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永野明代とは?東郷青児の妻・長男 東郷志馬の母を解説

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永野明代(ながのはるよ)(1899年~没年不明)は、洋画家・東郷青児の妻となった女性で、東郷青児の長男・東郷志馬の母です。

大阪の医師・永野壽造の娘として生まれ、1920(大正9)年に東郷青児と結婚。

翌1921(大正10)年には、フランスへ留学した東郷青児を追ってパリへ渡り、同年11月21日に長男・志馬を出産しています。

その後、明代は志馬を連れて先に帰国。1928(昭和3)年に東郷青児が帰国すると、西崎盈子や中村修子などをめぐる女性関係にも直面し、1933(昭和8)年3月に離婚が成立しました。

この記事では、永野明代とはどのような女性だったのか、東郷青児との結婚やフランスでの生活、長男・東郷志馬との関係、離婚後の再婚までを紹介します。

→ 東郷青児とは?宇野千代の同棲相手
→ 東郷志馬とは?東郷青児の長男
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目次

結論|永野明代は東郷青児の妻・東郷志馬の母

永野明代は1899(明治32)年に、代々医者を務めてきた永野家に生まれました。

1920(大正9)年に洋画家・東郷青児と結婚し、翌1921(大正10)年には東郷を追ってフランスへ渡航。パリで長男・東郷志馬を出産しています。

しかし明代は1923(大正12)年半ばごろに志馬を連れて帰国し、東郷青児とは約5年間にわたって離れて暮らすことになりました。

1928(昭和3)年に東郷青児が帰国した後も夫婦関係は修復されず、西崎盈子や中村修子などをめぐる東郷の女性関係もあり、1933(昭和8)年3月に離婚が成立します。

離婚後も明代は息子・志馬を気にかけ続け、志馬が海軍に入隊した後、小森という男性と再婚しました。

→ 東郷志馬とは?東郷青児の長男
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永野明代とは?

永野明代のプロフィール

『完本-昭和史のおんな(上)』によると、永野明代(ながのはるよ)は1899(明治32)年生まれで、梅華女学校を卒業したとあります。

ただ永野明代の実家が大阪の高麗橋で医院を経営していたことから考えると、永野明代の出身校は梅花高等女学校(現在の梅花中学校・高等学校)であると考えられます。

父や実家・家族

永野明代の出身である永野家は代々、医者の家系です。

家伝として「風眼」という治療法が秘技として伝えられており、父・壽造も東京帝国大学医学部(現在の東京大学医学部)を卒業し、大阪の高麗橋において、永野眼科医院を開業。

さらに永野家は医者の家系であると同時に、兵庫県の西宮に田畑や山林を所有する資産家でもありました。

東郷青児との結婚

明代は1920(大正9)年に東郷青児と結婚。

このとき、すでに永野明代の父・永野壽造は1919(大正8)年2月に亡くなっていました。

そのせいか永野家の中では、明代と東郷青児との結婚に反対を唱える者はいなかったようです。

東郷青児のフランス留学

東郷青児は1921(大正10)年4月、フランスのパリに留学。

このときフランスの渡航と現地での生活費を捻出するためにスポンサーとなった人物が、永野明代の弟で、東郷青児にとっては義弟に当たる永野芳光でした。

東郷のパリ留学には永野芳光も同行しています。

永野明代もフランスへ渡航し長男・志馬を出産

永野明代はすでに妊娠をしていましたが、2人の後を追ってパリに渡航。

1921(大正10)年11月21日、パリにおいて長男・志馬(しま)を出産します。

→ 東郷志馬とは?東郷青児の長男

困窮を極めたパリでの生活

妻が資産家の家の生まれで、スポンサーになってくれたこともあり、東郷青児の留学は前途洋々であるかのように見えます。

ところが東郷と永野明代たちのパリでの生活はたちまち窮迫したようです。

東郷自身はフランスの百貨店のデザイナーとして働くなどして生活をつなぎ、1928(昭和3)年5月に日本への帰国を果たしますが、明代は長男・志馬を連れ、1923(大正12)年半ばごろに先に帰国していました。

なお『完本-昭和史のおんな(上)』では東郷や永野明代の生活が困窮した理由を説明していません。

一方、東郷青児の著作『戀愛譚 東郷青児文筆選集』によると、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災の影響で日本からの送金がストップしたため、「外国貧乏」の生活を余儀なくされたとあります。

