結論:丸山忠蔵のモデルは相馬愛蔵
朝ドラ「風、薫る」の第7週から登場する丸山忠蔵(まるやまちゅうぞう)のモデルは、相馬愛蔵(新宿中村屋の創業者)であると考えられます。
相馬愛蔵は1889(明治22)年に入院していた帝国大学医科大学第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)で疥癬の治療をするため、りんのモデル・大関和さんの看護を受けた過去があります。
この時以来、相馬愛蔵と大関和さんとの間には、生涯にわたる親交が続きました。
忠蔵とは誰?(丸山忠蔵のこと)
忠蔵とは丸山忠蔵のこと(結論)
「風、薫る」で検索される「忠蔵」とは、丸山忠蔵のことを指します。
「風、薫る」では丸山忠蔵は「丸山さん」と苗字で呼ばれることに加えて、「忠蔵さん」や「忠蔵」など下の名前で他の登場人物から呼ばれることもあるでしょう。
なぜ「忠蔵」と呼ばれるのか(ドラマ内の呼称)
「忠蔵」は「ちゅうぞう」と読みます。
平成や令和に生まれた日本人の男性が持つ名前としては珍しく、「風、薫る」の視聴者から「ちゅぞう モデル」や「ちゅうぞう 誰」など、ある意味親しみを込めて検索されることが予想されます。
丸山忠蔵とは何者?(ドラマ設定)
丸山忠蔵は「風、薫る」に登場する患者であり、モデルは相馬愛蔵(1870~1954年)と考えられています。
第7週での登場と役割
「風、薫る」の丸山忠蔵(若林時英)は第7週で登場します。忠蔵は苔癬(たいせん)を患っているため、帝都医科大学付属病院の「学用患者」として入院する患者という設定です。
直美との関係
忠蔵の付き添い看護婦は直美(上坂樹里)です。忠蔵は病院を退院したのち行くあてがなかったため、直美の紹介で直美が住む同じ長屋に住むことになります。
病気(苔癬)と学用患者
苔癬は、皮膚が慢性的な炎症により分厚く(肥厚)、ゴワゴワとした象の皮膚のような状態になる皮膚疾患の総称です。
また学用患者とは主に医学教育や研究の発展のために、診療費の負担軽減などの支援を受ける見返りに、大学病院で行われる治療や検査に協力する患者のことを指します。
相馬愛蔵とはどんな人物か(モデル解説)
相馬愛蔵のプロフィール
相馬愛蔵は1870(明治3)年に信濃国安曇郡白金村(現在の長野県安曇野市穂高)の豪農の家に誕生。1897(明治30)年、のちに相馬黒光(そうまこっこう)と呼ばれる星良(ほしりょう)という名の女性と結婚。
1901(明治34)年、妻・相馬黒光の体調の都合により、東京帝国大学がある本郷にてパン屋の中村屋を開業。
1904(明治37)年にクリームパンとクリームワッフルの商品開発や、1909(明治42)年には新宿に本店を開設するなどパンや和菓子の製造・販売事業を拡大していきます。
一方、禁酒運動や廃娼運動にも理解があり、さらにはインドの独立運動家ラス・ビハリ・ボースやロシアの詩人ヴァスィリー・エロシェンコを保護、援助したことも有名です。
相馬愛蔵の年表
| 西暦(和暦) | 年齢(満年齢) | できごと |
|---|---|---|
| 1870(明治3)年 | 0才 | 信濃国安曇郡白金村で誕生 |
| 1884(明治17)年 | 14才 | 長野県中学校松本支校(現在の長野県立松本深志高等学校)に入学 |
| 1885(明治18)年 | 15才 | このころ中学校で木下尚江と親交を結ぶ |
| 1887(明治20)年 | 17才 | 上京して東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学 |
| 1889(明治22)年 | 18才 | 疥癬を患い帝大第一医院に入院。大関和の看護を受ける |
| 1890(明治23)年 | 19才 | 東京専門学校を卒業。北海道に渡り養蚕を学ぶ |
