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萩原朔太郎の妻・萩原稲子とは?離婚理由・子供・再婚とその後を解説

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詩人・萩原朔太郎(1886~1942年)の最初の妻は、萩原稲子(はぎわらいねこ)です。

旧姓は上田稲子といい、1919(大正8)年5月に朔太郎と結婚し、長女・萩原葉子と次女・萩原明子の2人の娘をもうけました。

しかし、約10年間の結婚生活を経て、1929(昭和4)年7月に離婚。

稲子は離婚後、東京の下落合で喫茶店を営み、その後は北海道の札幌で暮らし、別の男性と再婚しています。

また、朔太郎も1938(昭和13)年に大谷美津子と結婚式を挙げました。

この記事では、萩原葉子の著書『父・萩原朔太郎』などをもとに、萩原稲子の人物像、朔太郎との結婚生活や離婚理由、2人の子供、離婚後の人生について解説します。

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目次

結論 | 萩原朔太郎の妻・萩原稲子の結婚・離婚とその後

萩原稲子は、1919(大正8)年5月に萩原朔太郎と結婚した最初の妻です。

2人の間には長女・葉子と次女・明子が生まれ、前橋や東京、鎌倉などで生活しました。

1926(大正15)年に馬込村へ転居した後、稲子は宇野千代らと交流し、洋装やダンスなど当時の新しい文化にも親しんでいます。

しかし、夫婦の生活観の違いや稲子と若い男性との関係などを背景に、1929(昭和4)年7月に離婚しました。

離婚後、稲子は東京の下落合で喫茶店「ワゴン」を営み、その後は北海道の札幌で別の男性と再婚しています。

長女・葉子とは約25年ぶりに再会し、その様子は『父・萩原朔太郎』に詳しく記されました。

一方、朔太郎は1938(昭和13)年に大谷美津子と結婚式を挙げましたが、約1年で別れています。

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萩原朔太郎の妻・萩原稲子とは?

