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小泉セツ 養母 稲垣トミ(いながきとみ) 朝ドラ ばけばけ

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小泉セツの「母」は2人いた

朝ドラ「ばけばけ」の松野フミのモデル 稲垣トミ

NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなった小泉セツには「母」と呼べる人物は、2人います。生母の小泉チエ(こいずみちえ)と、養母の稲垣トミ(いながきとみ)です。

これは小泉セツが、生後7日後にして子だくさんの小泉家から、子宝に恵まれなかった稲垣家へ養子へ出されたことによるものです。

なお、朝ドラ「ばけばけ」では池脇千鶴さん扮する松野フミが、養母の稲垣トミをモデルにしていると考えられます。

稲垣トミは小泉セツにたくさんのお話を聞かせた

稲垣トミは1834(天保5)年に松江城下の北堀町に住む百石取りの原忠兵衛の娘として生まれ、幼少の頃には杵築にある高浜家の養女となり成人します。

高浜家は出雲大社の社家(しゃけ)です。代々、上官(じょうがん)と言われる高級神官を務めた家柄であることから、稲垣トミはお話好きのセツに語って聞かせる話をたくさん持っていました。

出雲の神々の物語は無論のこと、人々の生活に関わりを持つ生霊や死霊(しりょう)の話から、祈祷や神楽(かぐら)のあれこれ、さらには出雲大社の裏の桐の木にとまった鳳凰(ほうおう)の話に至るまで。「魂について(『知られぬ日本の面影』所収」)や「阿弥陀寺の比丘尼(びくに)『心』所収」などは、彼女の話をセツが語って成ったハーンの作品である

長谷川洋二「八雲の妻 小泉セツの生涯」今井書店 43ページより

このことは生母の小泉チエがセツに昔話を聞かせていたように、セツが小泉八雲の再話文学の語り手となる素養を育んだと言えるでしょう。

稲垣トミの養家・高浜家とは

高浜家は、千家家(せんげけ)と出雲大社の宮司職を分け合った北島国造(こくぞう)家から、中世の末に分かれた分家です。

北島家は出雲国造家が南北朝時代に千家・北島の両家に分立して以来、千家家と国造職を分け合い、1871(明治4)年には千家家とともに男爵の爵位を授けられ、華族に列しています。

高浜家とはこの北島家と緊密な関係を維持していました。

出雲国造とは

「いずもこくぞう」または「いずものくにのみやつこ」と読みます。5世紀末から6世紀頃に出雲国(現在の島根県東部地域)を治める支配者のことを指していましたが、現在では出雲大社の宮司職のことを指します。

裏方として小泉八雲・セツ夫妻を支えた稲垣トミ

働き者の稲垣トミ

このように稲垣トミは上級武士の家に生まれ、出雲の名家で育った「上流階級のお嬢さん」とも言える女性でした。しかし、トミは当時の上流階級出身にしては珍しく、身を粉にして働くことを厭わなかったようです。

生母の小泉チエは典型的な上級武士の家系に育ち女性で、働くことそのものを躾けられずに働かなかった点と大きく異なります。

稲垣家の家計と小泉八雲の「裏方」を担った

夫・稲垣金十郎が家禄奉還で得た資金で始めた事業が失敗した後は、裁縫の仕事で稲垣家の家計を支えています。

さらに養女のセツが小泉八雲と結婚し、熊本に転居したときも、セツが八雲の身の回りの世話に専念できるよう、そのほかの家事の一切はトミが引き受けたようです。

熊本での月給は松江の倍で、手取本町(てとりほんちょう)の広い屋敷(現在移築保存)には、金十郎・トミ・万右衛門が同居することになった。そのうち、当時四十八歳のトミは、無学で迷信にも無批判な女であったが、器用で律儀な働き者で、その無私そのものの心は、ハーンに敬意と愛情を抱かせる。以後は裏方として家の中の一切を預かり、ハーンの身の回りと執筆の世話に、セツが専念できることを可能にした。

長谷川洋二「八雲の妻 小泉セツの生涯」今井書店 155ページ

小泉セツと稲垣家の人たち

小泉セツ 家系図

小泉セツ 養父

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