洋画家・東郷たまみの母は、東郷青児の妻となった東郷盈子(とうごうみつこ、旧姓・西崎)です。
盈子は東郷青児が小説家・宇野千代(1897~1996年)と同棲する以前から青児と関係があり、1929(昭和4)年には二人で情死未遂事件を起こしました。
その後、東郷青児は宇野千代と約4年間にわたって同棲しますが、『宇野千代全集 第12巻』の年譜によると、1934(昭和9)年5月に西崎盈子と結婚しています。
二人の間には1940(昭和15)年に長女・東郷たまみが誕生。たまみは後年、宇野千代と親しく交流し、宇野千代が「我が子同然」に感じた人物の一人となりました。
この記事では、東郷たまみの母・東郷盈子とはどのような女性だったのか、東郷青児や宇野千代との関係を中心に紹介します。
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→ 東郷青児とは?宇野千代の同棲相手
→ 宇野千代の子供 娘・寵子(ちょうこ)の存在について
結論|東郷たまみの母は東郷盈子(旧姓・西崎)
東郷たまみの母は、東郷盈子(みつこ、旧姓・西崎)です。
『宇野千代全集 第12巻』によると、西崎盈子は宇野千代が東郷青児と同棲する以前から青児と関係があり、1929(昭和4)年には二人で情死未遂事件を起こしました。
その後、東郷青児は宇野千代と同棲しますが、二人の関係が終わりに近づいた頃、盈子と再び親しい関係になります。
同書の年譜には、1934(昭和9)年5月に東郷青児と西崎盈子が「結婚」したと記されており、1940(昭和15)年には二人の間に東郷たまみが誕生しました。
一方、東郷たまみと宇野千代に血縁関係はありませんが、二人は後年親しく交流しています。
宇野千代は東郷たまみと異母兄・東郷志馬を、自分の「我が子同然」に感じたことを、自伝『生きて行く私』で振り返っています。
→ 東郷たまみとは?東郷青児の長女
→ 東郷志馬とは?東郷青児の長男
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東郷盈子(みつこ)とは
東郷たまみの母
東郷盈子(とうごう・みつこ、旧姓・西崎)は、洋画家・東郷青児の妻で、長女・東郷たまみの母です。
東郷たまみは1940(昭和15)年、東郷青児と盈子の間に誕生。
たまみ自身も父と同じ洋画家として活動し、1968(昭和43)年には第53回二科展金賞、1972(昭和47)年には二科展会員賞、1975(昭和50)年には第60回二科展で内閣総理大臣賞を受賞しています。
また、歌手としても活動し、朝丘雪路や水谷良重(二代目・水谷八重子)とともに「七光りトリオ」と呼ばれました。
一方、東郷青児には盈子との間に生まれたたまみのほか、永野明代(はるよ)との間に、1921(大正10)年に誕生した長男・東郷志馬がいました。
そのため、東郷志馬と東郷たまみは父親が同じ異母兄妹の関係にあたります。
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東郷たまみの母は宇野千代ではない
東郷たまみの父・東郷青児は、小説家・宇野千代と1930(昭和5)年頃から1934(昭和9)年まで同棲していました。
しかし、宇野千代は東郷たまみの母ではありません。
宇野千代と東郷青児の同棲生活が終わったのは1934(昭和9)年で、東郷たまみが生まれたのは1940(昭和15)年です。
たまみの実母は西崎盈子(のちの東郷盈子)です。
宇野千代と東郷たまみに血縁関係はなく、法律上の親子でもありません。
しかし後年、宇野千代は東郷たまみと親しく交流するようになり、異母兄・東郷志馬とともに「二人の子供」のように感じるようになります。
→ 宇野千代の子供 娘・寵子(ちょうこ)の存在について
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西崎盈子と東郷青児の関係
宇野千代との同棲以前から東郷青児と関係があった
西崎盈子と東郷青児の関係は、宇野千代と東郷青児が同棲を始める以前にさかのぼります。
『宇野千代全集 第12巻』に収録されている「私の文学的回想記」で、宇野千代は盈子について、自分が東郷青児と一緒になる以前に、東郷青児と情死しようとした女性だったと振り返っています。
1929(昭和4)年、東郷青児と西崎盈子は情死未遂事件を起こしていました。
その後、宇野千代は東郷青児と知り合い、1930(昭和5)年頃から同棲生活を始めます。
宇野千代の小説『色ざんげ』は、東郷青児から聞いた女性関係や情死未遂事件などをもとに執筆された、宇野千代の代表作の1つと呼べるでしょう。
宇野千代との別離前に再び関係を深めた
宇野千代と東郷青児は約4年間にわたって、東京の淡島(現在の東京都世田谷区代沢)で同棲生活を送りました。
しかし、その生活が終わりに近づいた頃、宇野千代は東郷青児と盈子が再び親しい関係になっていることを知ります。
『宇野千代全集 第12巻』に収録されている『私の文学的回想記』によると、宇野千代は知人を通じて、東郷青児と盈子が一緒に映画を見ていたことを知ったとあります。
