小泉セツの婚姻歴
結婚・離婚・再婚を経験した小泉セツ
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなっている小泉セツは、生涯のうちに2度結婚をしています。
つまり小泉セツは結婚・離婚・再婚を経験しているのです。
貧困にあえいだ小泉セツの前半生
小泉セツといえば小泉八雲(朝ドラ「ばけばけ」のレフカダ・ヘブンのモデル)の「リテラリー・アシスタント」や「再話文学の語り手」として有名です。
小泉八雲がセツと1891(明治24)年に結婚したのちに完成した作品、「知られぬ日本の面影(1894年)」・「心(1896年)」・「怪談(1904年)」などは、深い愛情で結ばれた夫婦であるからこそできた傑作であると言えるでしょう。
しかしそんな小泉セツには暗い過去があります。小泉セツの前半生と「貧困」・「貧乏」というキーワードは切っても切れないものでした。
江戸時代の最後の年である1868(慶応4)年に生まれた小泉セツですが、明治の世が進むにつれ上級武士の家系であった養家や生家、それに連なる親戚たちが次々と没落し、橋のたもとで乞食をするまで身を落とした人物もいたほどです。
小泉セツの最初の結婚
最初の結婚相手 前田為二とは
小泉セツにとっての最初の結婚とは、貧しさのなんたるかを思い知るだけの苦い経験でした。
小泉セツの最初の結婚相手は前田為二(朝ドラ「ばけばけ」の山根銀次郎のモデル)という男性でした。前田為二は旧鳥取藩の足軽の家系に育ち、小泉セツの養家であった稲垣家に婿養子として迎えられます。
前田為二は働き者で貧窮した稲垣家の家計を支える人物で、しかも歌舞伎や人形浄瑠璃も大好き。お話好きの小泉セツにはピッタリの男性でした。
男たちが働かない稲垣家
しかし前田為二を婿養子として迎え入れた稲垣家の側に問題がありました。稲垣家は貧窮にあえでいるにも関わらず、働いて家計を支えているのは、機織をするセツと針仕事をする養母の稲垣トミだけ。
養父の稲垣金十郎と養祖父の稲垣万右衛門は、明治の世となって20年近くが経過しているにもかかわらず、上級武士だった対面を気にして、人に雇われて働こうとする様子が全くありませんでした。
「婿いびり」にあった前田為二
それどころか金十郎と万右衛門は、足軽という武士としては最下級の身分であった為二の出自をほじくり返しては、何かと難癖をつけてきます。
彼らが「婿いびり」した要因は、長年の貧困生活がもともと快活であった金十郎と万右衛門の気持ちを、すっかり捻じ曲げってしまったことも一因にあると考えられます。
小泉セツと前田為二の離婚
1年で稲垣家を見限った前田為二
結局、前田為二は稲垣家の実情に愛想を尽かし、わずか1年で出奔。セツには内緒で1人で大阪に引っ越しをします。
小泉セツはなけなしのお金をはたいて、松江から大阪までの汽車賃を作って稲垣家に戻るよう為二を説得しますが、聞き入れられず2人は離婚。1887(明治19)年、小泉セツが19才のときのことでした。
小泉セツと前田為二の離婚手続き
その後、稲垣家ではセツと為二の離婚にあたって、為二は「婿養子」ではなく、ただの「養子」として稲垣家に入ったことにして為二の失踪届を松江市役所に提出します。
さらに戸籍の上では稲垣家の養子に入っていたセツは、稲垣家との養子縁組を切り、生まれたときの「小泉セツ」に戻すという法的処理を行います。
こうした手続きは全て小泉セツの戸籍を汚さないための「方便」でしたが、離婚を経験することになったセツのこころ内は貧乏による苦しみでいっぱいだったに違いなかったでしょう。
小泉セツと小泉八雲の出会いを小説として描いた「へルンとセツ」では、このときのセツの気持ちをこのように描写しています。
つまりは、セツの戸籍を汚さないための、祖父や両親の苦肉の策だった。
しかし、セツにはどうでもよかった。為二との離婚は十分にセツを傷つけていたし、今さら気にしても、近所の皆は当然知っていたし、そんな体面を気にしている場合でもなかった。
とにかく、貧しかったのである。田渕久美子「へルンとセツ」NHK出版 87ページ