| 1891(明治24)年 | 21才 | 長野に帰郷し東穂高禁酒会を設立 |
| 1897(明治30)年 | 27才 | 星良(相馬黒光)と結婚 |
| 1898(明治31)年 | 28才 | 長女・俊子が誕生。12月、大関和と木下尚江の結婚に反対の意見を表明する |
| 1900(明治33)年 | 30才 | 長男・安雄が誕生 |
| 1901(明治34)年 | 31才 | 東京の本郷にて中村屋を創業 |
| 1904(明治37)年 | 34才 | クリームパン・クリームワッフルを商品開発し販売を始める |
| 1907(明治40)年 | 37才 | 新宿に支店を開設 |
| 1909(明治42)年 | 39才 | 新宿の支店を移転し本店とする。和菓子の販売を始める |
| 1915(大正4)年 | 45才 | インド独立運動の志士 ラス・ビハリ・ボースを中村屋内にかくまう |
| 1916(大正5)年 | 46才 | ロシアの盲目の詩人 ワシリー・エロシェンコをアトリエに住まわせて援助 |
| 1918(大正7)年 | 48才 | ラス・ビハリ・ボースと俊子が結婚 |
| 1923(大正12)年 | 53才 | 株式会社組織に改組、商号を株式会社中村屋とする |
| 1927(昭和2)年 | 57才 | 喫茶部(レストラン)を開設、「カリーライス」を発売 |
| 1932(昭和7)年 | 62才 | 5月22日に大関和が死去 |
| 1934(昭和9)年 | 64才 | 日本で初めてとなる水羊羹缶詰を発売 |
| 1937(昭和12)年 | 67才 | 中村不折揮亳「中村屋」の文字を商標登録 |
| 1938(昭和13)年 | 68才 | 「一商人として」を出版 |
| 1945(昭和20)年 | 75才 | 東京大空襲により本店、寄宿舎、工場など焼失 |
| 1948(昭和23)年 | 78才 | 売店と喫茶室の営業を本格的に再開 |
| 1953(昭和28)年 | 83才 | 百貨店に進出。伊勢丹に直売店を出店し多店舗展開へ |
| 1954(昭和29)年 | 83才 | 死去 |
相馬愛蔵と大関和の関係(史実)
帝国大学医科大学第一医院での出会い
相馬愛蔵が大関和さんと初めて出会ったのは、1889(明治22)年。帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)に相馬愛蔵が入院してきた時のことでした。
当時、相馬愛蔵は信州から東京専門学校に入学するために上京したての頃でしたが、旧制中学の先輩から疥癬をうつされてしまい、帝大医院の皮膚科にかかることに。
この時代の疥癬治療は患部に硫黄を含有した軟膏を塗ることでした。ただしこの硫黄製剤の欠点は、硫黄特有の強烈な腐卵臭を放つことです。そのため患者本人はもちろんのこと、看護の専門訓練を受けたはずのトレインドナースさえ、硫黄軟膏の匂いに悩まされることになります。
しかし、疥癬の治療が長引いて入学が遅れることを危惧した相馬愛蔵は、外科の看病婦取締(看護師長のこと)であった大関和さんにお願いして、1日に1回薬を塗るところを、1日に3回塗ってもらうことに。
おかげで相馬愛蔵はわずか1週間で治療を終え、退院することができました。
大関和と木下尚江の再婚に反対する
相馬愛蔵が、大関和さんとのエピソードで最も有名な話が、大関和さんが、社会運動家の木下尚江(きのしたなおえ)(「風、薫る」の島田健次郎のモデル)と再婚することを阻止したことです。
1898(明治31)年、木下尚江は、10才年上の大関和さんにプロポーズをしようとします。しかし長野県中学校松本支校で木下尚江の後輩であった相馬愛蔵はこの結婚話に猛反対。
相馬愛蔵が大関和さんと木下尚江の結婚に反対した理由は、木下尚江の不行状をよく知っていたからです。木下は廃娼運動に参加する一方で、自ら遊女を囲っていたり、恋愛の対象となる女性が何人もいたのです。
