晩年の小泉一雄について
不幸な精神状態にあった晩年の小泉一雄
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」に登場するレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)と松野トキ(髙石あかり)のモデルである、小泉八雲・小泉セツ夫妻の長男である小泉一雄は、1965(昭和40)年に死去します。
「八雲の妻 小泉セツの生涯 (潮文庫)」では、晩年の小泉一雄の精神状態について説明している箇所がありますが、小泉一雄が71才で亡くなったときの直接の死因については言及していません。
後年、八雲高等女学校の教壇に立ち、以後、印税が途絶した太平洋戦争中を含む七年間、講師生活を送った。その頃の教え子たちの思い出には、人格円満な良き教師としての一雄の姿が見られる。しかし、次第に不幸な精神状態に陥っていったことは、『父小泉八雲』(一九五〇)の叙述を覆う気分で、疑うべくもない。とりわけ、母親セツについてのハムレット的な気分から来る記述は、伝記の資料とすることを困難にしている。この精神状態は、人との付き合いに支障のない程度のものであったが、本人の心を不幸にしていたと察せられる。昭和四十年(一九六五)に他界、満七十一歳であった。
長谷川洋二 八雲の妻 小泉セツの生涯 (潮文庫) 293ページ
晩年の小泉一雄は心臓神経症を患っていた
小泉一雄の息子である小泉時さんの著作である「へルンと私」でも、晩年の小泉一雄の精神状態について言及している箇所があり、心臓神経症を患っていたとあります。
一雄の場合は、昭和二十五年の六月、小山書店から『父・小泉八雲』を出版した。戦後の生活苦から、心臓神経症などをわずらいながら書きあげたこの本は、今の私が読んでも感情が先行してしまい、判断に苦しく箇所が多々ある。
小泉時 へルンと私 恒文社 123ページ
心臓神経症とは
心臓神経症とは心臓に重大な異常がないにもかかわらず、心臓に関する強い不安や不快な症状(動悸・めまい・息切れ・ふらつき・息苦しさなど)が現れる状態のことです。
心臓神経症は自律神経の乱れやストレスが関係していることが多いと言われます。
小泉一雄が心臓神経症を患った理由
自分の意図と違う記事を新聞に掲載されてしまう
ではなぜ晩年の小泉一雄は心臓神経症を患うほどのストレスを感じていたのでしょうか?「へルンと私」によると「新聞によるオーバーな報道」が原因であると説明しています。
太平洋戦争が終了したのち、小泉八雲の生誕100年を記念して朝日新聞の学芸部の記者が小泉一雄のところへ取材にやってきました。
そのとき一雄は戦前の家族制度の批判から、小泉八雲の晩年には小泉セツは少しわがままなところがあったのではないかと、自分の意見を記者の前で冷静に述べます。
ところがその記者が取材した記事は一雄が亡き母・セツを責めるというような強い調子の記事になって発表されることに。記事を読んだ一雄は大変困ります。「へルンと私」ではこのとき一雄の言葉と新聞社の対応が残されています。
「おれは、セツを不貞呼ばわりしたことは一度もない。困ったものだ…これで、世間からおれだけが叩かれる」とこぼしていた。
新聞にこの記事が掲載された翌日、C記者から速達がとどいた。詫び状であった。ご意見を強調したいために、つい誇張的な表現があったことをお詫びする、といった内容であった小泉時 へルンと私 恒文社 125ページ
新聞記事の影響で弟・小泉清と絶縁状態に
逆に小泉一雄の弟である小泉清からは母・セツを讃える意見が発表され、他の新聞社は一雄と清の意見の食い違いを煽る記事が発表され、論争が続くことになります。
結果、小泉一雄と小泉清は意見が全く合わなくなり、最後まで打ち解けることはなかったと、小泉時さんは説明されています。
晩年の小泉一雄は感情が先行して不幸な精神状態にあったことには、親子関係をスキャンダラスに書き立てられたという背景があったからでしょう。
小泉一雄 死因 関連記事と参考文献
小泉一雄 死因 関連記事
今回の記事で言及した小泉一雄やその弟である小泉清については下記の記事でも言及しています。
小泉一雄 死因 参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としました。
