小泉八雲・セツ夫妻の三男 小泉清について
小泉清の紹介
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなった小泉セツは、小泉八雲(「ばけばけ」ではレフカダ・ヘブンのモデル)の再話文学の語り手(リテラシーアシスタント)として明治・大正・昭和時代初期に活躍した人物です。
その小泉セツは小泉八雲との結婚によって3人の男の子(一雄・巌・清)と1人の女の子(寿々子)を出産します。今回の記事ではその兄弟たちの中で三男にあたる、小泉清(こいずみきよし)(1899~1962年)について紹介します。
小泉八雲の三男 小泉清 参考文献
小泉八雲・小泉セツ夫妻の三男である稲垣巌に関する内容について参考とした文献は以下の2冊です。
小泉清とはどんな人だったのか?
清の名前は「小泉の水は清かれかし」から
小泉清は1899(明治32)年に東京で小泉八雲と小泉セツの三男として誕生します。「清」という名前は、「小泉の水はいつも濁ることなく清かれかし」とい願いをこめてつけられました。
小泉八雲に43才になってから初めて子供を持ったため、長男・一雄に対して大変良く面倒を見ています。そのため小泉一雄は「父っ子」でした。
それに対して小泉清は、「へルンと私」や「八雲の妻」のどちらの本でも、「母っ子」であったと評されています。これは小泉清は必ずしも丈夫な体ではなく、若い頃に胸を患って療養生活を余儀なくされたことと関係があるでしょう。
東京美術学校に入学するも学生結婚をして退学
小泉清は早くから画家を志して、1919(大正8)年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に入学。
東京美術学校の在学中に、モデルを務めていた針シズ(はりしず)という女性と知り合い結婚し、学校も退学することになります。
しかし、母・小泉セツと長兄の一雄はこの結婚に反対。清は生活費の仕送りが断たれることになります。「八雲の妻」によると、清は京都の松竹座でバイオリンの楽師として生活費を稼ぐようになったと説明されています。
46才のときに画壇デビュー
その後、小泉清は46才のときに第1回新興日本美術展で読売賞を受賞し、画壇に名を連ねることになります。
一方、妻のシズは東京・中野の鷺ノ宮駅の近くでビリヤード場を経営するようになり、清との生活を献身的に支えていましたが、1961(昭和36)年に急逝。
その2ヶ月後の1962(昭和37)年には、妻のあとを追うかのごとく、清は自らの命を絶つこととなります。
甥・小泉時の思い出
小泉一雄の長男・小泉時さんは、叔父にあたる小泉清は、時々ふらっと家に遊びに来ることがあり、小学校6年生の時には学校で描いたスケッチなどを見てもらったことがあるそうです。
「へルンと私」によると、小泉時さんの水彩画を見て、色彩の方法やデッサンのやり方などを教えてもらったことが、在りし日の思い出として語られています。