用語説明: トレインドナース・派出看護婦会・派出看護・派出看護婦
朝ドラ「風、薫る」のモデル・鈴木雅が設立した派出看護婦会
2026年3月30日からNHKで放送される予定の朝ドラ「風、薫る」の主人公である大家直美(上坂樹里)のモデルとなった鈴木雅(すずきまさ)(1857~1940年)さんは、明治時代の日本においてトレインドナースとして最初に個人経営の派出看護婦会を設立した人物です。
今回の記事ではトレインドナースや派出看護婦会、さらにその派出看護婦会から患者宅に派遣される、派出看護婦についてご紹介いたします。
トレインドナースとは何か
「トレインドナース」とは「正規に訓練した看護婦」のことを指します。
現代の日本において看護師になるためには、必ず看護師国家試験の受験資格を得られる学校(看護大学・看護短期大学・看護専門学校・看護高等学校)を卒業して、看護師国家試験に合格する必要があります。いわば現代の看護師は全員が「トレインドナース」です。
しかし、鈴木雅さんが「トレインドナース」になった明治時代半ばには、現代のような資格制度も社会的認知もありません。それどころか「看護婦」は「看病婦」と呼ばれ、賎業として世間から蔑まれる存在でした。
派出看護婦会・派出看護・派出看護婦とは何か
「派出看護婦会」とは主に明治時代から昭和初期に存在した医療サービス団体のことで、正規の看護婦資格を持ったトレインドナースを個人宅に派遣して、患者に対しさまざまな看護サービスを提供していました。
「派出看護」のサービスは現代の医療保険制度における「訪問看護」(厚生労働省PDFファイル)と似ています。
例えば病気や負傷のために寝たきりになってしまった患者のために、床ずれで褥瘡などができないように定期的に体位変換を行うことは、明治時代のトレインドナースも現代の看護師もやっていることは同じです。
このように派出看護婦とはまさしく患者宅に派出されて看護サービスを行う看護婦のことを指していました。
現代の訪問看護では「訪問看護指示書」が必要
ただし現代の「訪問看護」では、患者の自宅に看護師が派遣される前に、必ず医師による「訪問看護指示書」が必要です。
「訪問看護」を希望する個人は、医師から発行された「訪問看護指示書」を訪問看護ステーションに持ち込まなければなりません。
1890年代ごろの派出看護婦の状況
乱立していた派出看護婦会
鈴木雅さんが東京・猿楽町にあった「東京看護婦会」という派出看護婦会を経営していたころ、全国でコレラや赤痢などの伝染病(感染症)が流行っていたこともあり、派出看護のサービスに対する需要は供給を大きく上回っていました。
そのため東京には「東京看護婦会」以外にも多くの派出看護婦会が誕生しましたが、中には大きな需要を見込んで、看護の知識や経験など全く持たない素人同然の女性を患者宅に送り込んで看護をさせるという悪質な看護婦会も登場します。
そうした乱立する派出看護婦会の業界を見て、看護婦に対して「姦互婦」という文字をあて、派出看護婦会は派出先で売春を行わせているとおもしろおかしく書き立てる雑誌まで現れる始末でした。
規制強化と業界の自浄作用を促す鈴木雅と大関和
派出看護婦会が乱立する状態で、「東京看護婦会」に所属する大関和さんは、医療業界を管轄していた内務省衛生局の後藤新平に看護婦規則の規制強化と悪質な看護婦会に対する取り締まりを要請。
その一方で会頭であった鈴木雅さんは、派出看護婦に対するニーズを少しでも満たすため、「東京看護婦会」に付属する看護学校である「東京看護婦講習所」を設立。
「東京看護婦講習所」の講師となった大関和さんは、「看護婦派出心得」を1899(明治32)年に執筆します。「東京看護婦講習所」の学生たちには「看護婦派出心得」に沿った講義を行うことになります。
この「看護婦派出心得」は版を重ねるうちに「派出看護心得」と書名が変わるようになりました。
以降は「明治のナイチンゲール 大関和物語」の225ページ以降で紹介されている「派出看護心得」の文章を引用しながら、派出看護婦とは何かを説明します。
派出看護婦と「派出看護心得」
派出先での心得
「派出看護心得」の冒頭にはこう書かれています。
冒頭には、「夫れ看護婦たらんとする者は、先ず普通の看護学を修むるを要す。精神に於ては仁慈、敬愛、温和、忍耐、謙遜にして挙動静粛、品行方正、言語を慎み。医師に対しては能くその命を守り、患者に対しては、貴賎上下の別なく一様に信愛を以てその本分を尽さざるべからず」とある。
田中ひかる. 明治のナイチンゲール 大関和物語 (p. 226). (Function). Kindle Edition.
看護婦一般の心得だけではなく、病人に対して丁寧に接することはもちろん、その家族に対しても細やかな心遣いをすべきと説かれています。
病室は常に衛生的に保つこと
また「派出看護心得」では看護の前提として患者宅の衛生を保つよう説明しています。
また、「患家に於て終日勤むべき順序」の項には、実に細かい手順が記されている。看護の前提として、患者の環境を衛生的に保つことが非常に重視され、掃除と換気についての指示も細かい。部屋を掃除する際には「病人の顔に芥のかからざる様、西洋手拭の類を以て覆い、(中略)もし病人大患にあらざれば、この際病床を交換するをよしとす。空気交換の為め窓戸を開き置くは六分間を定時とす」とある。
田中ひかる. 明治のナイチンゲール 大関和物語 (p. 227). (Function). Kindle Edition.
現代では病人が入る病室を常に清潔に保つことは、医師や看護師でなくとも知っている常識のことです。
しかし当時の日本の衛生概念からすると、大関和さんが説いた内容は大変画期的なことでした。
大関和さんが桜井女学校(現在の女子学院)内の看護婦養成所で学んだナイチンゲール方式の看護学が生かされていることが分かります。
患者のための食事づくりを
さらに「派出看護心得」では派出看護婦の仕事は、患者の食事作りにまで及ぶとしています。
さらに、「すべて病人の食物は自ら責任を負うて供する」とあり、「流動性食物」として「肉柞汁」「ビフテー」「ミルクフード」「魚のプデング」「百合スープ」「カップカスタード」「滋養菓子」などを挙げ、その作り方を丁寧に説明している。管理栄養士などいなかった当時、患者の食事を準備するのも看護婦の仕事であった。
田中ひかる. 明治のナイチンゲール 大関和物語 (p. 227). (Function). Kindle Edition.
現代的な感覚からすると、明治時代の派出看護婦は病院の管理栄養士の仕事までも引き受けていたのかという驚きも感じてしまいます。
しかし、その分「東京看護婦会」では派出看護婦の利用料金として、当時の一般労働者の平均賃金の2倍に相当する利用料金を定めていたことを考えると、患者のための食事を作ることも職務の範囲と捉えていたことは納得できるでしょう。
感染症患者の看護や死体の取り扱いも派出看護婦の仕事
「明治のナイチンゲール 大関和物語」が紹介している「派出看護心得」には「派出看護の心得」・「衛生」・「食事」以外にも、「赤痢患者の家に派出された時の心得」や「死体の取り扱い」にもついても言及されているとあります。
「明治のナイチンゲール 大関和物語」の著者である田中ひかるさんは、「派出看護心得」を読むと、派出看護婦が派出先で一日をどのように過ごしているか手に取るように分かると感想を述べられています。
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