朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代の晩年を紹介します。
宇野千代は90代になっても小説や随筆を発表し続け、「私は何だか死なないような気がするんですよ」という言葉を残したことでも知られています。
実際には1996(平成8)年に98才で亡くなりましたが、その直前まで創作活動への意欲は衰えませんでした。
この記事では、宇野千代の晩年のエピソードや75才以降の年表、長寿の秘訣などをわかりやすく解説します。
→ 宇野千代とは誰?
→ 宇野千代とは何をした人
→ 宇野千代とはどんな人だったのか?
→ 宇野千代の死因
→ 宇野千代の年表
→ 宇野千代のエピソード
結論|宇野千代は90代になっても創作意欲を失わなかった
宇野千代の晩年を簡単にまとめると次のようになります。
- 90代になっても執筆活動を継続
- 「生きて行く私」が100万部を超えるベストセラーとなる
- 97才で『私何だか死なないような気がするんですよ』を刊行
- 98才で急性肺炎のため死去
- 最期まで好奇心旺盛で生涯現役を貫いた
宇野千代の晩年は、「老いを楽しみながら生きた人生」そのものだったと言えるでしょう。
宇野千代の晩年
90代でも「死なない気がした」
NHK2026年後期朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代(1897~1996年)は、日本を代表する小説家・随筆家の1人です。
宇野千代は1995(平成7)年、97才のときに「私何だか死なないような気がするんですよ」を刊行しました。
この印象的なタイトルは、宇野千代が90代になってからたびたび口にしていた言葉でもあります。
90才の色紙に残した言葉
「宇野千代 女の一生」には、宇野千代が90才のときに書いた色紙が紹介されています。
この頃 思うんですけどね
何だか私
死なないやらな
気がするんですよ
はははは は宇野千代・小林庸浩 宇野千代 女の一生 新潮社 98ページ
この言葉からは、死を恐れるのではなく、人生そのものを楽しんでいた宇野千代らしさが伝わってきます。
「二十一世紀を見たい」と願っていた
「生きて行く私」の角川文庫版あとがきには、宇野千代が次のように記しています。
私はこのごろ何だか死なないような気がしているのである。
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No. 4782
その理由として宇野千代は、自分が人一倍好奇心の強い人間であり、「二十一世紀の世界をこの目で見てみたい」と考えていたことを明かしています。
角川文庫版『生きて行く私』が刊行されたのは1996(平成8)年1月。
宇野千代が亡くなるわずか5か月前でした。
100才を迎え、新しい世紀まで生きたいという思いを最後まで持ち続けていたことがうかがえます。
「ブラッサム」では1980年代の葉野珠が登場
NHKは朝ドラ「ブラッサム」において、加賀まりこさんが演じる1980年代の葉野珠が登場することを発表しました。
加賀まりこさんが演じる1980年代の葉野珠の役柄は
人気作家となった今も、毎日の執筆を欠かさず、精力的な活動を続ける。
と発表されました。まさに生涯現役を貫いた宇野千代の人生を反映させたと言って良いでしょう。
晩年の宇野千代をモデルとした葉野珠がどのように描かれるのかも、「ブラッサム」の見どころの一つになりそうです。
→ NHK2026年後期朝ドラ「ブラッサム」とは?
→ 葉野珠(加賀まりこ)とは? 1980年代の宇野千代がモデル
宇野千代が晩年も元気だった理由
好奇心を失わなかった
宇野千代は90代になっても、
- 新しい本を出版する
- 講演を行う
- 多くの人と交流する
など、積極的な生活を続けていました。
「何才になっても新しいことに挑戦したい」という姿勢は、生涯変わることがありませんでした。
食べることを楽しんだ
宇野千代は晩年になっても食欲旺盛で、毎日の食事を楽しみにしていました。
自ら台所に立ち、料理を作ることも多かったとされています。
残されているレシピを見ると、
- にんじんとわかめの炒め煮
- 豆腐ステーキ
- 焼きそうめん
など、野菜や豆腐を取り入れた献立が多く見られます。
もちろん、これだけで長寿を説明することはできません。
しかし、好奇心旺盛な性格に加え、「食べることを楽しむ」という生活習慣も、98才まで元気に過ごせた理由の一つだったのかもしれません。
宇野千代 晩年の年表(75才以降)
宇野千代は75歳を過ぎてからも数々の賞を受賞し、新刊を出版し続けました。晩年の歩みを年表で見ると、その充実ぶりがよく分かります。
| 西暦(和暦) | 年齢 | できごと |
|---|---|---|
| 1972(昭和47)年 | 75才 | 第28回芸術院賞を受賞 |
| 1974(昭和49)年 | 77才 | 勲三等瑞宝章を受賞 |
| 1975(昭和50)年 | 77才 | 「薄墨の桜」を刊行 |
| 1977(昭和52)年 | 80才 | 「宇野千代全集」の刊行が始まる |
| 1978(昭和53)年 | 81才 | 皇居「松の間」で行われた「歌会始め」の儀に招かれ傍聴出席。南青山の自宅が完成 |
| 1982(昭和57)年 | 85才 | 第30回菊池寛賞を受賞。「生きて行く私」の連載が始まる |
| 1983(昭和58)年 | 86才 | 「生きて行く私」が刊行され100万部発行のベストセラーに |
| 1985(昭和60)年 | 88才 | 帝国ホテルで「米寿を祝う会」が開催される |
| 1990(平成2)年 | 93才 | 文化功労者として顕彰される |
| 1995(平成7)年 | 97才 | 「私何だか死なないような気がするんですよ」を刊行 |
| 1996(平成8)年 | 98才 | 1月に角川文庫版の「生きて行く私」が刊行。6月10日に急性肺炎のため東京・虎の門病院で死去 |
なお宇野千代の誕生から生涯にわたる詳しい年表については下記の記事が参考になります。
よくある質問(FAQ)
宇野千代は何才まで生きましたか?
宇野千代は98才まで生きました。
1996(平成8)年6月10日に急性肺炎のため東京・虎の門病院において亡くなりました。
宇野千代が「死なない気がする」と言ったのは本当ですか?
はい。
90才頃から色紙や著書で「何だか死なないような気がする」とする主旨の文章を書き残しています。
宇野千代は晩年も小説を書いていましたか?
はい。
90代になっても執筆活動を続け、亡くなる前年には「私何だか死なないような気がするんですよ」を出版しました。
宇野千代はなぜ98才まで元気だったのでしょうか?
宇野千代が長寿だった理由を医学的に説明することははできません。
しかし、好奇心旺盛な性格や、食べることを楽しむ生活習慣などが長寿につながった可能性が考えられます。
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参考文献
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