萩原稲子(はぎわらいねこ)は、詩人・萩原朔太郎(1886~1942年)の最初の妻です。

旧姓は上田稲子といい、1919(大正8)年5月に朔太郎と結婚しました。

朔太郎は『月に吠える』『青猫』などの詩集で知られる近代日本の詩人で、稲子との間には長女・萩原葉子と次女・萩原明子が生まれています。

しかし、約10年間の結婚生活を経て、1929(昭和4)年7月に離婚。

稲子は離婚後、東京の下落合で喫茶店を営み、その後は北海道の札幌で暮らし、別の男性と再婚しています。

稲子の結婚生活や離婚後の人生については、長女・萩原葉子の著書『父・萩原朔太郎』に詳しく記されています。

萩原稲子の読み方は「いねこ」

萩原稲子の名前の読み方は「いねこ」です。

長女・萩原葉子の『父・萩原朔太郎』では、離婚後の稲子が「いね子」と名乗っていたことが記されています。

インターネット上では「いなこ」という読み方も見られますが、娘の葉子が残した記録では「いね子」という表記が用いられています。

なお、稲子の旧姓は上田で、朔太郎との結婚後に萩原姓となりました。

1919年に萩原朔太郎と結婚

稲子は1919(大正8)年5月、萩原朔太郎と結婚。

結婚後は群馬県前橋市の萩原家で暮らし、1920(大正9)年9月に長女・葉子、1922(大正11)年9月に次女・明子が生まれています。

朔太郎はすでに1917(大正6)年に第一詩集『月に吠える』を刊行しており、結婚後も詩人として活動を続けました。

1923(大正12)年には詩集『青猫』を刊行しています。

一方、朔太郎は父親から経済的な援助を受けて生活しており、結婚後も萩原家との関係が日常生活に大きく影響していました。

萩原朔太郎と稲子の結婚生活

長女・萩原葉子と次女・萩原明子が誕生

朔太郎と稲子の間には、2人の娘が生まれました。

  • 長女・萩原葉子:1920(大正9)年9月生まれ
  • 次女・萩原明子:1922(大正11)年9月生まれ

長女の葉子は、後に小説家・随筆家として活動し、父親や家族について数多くの文章を残しました。

代表的な著書の一つが、1959(昭和34)年に刊行された『父・萩原朔太郎』です。

同書には、朔太郎の家庭での日常生活だけでなく、両親の離婚や、長い年月を経た母・稲子との再会についても描かれています。

1925年に上京し鎌倉へ転居

1925(大正14)年、朔太郎は妻の稲子と2人の娘を連れて上京。

最初は東京府下の大井町に仮住まいし、同年4月には田端へ転居しています。

田端には室生犀星や芥川龍之介らが住んでおり、朔太郎も文人たちとの交流を深めました。

さらに同年11月には、稲子の健康を考慮して神奈川県鎌倉へ移り住んでいます。

この転居については、前橋文学館の「萩原朔太郎年譜」にも、妻の健康のためだったことが記されています。

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馬込村で宇野千代や川端康成らと交流

1926(大正15)年11月、朔太郎一家は東京府下の馬込村(現在の東京都大田区)へ転居。

当時の馬込周辺には多くの小説家や詩人が住み、後に「馬込文士村」と呼ばれるようになります。

朔太郎夫妻も、小説家の宇野千代や川端康成、室生犀星らと交流。

稲子は流行の洋装を好む活発な女性で、こうした文人たちの交流の場にも加わっていました。

長女・葉子の『父・萩原朔太郎』にも、馬込村で暮らしていたころの稲子の服装や日常生活が描かれています。

→ 宇野千代と萩原朔太郎の関係とは?
→ 宇野千代と川端康成の関係とは?

洋装や流行を好んだ萩原稲子

稲子は当時としては珍しい洋装を好み、流行に敏感な女性でした。

長女・葉子は『父・萩原朔太郎』で、母親が洋服を着て外出する姿や、服装に気を配っていた様子を振り返っています。

稲子は馬込村の女性たちのなかでも目立つ存在で、洋装を着ることを周囲の女性にも勧めていました。

宇野千代も稲子から洋装を勧められた一人でした。

このような稲子の姿からは、大正末期から昭和初期にかけて広まった新しい女性の生活文化への関心がうかがえます。

萩原稲子の断髪事件!宇野千代や川端秀子も髪を切った

馬込村での生活には、稲子の断髪をめぐるエピソードもあります。

宇野千代の回想によると、宇野千代に続いて萩原稲子、さらに川端康成の妻・秀子も髪を短くしました。

この出来事をめぐっては、室生犀星が宇野千代に腹を立てるという騒動も起きています。

当時、女性が髪を短くすることは現在ほど一般的ではなく、周囲の人々にとっても印象的な出来事だったようです。

詳しい経緯については、宇野千代と萩原朔太郎の関係の記事でも紹介しています。

稲子はダンスに熱中するようになった

馬込村で暮らしていたころ、稲子はダンスに熱中するようになります。

萩原葉子の『父・萩原朔太郎』によると、稲子はダンスホールに通うようになり、次第に外出する機会が増えていきました。

当初、朔太郎も家庭でレコードをかけ、娘たちとダンスを楽しむことがありました。

しかし、稲子がダンスに熱中するにつれ、夫婦の間には次第に距離が生じます。

葉子は、母親の帰宅が遅くなることや、家にいない時間が増えたことに寂しさを感じていたと振り返っています。

萩原朔太郎と稲子が離婚した理由

夫婦の生活観や性格の違い

朔太郎と稲子の結婚生活では、夫婦の生活観や性格の違いが次第に表面化。

稲子は流行や社交を好み、ダンスなどの活動にも積極的でした。

一方、朔太郎は詩作を中心とした生活を送り、家庭内では自分の父親や母親との関係にも気を配る必要があったのです。

稲子の回想として紹介されている文章には、子供が病気のときにも朔太郎が飲みに出かけたことへの不満や、夫婦喧嘩が繰り返されたことが記されています。

こうした日常生活での不満や対立が積み重なり、夫婦の関係は悪化していきました。

稲子と若い男性「W」との関係

夫婦の関係が悪化するなか、稲子は若い男性と親しくなります。

長女・萩原葉子は『父・萩原朔太郎』で、その男性を「W」と記しています。

Wはダンスを通じて稲子と親しくなった人物で、萩原家にも出入りしていました。

葉子は、Wの服装や髪形、母親と一緒にダンスを踊る姿などを記憶しています。

また、東京の落合地域の歴史を紹介する「落合道人」には、1928(昭和3)年ごろ、稲子が若い画学生と一緒にいるところを朔太郎に目撃されたという逸話が掲載されています。

