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大関和と相馬愛蔵の関係とは?史実エピソードと新宿中村屋の背景

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相馬愛蔵と大関和は、日本の看護教育とビジネスに関わる重要な人物関係です。

ドラマの丸山忠蔵(若林時英)の背景理解にもつながる史実として、この関係は非常に重要です。
「忠蔵の役柄や結末」を知りたい方はこちらの記事をご覧ください。

丸山忠蔵はどうなる?結末ネタバレ

本記事では、2人の関係・史実エピソード・新宿中村屋とのつながりを解説します。

  • 人物:相馬愛蔵と大関和
  • 関係:入院と看護・プライベート問題の共有
  • 見どころ:近代日本の看護とビジネスの関わり

丸山忠蔵のモデル記事とドラマ内での役割

目次

結論:2人は看護をきっかけに生涯の交流を持った

「風、薫る」の主人公・一ノ瀬りんのモデルである大関和さんと、丸山忠蔵のモデル・相馬愛蔵は生涯に渡る交流を続けました。

その親交のきっかけは、1889(明治22)年に相馬愛蔵が、大関和さんが看病婦取締(現在の看護師長のこと)として勤務する帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)に入院し、その看護を受けたことに始まります。

丸山忠蔵のモデル(相馬愛蔵)を詳しく解説

風、薫るにおける相馬愛蔵(丸山忠蔵)

第7週での役割

「風、薫る」では相馬愛蔵がモデルとなっていると考えられる、丸山忠蔵(まるやまちゅうぞう)が、第7週から帝都医科大学附属病院の苔癬患者として登場します。

ドラマにおける忠蔵は学用患者でもあり、医学の研究や教育にも患者として協力する役割も担っています。

「風、薫る」のドラマにおける忠蔵の人物解説

直美との関係

丸山忠蔵の付き添い看護婦は大家直美(モデルは鈴木雅さん)です。直美は忠蔵のために積極的に看護し、第10週で大学病院を退院するに至ります。

大関和と相馬愛蔵の出会い(史実)

相馬愛蔵が帝大病院に入院

大関和さんと相馬愛蔵が初めて出会ったのは、1889(明治22)年に帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)に相馬愛蔵が入院してきた時のことでした。

当時、相馬愛蔵は故郷の長野県から東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学するために上京したばかりの頃でしたが、中学校の先輩から疥癬をうつされてしまい、帝大医院の皮膚科にかかることになったのです。

大関和さんによる献身的な看護エピソード

その時、相馬愛蔵の付き添い看護婦となったのが、同院で外科の看病婦取締をしていた大関和さんでした。

この時代の疥癬治療は患部に硫黄を含有した軟膏を塗ることです。ただしこの硫黄製剤の欠点は、硫黄特有の強烈な腐卵臭を放つことです。そのため患者本人はもちろんのこと、看護の専門訓練を受けたはずのトレインドナースさえ、硫黄軟膏の匂いに悩まされることになります。

しかし、疥癬の治療が長引いて入学が遅れることを危惧した相馬愛蔵は、外科の看病婦取締(看護師長のこと)であった大関和さんにお願いして、1日に1回薬を塗るところを、1日に3回塗ってもらうことに。

大関和さんの献身的な看護のおかげで、相馬愛蔵はわずか1週間で治療を終え、帝大医院を退院することができました。

大関和と相馬愛蔵の関係が「新宿中村屋」に与えた影響

創業時にパン販売の斡旋をしていた大関和

相馬愛蔵は1901(明治34)年に東京帝国大学の赤門がある、本郷においてパン屋の「中村屋」を開業。

このとき相馬愛蔵とその妻・相馬黒光はパン製造も商売の経験もなかっただけでなく、つてもコネもなく、商売人として素人も同然でした。

そのことを気遣った大関和さんは、帝大医院で看護婦長をしている知り合いを通じて、病院内で「中村屋」のパンが販売できるよう便宜を図っています。

愛蔵は赤門前で営業している「中村屋」というパン屋を七〇〇円で譲り受けて商売を始めることになった。一二月三〇日、愛蔵と黒光は馴れないパン屋稼業を開始した(『相馬愛蔵・黒光のあゆみ』一〇頁)。和はさっそく二人の激励に駆けつけた。小さなパン屋の店先で、おぼつかげな二人がいる。和は知り合いの帝大病院の婦長に頼んで、病院の中でもパンが売れるように取りはからった(川原貞氏談)。三〇を過ぎたばかりの愛蔵は、和の変わらぬ思いやりに感謝したものである。