大関和さんはこれらの「不行状」については全く知らず、相馬愛蔵は同じ中学の先輩・後輩の間柄であったため知り得ていました。
相馬愛蔵は、木下尚江の無軌道な愛は、純粋な性格な持ち主である大関和さんを必ず傷つけてしまうと考え、木下に結婚を諦めるよう説得。
木下は相馬愛蔵の只事ならぬ雰囲気に圧倒されて、やむなく大関和さんとの結婚を断念することになります。
生涯続いた親交: 大関和と新宿中村屋
相馬愛蔵が大関和さんの再婚話に強い表明をしたのちも、2人の親交は変わらず続きました。
朝ドラ「風、薫る」の原案となった「明治のナイチンゲール 大関和物語」においても、大関和さんが新宿中村屋のクリームパンを購入している描写があります。
「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」によると、大関和さんは1901(明治34)年に相馬愛蔵が東京帝国大学の赤門前で中村屋を居抜きで譲り受けて新装開業すると、すぐにパンを買いに駆けつけてくれてだけでなく、帝大病院でも中村屋のパンが販売できるよう便宜を図ってくれたそうです。
愛蔵は赤門前で営業している「中村屋」というパン屋を七〇〇円で譲り受けて商売を始めることになった。一二月三〇日、愛蔵と黒光は馴れないパン屋稼業を開始した(『相馬愛蔵・黒光のあゆみ』一〇頁)。和はさっそく二人の激励に駆けつけた。小さなパン屋の店先で、おぼつかげな二人がいる。和は知り合いの帝大病院の婦長に頼んで、病院の中でもパンが売れるように取りはからった(川原貞氏談)。三〇を過ぎたばかりの愛蔵は、和の変わらぬ思いやりに感謝したものである。
風、薫るでの丸山忠蔵の描かれ方(最新話対応)
第7週での描写
苔癬を患う学用患者として描かれる丸山忠蔵は、付き添い看護婦である直美から積極的に塗り薬を塗ってもらうことになります。
今後の展開予測
なお「風、薫る」の公式Webサイトでは丸山忠蔵は、その役柄として「のちに食に興味を持つようになる」と説明されています。
この設定は、モデルと考えられる相馬愛蔵が、1901(明治34)年にパンの製造販売を営む「中村屋」を始めたことと何か関わりがあるのかもしれません。
丸山忠蔵の結末はどうなる?
「風、薫る」の第7週から登場する丸山忠蔵は今後どうなるのでしょうか?その結末やネタバレについては下記の記事を参考にしてください。
風、薫る 丸山忠蔵のモデルは誰? 関連記事と参考文献
風、薫る 丸山忠蔵のモデルは誰? 関連記事
朝ドラ「風、薫る」に登場する丸山忠蔵のモデルは相馬愛蔵です。主人公・一ノ瀬りんのモデルである大関和さんとの史実に基づいた交流については、下記の記事が参考になるでしょう。
また「風、薫る」に登場する人物の中には今回の記事で紹介した、若林時英さんが演じる丸山忠蔵以外にも、モデルとなった人物たちがいます。
「風、薫る」に登場する人物たちの「モデル一覧」については、下記の記事が参考になるでしょう。
→ 風、薫る モデル一覧 一ノ瀬りんは大関和 大家直美は鈴木雅
風、薫る 丸山忠蔵のモデルは誰? 参考文献
なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
- 田中ひかる 「明治のナイチンゲール 大関和物語」中央公論新社
- 吉瀬智子・田中ひかる 連続テレビ小説 風、薫る Part1 (1) (NHKドラマ・ガイド) NHK出版
- 亀山美知子 「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」 ドメス出版
- 亀山美知子 「女たちの約束: M.T.ツル-と日本最初の看護婦学校」ドメス出版
- 相馬愛蔵 「一商人として」 青空文庫