その瞬間、宇野千代は、
おかしなことですが、それを聞いた瞬間、私は正気を失いました。
宇野千代 宇野千代全集 第12巻 随筆 中央公論新社 171ページ
さらに続く文章では、
東郷があの女(ひと)と一緒になったと言うことで、東郷を憎みました。
宇野千代 宇野千代全集 第12巻 随筆 中央公論新社 172ページ
とあります。
つまり、宇野千代は東郷たまみの母・西崎盈子(当時)と再びよりを戻した東郷青児に逆上していたのです。
1934(昭和9)年5月に東郷青児と結婚
『宇野千代全集 第12巻』の巻末に収録されている年譜によると、1934(昭和9)年5月、東郷青児は西崎盈子と結婚。
ただし、年譜には「結婚」と記されているものの、この時点で婚姻届を提出した法律婚だったのかについては、今回確認した資料からは判然としません。
そのため、この記事では『宇野千代全集 第12巻』の年譜に従い、1934(昭和9)年5月に「結婚」と表記します。
東郷青児と盈子の間には、その後、1940(昭和15)年に長女・東郷たまみが誕生しました。
娘・東郷たまみは後年、宇野千代と親しく交流
東郷たまみは、宇野千代と東郷青児が別れた後に生まれているため、宇野千代と幼少期を一緒に過ごしたことはありません。
宇野千代によると、二人が初めて会ったのは『おはん』の出版記念会でした。
この席で東郷たまみが宇野千代のために歌を披露したことをきっかけに、二人は交流するようになります。
その後、たまみは宇野千代の自宅を訪れるなど、親しい関係を築いていきました。
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ブラッサム 夏井銀児の動向に注目
東郷青児をモデルとした夏井銀児が登場
朝ドラ「ブラッサム」には、錦戸亮さんが演じる洋画家・夏井銀児が登場します。
NHKは夏井銀児について、宇野千代と同棲した洋画家・東郷青児をモデルとした人物であることをすでに公表しています。
珠は銀児に「凄まじい憎悪」の念を抱くか?
宇野千代の随筆である『私の文学的回想記』において、宇野千代は同棲相手の東郷青児に対し、男女の恋愛に関して凄まじい憎悪の念を抱いていたことが分かります。
こうした宇野千代が抱いた心情をモデルである葉野珠(石橋静河)が、錦戸亮さんが演じる夏井銀児に抱くかどうかも、「ブラッサム」の見どころとなるかもしれません。
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→ 青年期の葉野珠(石橋静河)とは?
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東郷青児
東郷青児(1897~1978年)は、東郷盈子の夫であり、東郷たまみの父です。
盈子とは宇野千代と同棲する以前から関係があり、1929(昭和4)年には情死未遂事件を起こしました。
その後、東郷青児は宇野千代と約4年間にわたって同棲しましたが、『宇野千代全集 第12巻』の年譜によると、1934(昭和9)年5月に西崎盈子と結婚しています。
東郷たまみ
東郷たまみ(1940~2016年)は、東郷青児と東郷盈子の間に生まれた長女です。
父と同じ洋画家として活動したほか、若い頃には歌手として朝丘雪路や水谷良重(二代目・水谷八重子)らと「七光りトリオ」と呼ばれました。
宇野千代との血縁関係はありませんが、後年は親しく交流し、宇野千代が「二人の子供」のように感じた人物の一人となっています。
宇野千代 子供
宇野千代に実の子供がいたのかは、現在のところ不明です。
一般には「実子はいなかった」とされていますが、宇野千代が1935(昭和10)年に発表した短編小説『私と子供』には、主人公の「私」が寵子(ちょうこ)という女の子を出産した記述があります。
一方、宇野千代に法律上の養子はいませんでしたが、東郷たまみや異母兄・東郷志馬など、血縁関係のない人物とも「我が子同然」といえる関係を築きました。
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宇野千代とは
朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠のモデルとなった宇野千代の人物像を紹介します。
→ 宇野千代とは誰?
宇野千代 家系図
宇野千代の父・母・兄弟など家族構成を紹介します。
→ 宇野千代の家系図
宇野千代 夫
4度の結婚と1度の同棲生活について紹介します。
ブラッサム 作品紹介・あらすじ・ネタバレ 最終回
ブラッサム 作品紹介
宇野千代の生涯をモデルとした朝ドラ「ブラッサム」の作品紹介です。
ブラッサム あらすじ
朝ドラ「ブラッサム」の最新週から1週までのあらすじを随時更新します。
ブラッサム ネタバレ 最終回まで
朝ドラ「ブラッサム」の最終回までのネタバレや結末予想を紹介します。
参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考としています。
