睾丸にできた癌に悩まされた晩年
稲垣巌の死因は癌の再発と転移か
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」に登場するレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)と松野トキ(髙石あかり)のモデルである、小泉八雲・小泉セツ夫妻の次男である稲垣巌(いながきいわお)は1937(昭和12)年8月15日の午前11時に東京の慶応病院(慶應義塾大学病院)で死去します。享年40。
稲垣巌の死因については、評伝によって「腸の癌」・「肝臓癌」・「肝臓炎」・「胃癌」とが分かれることがあります。
稲垣巌の評伝をまとめた小野木重治さんの著作「ある英語教師の思い出 小泉八雲の次男・稲垣巌の生涯」によりますと、死亡診断書の内容は分からないと断りを入れた上で、稲垣巌の死因は癌の再発や転移ではなかったのかと考察をしています。
私は、死亡診断書にどう書かれていたかは別として、昭和九年に患った癌が再発し、腹部全体、ことによるとその他の部位にまで転移していたとみるのが妥当でないかと思う。
1934(昭和9)年にも睾丸にできた癌の手術を受けていた
では稲垣巌の「癌が再発した」とはどういうことでしょうか?
実は稲垣巌は1934(昭和9)年に睾丸に癌があることが、妻・ミドリの弟で外科医の種市良春によって発見されます。
「ある英語教師の思い出」では、稲垣巌の長女・種市八重子さんなど関係者の話を確認した上で、同年の1月に緊急避難的に手術が行われて、9月にも京大病院(京都大学医学部附属病院)の鳥潟隆三博士の執刀で手術を受けていたのではないかとまとめています。
同僚教師から余命は残り3年と聞かされていた
稲垣巌は睾丸の手術ののち、勤務していた京都府立桃山中学(現在の京都府立桃山高等学校)の同僚で博物を担当していた三谷道保教諭に「癌を治療した人の余命は何年ですか?」と何食わぬ顔をしながら聞いたそうです。
すると三谷教諭は、まさか目の前にいる稲垣巌が癌の治療を受けていたことなど気づかず、一般的な答えとして「よくもって3年」と答えます。
同僚教師に対してこんな質問をする稲垣巌は自分の余命について戦々恐々としていたことでしょう。
実際に1937(昭和12)年6月に癌が再発。当初は京大病院に入院するものちに慶応病院に転院をし最後の時間を過ごすことになりました。
稲垣巌が亡くなったのちの反応
同僚教師による稲垣巌追悼文
稲垣巌が慶応病院で亡くなったのは桃山中学に在職中の出来事でした。9年間の教師生活で稲垣巌は生徒たちから非常に慕われており、その死は驚きを持って受けとめれられました。
桃山中学の生徒会誌である「桃山」(昭和13年3月15日発行号)では、稲垣巌の死亡が告知されるとともに同僚教師の追悼文が掲載されます。その追悼文の末文は以下の通りです。
善人は早く死ぬとは限らないが早く世を去る人は、すべて善人である。善人であった稲垣先生、善人となった稲垣先生の霊よ、安かれ。
三年等と遠慮せずに永久に生きてゐてくださいと祈りつつ、筆を擱く。
稲垣巌 死因 関連記事と参考文献
稲垣巌 死因 関連記事
小泉八雲・セツ夫妻の次男である稲垣巌については下記の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。
稲垣巌 死因 参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としました。
