブラッサム」の最新週から1週までのあらすじを随時更新します。

→ ブラッサム あらすじ 最新週から1週まで

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朝ドラ「ブラッサム」の最終回までのネタバレや結末予想を紹介します。

→ ブラッサム ネタバレ最終回まで 主な登場人物の結末

参考文献

今回の記事は以下の書籍を参考としています。

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