ただ仮に「震災の影響で送金がストップ」していたとしても、明代は震災の発生以前に日本に帰国していました。

パリにおいて東郷たちの生活が困窮した理由には、関東大震災以外の影響もあったのかもしれません。

永野明代と東郷青児の結婚生活

帰国後の生活

永野明代が先に帰国し、その約5年後に東郷青児が帰国を果たしました。

この5年間という時間は、夫婦の仲にギャップを生じさせるためには十分だったようです。

妻・明代は幼な子を抱え、いつ帰るか分からない夫を待ちながら、明日の生活を心配しなければならないという日々を送っていました。

明代は父・永野壽造から引き継いだ遺産はすっかりなくなっていたと考えられます。

一方、夫である東郷は自著でフランスのニースにおいて

五年間を比較的安穏と暮した

東郷青児 戀愛譚 東郷青児文筆選集 創元社 172ページ

と述べているように、現実離れした性格にますます磨きがかかったようです。

『完本-昭和史のおんな(上)』の説明を要約すると、生活意識に対する違いから、夫婦の仲には白々しい空気が流れることになったようです。

そんなとき東郷青児の前に現れた女性が、西崎盈子(にしざきみつこ)です。

→ 西崎盈子とは?

東郷青児は明代と離婚しないまま中村修子と結婚式

次第に西崎盈子に惹かれていく東郷青児を見て、明代は家の一室で長男・志馬を抱きながら苦しい涙を流し、離婚を検討するようになります。

しかも一旦1928(昭和3)年9月ごろに東郷青児は西崎盈子は別れたものの、今度は1929(昭和4)年2月17日に中村修子という女性と結婚式を挙げることに。

実はこのとき明代は東郷青児に対し、3万円の慰謝料を請求しており、そのお金が未払いの状態でした。

別の言い方をすると東郷青児が中村修子と結婚式を挙げた時点では、まだ「重婚」の状態で、明代との離婚は成立していなかったのです。

→ 中村修子とは?(準備中)

宇野千代と同棲期間に離婚へ

結局、明代と東郷青児の離婚が正式に成立したのは、1933(昭和8)年3月でした。

この間、東郷青児は、西崎盈子との情死未遂事件を引き起こし、さらに「情死未遂事件」に着想を得て『罌粟はなぜ紅い』の小説を書いた小説家・宇野千代と同棲生活を始めています。

つまり明代と東郷青児の離婚が正式に成立した時期は、東郷青児が宇野千代と東京の淡島(現在の東京都世田谷区代沢)で同棲をしていた期間だったのです。

→ 宇野千代とは?
→ 東郷青児とは?宇野千代の同棲相手

永野明代と息子・東郷志馬の関係

「お母さん」と「おばさん」を使い分けた東郷志馬

こうした永野明代と東郷青児の離婚が協議されている期間、2人の息子である東郷志馬は、永野明代の家と東郷青児と宇野千代が同棲をしている家を行ったり来たりしていたようです。

複雑な家庭環境にあった東郷志馬は、まだ小学校の低学年であったにも関わらず、

・永野明代のことを「お母さん」
・宇野千代のことを「おばさん」

と呼んで使い分けていました。

→ 東郷志馬とは?

息子が艦艇乗組の勤務となったのち再婚

1941(昭和16)年、東郷志馬は海軍に入隊。

永野明代は軍隊に入隊した息子のために、毎日のように手紙を書いたと言われています。

志馬が横須賀の勤務になったときには、基地の近くにアパートを借り、志馬は勤務が休日のときにはしばしば永野明代の元を訪れました。

そして志馬が艦艇乗組の勤務が決まった際、明代は

「これ以上あんたの行く先々を追っても仕方ないから、いい人がいたら結婚するわね」

澤地久枝 完本-昭和史のおんな(上)中央公論新社 53ページ

と伝え、小森という名前で学究肌の男性と再婚し、経済的には恵まれなかったものの、幸せな再婚だったそうです。

永野明代 関連記事

東郷青児

東郷青児(1897~1978年)は、永野明代が1920(大正9)年に結婚した洋画家です。

結婚翌年からフランスへ留学し、明代との間には長男・東郷志馬が誕生しました。その後、西崎盈子や中村修子との関係を経て、宇野千代とも同棲生活を送っています。

→ 東郷青児とは?宇野千代の同棲相手

東郷志馬

東郷志馬(1921~1968年)は、東郷青児と永野明代の間に生まれた長男です。

パリで誕生し、幼少期には母・明代の家と、東郷青児・宇野千代が暮らす家を行き来していました。宇野千代からも「我が子同然」に接せられた人物です。

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西崎盈子(東郷盈子)

西崎盈子(のちの東郷盈子)は、東郷青児が永野明代との結婚生活を送っていた時期に親しくなった女性です。

1929(昭和4)年には東郷青児と情死未遂事件を起こし、後に東郷青児と結婚。二人の間には長女・東郷たまみが誕生しました。

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宇野千代とは

宇野千代(1897~1996年)は、朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠のモデルとなった小説家です。

東郷青児とは1930(昭和5)年頃から約4年間にわたって同棲し、その間には東郷青児と永野明代の長男・東郷志馬とも交流しました。

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参考文献

今回の記事は以下の書籍を参考としています。

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