結論:島田健次郎のモデルは木下尚江を中心とした複合モデルの可能性
結論を簡単にまとめると、島田健次郎は実在人物ではなく、木下尚江を中心に鄭永慶の要素も取り入れたキャラクターと考えられます。
※なお、「島田健二郎」と表記される場合がありますが、正しくは「島田健次郎」です。また島田健次郎は、劇中では「シマケン」という愛称で呼ばれることがあります。
本記事では、シマケンこと島田健次郎のモデルや実在人物について解説します。
木下尚江がモデルの理由
島田健次郎が廃娼運動に関わるようになるため。
鄭永慶がモデルの理由
島田健次郎がが外国語に精通しているため。
島田健次郎のモデル・木下尚江とはどんな人物か
木下尚江の経歴
木下尚江は1869(明治2)年、長野県松本の生まれ。
長野県中学校松本支校(現在の長野県立松本深志高等学校)を経て、1888(明治21)年に東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業。廃娼運動や禁酒運動などの社会運動に関わるようになります。
1899(明治32)年に毎日新聞に入社したのちは田中正造の足尾銅山鉱毒事件問題や普通選挙運動に取り組み、さらには平民新聞の幸徳秋水たちとともに日露戦争(1904年2月~1905年9月)に反対の立場を取りました。
大関和との関係
木下尚江は、一ノ瀬りんのモデルとなった大関和(1858~1932年)さんと1898(明治31)年12月ごろに結婚直前まで人間関係を進めたという史実があります。
ただし、この結婚話は木下尚江が通っていた、同じ旧制中学の後輩であった相馬愛蔵(1870~1954年)の強い反対に遭ったこともあり実現しませんでした。
鄭永慶とはどんな人物か
鄭永慶の経歴
鄭永慶の一族は、江戸時代を通じ長崎奉行の配下として「唐通詞(中国語専門の通訳官)」を務めていた家柄でした。
そのため幼いときから外国語に接することが多く、鄭永慶はフランス語に通じていたと考えられています。
また、鄭永慶は大蔵省での勤務を経て、1888(明治21)年、東京の下谷西黒門町(現在の東京都台東区上野)に日本で最初の喫茶店である「可否茶館」を開業しました。
大関和との関係
鄭永慶と大関和さんの関係は、伝記によって関係が異なります。
朝ドラ「風、薫る」の原案となった「明治のナイチンゲール 大関和物語」では、大関和さんは鄭永慶とその父・鄭永寧が住む屋敷で女中として働くという設定です。
一方、「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」では、大関和さんが鄭家で女中をしていたかどうかについては触れていません。ただ大関和さんと鄭永慶はある程度の知り合いであったことが言及されています。
島田健次郎は実在人物なのか
完全な実在人物ではない理由
これまで述べたように「風、薫る」の島田健次郎の役柄には、鄭永慶と木下尚江という実在した2人の人物たちの特徴が盛り込まれているからです。
複合モデルと考えられる理由
島田健次郎は第3週において、さまざまな外国語に精通している人物として登場します。
この特徴に関しては、唐通詞をしていた父・鄭永寧を持ち、自身もフランス語に精通していた鄭永慶をモデルにしていると考えられるでしょう。
もっとも、第10週から第11週にかけて、島田健次郎は新聞記事に「廃娼運動」に関する記事を掲載していたことが明らかになります。
この箇所については廃娼運動に関わり、なおかつ新聞記者もしていた木下尚江を意識していると推測できます。
島田健次郎の今後の展開・結婚・結末について
今後の展開を知りたい方へ
「風、薫る」の島田健次郎は今後どうなるのでしょうか?りんとの人間関係がどのように発展するのか気になる方は下記の記事を読むことをお勧めします。
結婚や最終回の結末を知りたい方へ
「風、薫る」の島田健次郎がりんと結婚するのかどうか、さらに最終回に向かってどうなるのか知りたい方は下記の記事をそれぞれ読むことをお勧めします。
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風、薫る 島田健次郎 モデル 関連記事と参考文献
風、薫る 島田健次郎 モデル 関連記事
「風、薫る」に登場する島田健次郎のモデルの1人と考えられる木下尚江と、りんのモデルである大関和さんとの関係については下記の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。
風、薫る 島田健次郎 モデル 参考文献
なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