1929年夏に稲子が家を出る

1929(昭和4)年の夏、稲子は萩原家を出ることに。

萩原葉子の『父・萩原朔太郎』の「別離」では、母親が家を出るまでの出来事が、幼い葉子の視点から描かれています。

葉子は母親が家を離れることを感じ取り、不安を抱いていました。

母親と離れて暮らすことになった経験は、葉子の心に長く残ることになります。

このときの記憶は、後に葉子が父親や母親について文章を書く際にも、大きな意味を持つ出来事となりました。

1929年7月に離婚し娘2人は朔太郎と暮らす

結局、朔太郎と稲子は1929(昭和4)年7月に離婚。

1919(大正8)年5月の結婚から、およそ10年後のことです。

前橋文学館の年譜によると、朔太郎は離婚後、長女・葉子と次女・明子を連れて故郷の前橋へ帰っています。

このため、娘たちは母親の稲子と離れて暮らすことになりました。

室生犀星は『わが愛する詩人の伝記』で、朔太郎と稲子が約10年の結婚生活を経て、話し合いのうえで別れたと記しています。

その後、朔太郎は同年11月に単身で再び上京しました。

萩原稲子の離婚後とその後の人生

下落合で喫茶店「ワゴン」を開く

朔太郎との離婚後、稲子は東京の下落合で喫茶店を営んだ時期がありました。

地域史ブログ「落合道人」によると、1932(昭和7)年、稲子は若い画学生の三富という男性とともに、下落合3丁目に「ワゴン」という店を開いています。

三富は以前、神楽坂のバーでバーテンダーとして働いた経験があったとされます。

「ワゴン」は喫茶店として営業していましたが、酒類も提供する店だったと紹介されています。

稲子は朔太郎との離婚後、東京で新たな生活を始めていました。

北海道の札幌で暮らしY氏と再婚

稲子はその後、北海道の札幌で暮らすようになりました。

この時期の稲子について詳しく記しているのが、長女・萩原葉子の『父・萩原朔太郎』です。

同書の「再会」では、葉子が北海道で母親と再会したとき、稲子は「いね子」と名乗り、Y氏という男性と結婚していたことが記されています。

葉子は、母親が最近Y氏と入籍したことや、Y氏が葉子の戸籍謄本を取り寄せるなどしていたことも述べています。

Y氏は、長い年月を経た稲子と葉子の再会にも関わった人物でした。

娘・萩原葉子と約25年ぶりに再会

稲子と長女・葉子は、長い年月を経て北海道で再会しました。

葉子は『父・萩原朔太郎』の「再会」で、母親からの手紙を受け取ったことや、札幌へ向かう決心をしたことを振り返っています。

葉子が母親と再会したのは、6月16日のことでした。

葉子は青森駅から青函連絡船に乗り、函館へ向かいました。船内では緊張や船酔いに苦しみながらも、長年会っていなかった母親との再会を待ち望んでいました。

2024年に前橋文学館で開催された朗読会でも、この「再会」の場面が、母娘の約25年ぶりの再会として紹介されています。

母娘の再会は必ずしも幸福なものではなかった

葉子は母親との再会を強く望んでいましたが、実際に再会すると複雑な感情を抱きました。

『父・萩原朔太郎』によると、葉子は母親の容姿や生活態度の変化に戸惑い、会話のなかでも意見が衝突しています。

稲子は自分の過去の行動について後悔していないという考えを示し、葉子は母親の言葉に強く反発しました。

葉子には、幼いころに母親と離れて暮らすことになった経験があり、その思いは長年にわたって残っていたようです。

一方、稲子も自分自身の生き方を持ち、娘とは異なる考え方をしていました。

この再会の記録からは、母娘が再び顔を合わせたからといって、長年の隔たりがすぐに解消されたわけではなかったことが分かります。

萩原朔太郎の再婚相手・大谷美津子とは?

1938年に大谷美津子と結婚

朔太郎は稲子との離婚後、1938(昭和13)年4月に大谷美津子という女性と結婚式を挙げました。

美津子は朔太郎に師事していた詩人・大谷忠一郎の妹です。

ただし、朔太郎と美津子は婚姻届を提出しておらず、法律上は事実婚の関係でした。

長女・萩原葉子の『父・萩原朔太郎』では、美津子は「M子さん」という名前で登場しています。

葉子は当初、美津子に親しみを感じていましたが、結婚後は美津子と朔太郎の母親との間で対立が生じるようになりました。

朔太郎も両者の関係を取り持とうとしましたが、家庭内の不和は次第に深刻になっていきました。

結局、美津子との結婚生活は約1年で終わり、2人は別れることになりました。

娘・萩原葉子が残した両親の記録

後年、長女の萩原葉子は、父親の朔太郎について『父・萩原朔太郎』を執筆。

この作品には、文学史に残る詩人としての朔太郎だけでなく、家庭での父親の姿、母親との離婚、そして稲子との再会までが描かれています。

また、朔太郎と親交の深かった室生犀星も、著書『わが愛する詩人の伝記』で稲子との離婚や葉子との再会について触れています。

こうした記録は、朔太郎の妻だった稲子が、結婚生活や離婚後にどのような人生を送ったのかを知るための重要な手掛かりとなっています。

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参考文献

今回の記事は以下の書籍を参考としています。

著:宇野 千代, 著:小林庸浩 ほか, 著:小林庸浩 ほか
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KADOKAWA
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著:工藤美代子
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