亀山美知子 「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」 ドメス出版 145ページ

大関和さんに見舞い金をたびたび届けた相馬愛蔵

晩年の大関和さんは半身が不随となり、寝込むことがたびたびありました。その病床には相馬愛蔵がたびたびお見舞いにやってきます。

しかも愛蔵はただお見舞いの言葉を述べるだけではなく、帰る際には大関和さんの枕元に必ず30円から50円の現金を置いていくのでした。

相馬愛蔵も中村屋の黄色い車でやって来ては、和を見舞う。その帰りには必ず三〇円、五〇円と紙に包んでは和の枕元にそっとさしこんでいく。和は愛蔵の好意に素直に甘え続けた。

亀山美知子 大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語 ドメス出版 244ページ

引用した「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」が伝えるエピソードは、1930(昭和5)年ごろのエピソードと考えられます。当時の30円から50円といえば、現在の貨幣価値に直すと10万円から15万円程度に相当する額でしょう。

実は、大関和さんが「東京看護婦会」から1909(明治42)年に改組した派出看護婦会である「大関看護婦会」の財政状態は、常に火の車。

これは大関和さんが私財を投げうって貧窮者を助けることも少なくなく、経費の持ち出しが大変多かったことによるものです。

相馬愛蔵はそんな「大関看護婦会」の経営状況をよく知っていたらしく、大関和さんの晩年になっても若き日に受けた看護の恩に報いていました。

相馬愛蔵が大関和と木下尚江の再婚に反対した史実

結婚問題への関与

大関和さんと相馬愛蔵のエピソードで最も有名なものが、大関和さんが、社会運動家・木下尚江(「風、薫る」の島田健次郎のモデルの1人)と再婚することを阻止したことです。

1898(明治31)年、木下尚江は、10才年上の大関和さんにプロポーズをしようとします。しかし長野県中学校松本支校(現在の長野県立松本深志高等学校)で木下尚江の後輩であった相馬愛蔵はこの結婚話に猛反対。

人間関係の背景

相馬愛蔵が大関和さんと木下尚江の結婚に反対した理由は、同じ旧制中学の後輩として、先輩にあたる木下尚江の不行状をよく知っていたからです。

木下尚江が廃娼運動に参加する一方で、自ら女郎を囲っていたり、恋愛の対象となる女性が何人もいたのです。

相馬愛蔵は、木下尚江の無軌道な愛は、純粋な性格な持ち主である大関和さんを必ず傷つけてしまうと考え、木下に結婚を諦めるよう説得。

木下尚江は相馬愛蔵の只事ならぬ雰囲気に圧倒されて、やむなく大関和さんとの結婚を断念しました。

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大関和と相馬愛蔵の関係とは? 関連記事と参考文献

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実在した相馬愛蔵がモデルとなっている、朝ドラ「風、薫る」の丸山忠蔵が、お話の展開に合わせてどのような結末を迎えるかは下記の記事が参考になるでしょう。

丸山忠蔵はどうなる?退院後のネタバレ

今回の記事で紹介した大関和さんの再婚話や、木下尚江という人物については、それぞれ下記の記事に詳細をまとめています。合わせて参考にしてください。

大関和の再婚と再婚相手とは 木下尚江(きのしたなおえ)との関係
大関和と木下尚江(きのしたなおえ)

大関和と相馬愛蔵の関係とは? 参考文献

大関和さんの再婚話や木下尚江、相馬愛蔵といった人物との関係については下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案となっています。

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